冬のハンガー活動2024年02月15日 14:17

年末にハンガーのオーバースライドドアが全損/全壊し、上がりも下がりもしない状態になりました。17年の経過によるものなので仕方ありません。

ハンガー内側。ナントカ、DIYで修理できないか、最大限の努力をしましたが、ウンともスンとも云わない。とにかく重い。一人ではどうにもならない。

やむなく合板カットして応急措置。

防水シート貼って完了。M田師匠に「短い時間でよくできました」とホメられてウレシイ。この状態で年越し。

業者さんに依頼して年が明けてからオーバースライダードアの交換工事を施工。もちろん邪魔にならない範囲でお手伝いも。

業者さん、極めて手際良い作業で感心しました。悩んだり考えたり調べたりする時間が全くなく、手足が間断なく動き続ける感じで、半日で作業完了。自分でやったらおそらく2週末(6日)でも終わらんのではないか。と、いうより準備検討研究作業だけでも数日はかかると思われ。

100万ちょいかかりましたが、こういうのは仕方ない。DIYするところと、業者さんにお願いすることの切り分けが重要。そうでないと手持ちの人生時間がどんどんなくなってしまう。サスガに綺麗な仕上がりです。

「こんなに腐った木製シャッターをここまでDIYで修理しながら17年も持たせた人は見たことないですよーー」とは解体運搬担当者の弁。

フライトコンディションの日は飛ぶ、というのがマイルール。全てに優先します。ほぼ毎週飛んでます。

修理を繰り返している左サイドキャノピーにまた小クラック。とりあえずストップホールあけて修理していたら、、、

M田師匠がコーシーとバームクーヘン持参で陣中見舞いに来てくれました。草の上に寝っ転がって、過ぎ去った日のことをアレコレと思い出しつつ語らう、至福の時。

新人航空整備士が工具を借りに来た。「M10/ピッチ0.75のタップ、さんしなさんに聞いたら『アサオさんなら持ってるハズ』と云われたので借りに来ました」だってよ。もちろん持ってるよ~。頼られるとナンカ、ウレシイです。

ウインタースポーツの準備。まずはスタッドレスに交換。

トルクは100N

スキー板のワキシング

スキー有識者の後輩君と奥会津へ向かう。

こういう状況ではサイコーのクルマ。ジムニー5MT+スタッドレス

奥会津のスキー場2カ所を1泊2日でハシゴして滑りました。

張り切り過ぎてストック折った。

東京にも雪が降る。事務所12Fから眺める都会の雪景色。高校時代からの旧友「アズ君」から、「雪中ハイク、行こーぜー」とのお誘い。

ジョラスGTは2000m級までの冬山に対応する山靴。今回はチェーンスパイクを装着。スパッツも必携。

ポールにはスノーバスケット装着。

とても静かな雪の山道を二人で歩きます。さすがに誰もいません。
サクサクという二人の足音だけが聞こえる静寂、、、。

高校でワンゲル部長だったアズ君

急登もありました。結構キツいす。

てっぺん。

また飛行場に戻ります。中堅航空整備士さんちゃんからRCフライトのお誘いがあると、断ることはできません。強参(強制参加)となります。

上記以外の全ての時間帯は、ハンガーハウスのDIY工事に注力しています。今年で13年目、だいぶ先行きが見えてきて完成まであと少し。今回も大量の断熱材他をホムセンにて購入。荷室の広いエクストレイルが活躍

カット作業に入ります。

プロなら絶対やらない、とても面倒なオリジナルの施工方法を考案し、実践しております。興味のある人は見に来てください。

断熱材をカットして取り付け。

その前に防音シートをカットして

エアタッカーで貼り付けたりもします。

飛行場の夕暮れ。


「簡単にできることでオモシロイことなどない」2023年12月31日 18:53

時系列が前後しますが。
25Bハンガーinの6月以降、今期のメイン作業として、10年ぶりのサイドキャノピー交換作業を実施しました(コクピット右側)。

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前回サイドキャノピー交換作業を行ったのはもう一昔、10年も昔のこと。
http://diyer-lawyer.asablo.jp/blog/2013/06/28/6879280
あの夏もひどく暑かった。
そしてハンガー屋根裏の断熱工事は、まだ未施工だった。
結果、ハンガー室温は42℃まで昇温した。

それから10年の歳月が経過して、その間の飛行中の振動とか紫外線、野外係留時の温度変化(夏場35℃から冬場マイナス5℃)etcの要因により、新品だったサイドキャノピーも相当に劣化した。
 トドメは耐空検査フライトのエンジンカット、急降下でVネバーのチョイ手前、ウインドミルでエンジンのリスタート・・・。着陸したら大クラック発生・・・。
 その後しばらくはドイツ製高性能特殊接着剤で修理/補強する弥縫策でしのいでいたが、もうそういうワケにもいかなくなった。

↓こんな感じで、かなり割れてしまった。

まずはエアサンダーで取付けネジ部分10箇所を削って頭を露出させる。

10本の固定ネジの抜去。

ハンガーから搬出して養生/マスキングし、キャノピーアクリルをパキパキ割っては除去していく。

さらにハンマーやらタガネやらエアサンダーやらを使って完全にリムーブ

徹底したリムーブとクリーニング作業。この段階での下地作業が仕上がりに大きく影響する。

塩ビ板で「型」を作る。形状とか固定ネジの位置とか細かく調整

その型にしたがってアクリル板をカットする。専用アクリルカッター使用

こんな感じ。

ここ10年の間、アクリル板は外辺から微細なクラックが発生することを経験値として学んだので、今回は周囲外辺20mmの範囲でアクリル板の裏表両面をFRPで補強した。

FRP硬化の後、ネジ穴開け加工、サラ取りなどの整形作業をしてから慎重に仮固定して様子を見る。

上側を仮固定すると・・・

下側が70mmほど浮く。このまま取り付けると反発力が温存されたまま固定されることになる。それもクラック発生の原因。

データシートに従い加熱して湾曲加工。冷却して形状固定。

さらに下側を固定して、今度は上側をヒーターであぶって湾曲加工。

そのまま板材の冷却を待って湾曲状態を固定する。
これで上下とも素直に無理なく取り付け可能となった。

ネジ穴位置を変えたり・・・状況観察して、よく考えて、臨機応変に、、、。

独国製/2液性キャノピーアクリル専用特殊接着剤を練る。

慎重に接着。この接着剤は硬化が早いので段取りが重要。

パテ入れ/パテ削りを5回ほど繰り返して整形完了。パテ作業だけで丸2日くらいはかかります。と、いうことはほとんど「1週末(金土日)」の朝から晩まで・・・ってことです。

塗装の段階に入ります。今回はイワタのガンを使用、、、、

サフのガン吹きとサフ削り。これも1~2日。いったんマスキング剥がして、状況確認して、またマスキングして。

今回使用したハードナーはこれ。

マスキングを剥がして、仕上がりを見て、またマスキングして・・・

赤の段差修正。その後ライン塗装のマスキング。

捨て白ガン吹き

トップのウレタン塗装ガン吹き

ところが!!!ポカやりました。例えて言うならば「スカートの下からパンツが見えてる」状態。こんなミットモナイ仕上がりをM田師匠に見せるわけにはいかない。さんちゃんにも笑われる。ほとんどの人は気がつかないのでどーでも良いと言えばそうなのだが・・・。

仕方ないのでまた曲線マスキングテープ使って・・・マスキングして。サンディング、足付けして・・・

再塗装。スカートを長くしてパンツを隠します。

その他、胴体の羽布修理、羽布張り、塗装。

ここも同じく羽布の修理再塗装。

プロペラの部分再塗装

仕上がりはこんな感じ。

今回のサイドキャノピー交換作業は、前回ブログの「翼端板修理・再塗装」の3倍くらいの作業量で、6月初旬から7月末まで、ずっとこの作業に充てた。

こんな感じで、亡き師匠の松つあんから付託されたポンコツ号の動態保存活動は、まだまだ続く。なんだかライフワークの様相を呈してきたの感あり。

いろいろな人、価値観、考え方、感じ方があり、それを否定するものではない。しかし自分は「簡単にできることでオモシロイことなどない」という考え方である。

たまらん。

では皆様良いお年を、、、、。

「シアワセトハ、ナンダロウ?」2023年12月18日 14:16

12階にある事務所ベランダから夕景を眺めつつ、モノ想いにふける。

ひとたびこの写真の休火山が活動再開すれば、この首都圏は灰燼に帰するというのに、ナントカ巨大ビルとか、都心では大規模再開発事業が引きも切らさず続いている、、、。ご苦労なことだ。

 還暦をとっくに過ぎて、改めてシアワセとは何だろうと、考えたりする。
まず、人によってそれは違う。欲望の充足だという人もいるだろうし、その欲望にもいろいろな段階があるし(マズローの欲望段階説)。

 自分の感覚では、「これからだんだん良くなっていくんじゃないかな?・・・この先もきっと良いことがあるよ」と思える精神状態、であろうか。昭和の時代は多くの人がその感覚を共有していたような気がする。

 例え巨万の富を築いたとしても、あるいは自分の願望を全て充足したとしても、「これから先、そんなに良いことはもう起こらない」という精神状態であるならば、きっとハッピーでない。

 自分の場合、ポンコツが大好きで、それはポンコツというものは手にした瞬間が一番ボロくて、その先、手を入れる毎に段々と良くなっていくワケだから、その過程に悦びというか、シアワセを感じる、ってことは多いにあり得ることと思われる。
 1972年製造のW3然り、同年製造の25B然り・・・。

もうひとつ。「自分にはやるべきことがある」という精神状態も。
これもシアワセ感のひとつの要素ではあるまいか。
完全に弛緩した精神状態ではなくて。
ある種の緊張感を伴うような。

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初冬の風物詩。今期もまたこのシーズンが到来しました。整備陣の皆様、ありがとうございます。シャチョーまでお手伝いいただき恐縮であります。

今や立派な中堅航空整備士に成長して、耐空検査員資格も取得したさんちゃん。

M田さんがエレベータのリンケージ作業をしています。感無量、、、。

耐空検査、テストフライト、各種ストール速度など計測作業も終わり、自分のリハビリもTGL2発で終わってソロに放り出されて。
 思いっきりバンクをかけてみる。半年ぶりだが、ウデはそんなに落ちてない気がする。

ピアノのH岡巨匠を右席に乗せて。ノースポイラーランディングのデモも見せてもらう。この低いパスからさらに2度、3度とかなり深いスリップを連発して高度を下げ、ようやくノースポイラーのパスに乗った。自分にはできねえな。これは。

着陸したら左サイドキャノピーにクラックが発生していた。ここを自分で交換したのはもう10年も昔のこと。
http://diyer-lawyer.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954473

経年による老朽化だから仕方ない。今期の運航を終えた来年6月以降に本格修理する予定とし、今回は応急修理に止める。

10年前はこのツールはなかった。リポバッテリ搭載リューター。前回はバカ重い発電機を飛行場に持ち込んで、AC100V仕様のリューターで削ったりしていた。

飛行場にて。野戦病院さながらの応急修理。2時間ほどで完了して、耐空検査員資格を有する中堅航空整備士に確認してもらって、また一人で飛んだ。しかしながら10年前、まだ駆け出しの若造だったその航空整備士に「M田さんはな、キャノピーのアクリル修理、こういうふうにやるんだぜ」って教えたのはワシなのである。

「特大模造カラス」を係留作業に追加。みんな笑うけどね。こっちは必死す。半年かけて自分で整備して、相当高額なる機体保険払って、運搬組立て費用払って、耐空検査費用も払って、係留費も払って。それでもってカラスに羽布破かれて要修理、飛べない・・・てなことになったら目も当てられねえ。どんだけのエネルギーを突っ込んでコレを実現してるんだっ!てコト。

古い馴染みの友人と。元イーグルドライバーの空将補との。現在は某社の雇われ社長兼社有機の操縦教官として激務稼働中、、、。ガンバレー。

↑上のほうのフォトで低高度のスリップを連発してノースポイラーランディングのデモフライトを見せてくれたこのお方、実は元プロのジャズピアニストで夜はピアノを弾いてくれます、、、。
「sero jazz」で検索。
https://www.youtube.com/watch?v=WRJQfITY2b8


クラブの新人航空整備士はかなり重傷の「真空管オタク」で、亡き我が師匠「松つあん」製作の遺品、「2A3ロフティンホワイト純A級モノラルアンプ」をナント3日もかからずレストアしてくれた。松つあんが部品取りにしてしまい、残骸状態だったもの。整流管2本含め電源回りがゴッソリ欠けていたので、ダイオードに置換して全波/半波整流回路に改造し、2A3のヒーター電圧2.5Vは彼の手持ちのジャンクトランスをカット&トライで巻き直して作り、「シャント抵抗両端の電圧は20Vです」「電流計つけてプレート電流50mAでお願いします。」ナドのアドバイスも、、、。

機体のハンガーアウト、組立て、エンジン試運転、各所の寸度舵角測定、その他諸々の耐空検査、テストフライト、ストール速度/諸元の確認計測、自分のリハビリ、ソロフライト復帰、飛行場でのキャノピー応急修理、TABフライトとその録音、トラポンチェック録音・・・などなど、怒涛の2週末6日間が過ぎ去って、、、。ナントカ落ち着いてきたハンガー生活。

ここ5、6年放置していたハンガーのシャッタードア腐れ部分の修復作業にとりかかる。ようやく。このハンガーを建てたのは今を去ること16年前なので、よくぞここまで持ったな、、、の感アリ。

こんな感じの腐れ部分が10カ所くらいも発生している、、、。

ガンガン削る。

相当深くまで腐っている。これじゃネジが効かないワケだ、、、。

腐れ部分をほぼほぼ除去。腐朽菌で腐った部分にはクレオソート防腐剤を注入しておいた。

防腐剤注入木材を2枚、エポキシで貼り合わせて埋め込む工法で、、、。

ドイツ製グライダー補修用高級特殊レジンを使って接着。冬期低温に
つきライティングして加熱、硬化中の温度管理をシッカリと、、、。

一カ所の修理だけでほぼ丸一日かかった。これをあと10カ所ほど修理せねばならない。来春を目途に。ココとか。

ここもヤバイ。

ここも腐りがひどく削ってクレオソート入れたとこ。

木部の腐りで効かなくなったネジを抜去して、鉄板金具にドリルで穴をあけて木ねじ多数打ち込んで応急修理。多忙につき応急修理ばっかりだ、、、。

初冬の凜とした空気感漂う夕暮れの冬木立。

古い、ボロいものが自分の作業を通じて段々と良くなっていく。
自分に、やるべき仕事が多々ある(多すぎるくらいだが、、、。)
これは「シアワセ」と言って良いことなのカモ知れない、、、。
たまらん。

「フジへ」2023年11月10日 12:01

旧友のフジとの。

職業柄、法的質問を受ける。自分は友人からの法律相談や文書作成程度はタダである。レトルトカレーなどお礼に持ってくる人がいるが。塩昆布とパックご飯を大量にいただいたこともある。ハンガー周辺の農家からは野菜やお米が届く。スミマセン、ハナシがソレました。

法律相談から先、これが難儀である。自分は顧問先の業務で手一杯だから受任はできんよ、と言うと、では弁護士を紹介してくれと依頼される。

しかしながら自分と同期、あるいは後輩弁護士などは年代的に激務の渦中にあり、ナカナカ、ハナシを持って行きにくい。

で、結論から言うと、「相談地域の弁護士会のHPから30分5000円の法律相談を申し込んで、地元の若手で熱心な弁護士さんを紹介してもらってください」
・・・と、言うことにしている。「地域(ex 神戸) + 弁護士会」で検索。

弁護士会にはいろいろな委員会/部会(相続部会、交通事故部会、建築紛争部会、医療過誤部会・・・)があって、そこで若手弁護士などは研鑽すると同時に、法律相談窓口を経由して、事件化した相談案件の配点/紹介を受けて収入の足しにする、という構造。

全国各地の弁護士会でボランティア活動(各種委員会活動=プロボノ活動と呼ばれる)や専門部会に参加/所属している弁護士は、割とマトモと考えて良い。年間10時間程度のプロボノ活動義務が設定される弁護士会もあり、他方、それをやらない替わりに弁護士会にオカネを払えば義務が免除される制度もあったりする。
 なので、弁護士と知り合ったら「センセーは弁護士会で何か委員会活動をやってますか、どこかの専門部会に所属していますか」と聞いて見るのも良い。
 ちなみに小職は東弁/二弁合同図書館委員というのを30年ほど続けております。司法修習生の指導担当や、デパートの無料法律相談などもかつてはやっておりました。

弁護士会の法律相談を経由せずに、ただネットで調べて依頼すると、ハズレくじみたいな弁護士に当たってしまうことも最近はマレではない。

試しに「国際ロマンス詐欺 弁護士」かなんかで検索すると、うようよとネットでヒットする。どれもキレイでカラフルな事務所の風景写真など、テンコ盛りである。
しかし常識で考えても、詐欺されたオカネは仮想通貨かなんかに化けてしまうから回収は容易でない。

なかには「回収実績〇〇件!」などと広告を打っている事務所も散見され、「弁護士に着手金を払ったが何もしてくれない」みたいな、「弁護士による着手金詐欺の二次被害」が報告されたり、

https://www.bengo4.com/c_1009/n_15592/

各地弁護士会も誇大広告で詐欺被害者を誘因しようとする弁護士広告HPが相当数存在することに警告を発している。

https://www.toben.or.jp/know/iinkai/hibenteikei/news/post_7.html

弁護士を監督する弁護士会が、「誇大広告の弁護士に気をつけましょう」と警告する時代・・・なのか・・・。
・・・いやはや。スサマジイ時代が到来したもんだと、昭和の時代に司法試験をやっていた小職などはオドロいてしまうのです。

全ては小泉内閣時代の司法制度改革から始まったわけですが、司法試験制度改正、法科大学院制度、合格者激増、弁護士過当競争、法曹志望者の激減・・・という流れです。

もちろん、小泉(内閣)さん自体に、何かアイデアとか知見とかがあったワケではありません。要は学者/有識者の方々をメンバーとする「諮問委員会」の意見にしたがって制度改革に乗り出したワケでありますが、学者/有識者という方々は往々にして営利一般企業での就業経験がなかったり、起業や会社経営の経験がなかったり、BS/PLが読めなかったり、人間とは社会とは・・・という洞察力もなかったりして、ただ「ご本」をお読みになって、欧米諸国と日本では国情も歴史も国民性も社会態様もまるっきり違うのに、欧米の制度をそのまま導入したり、理想的な「法曹養成制度」かなんかをアタマの中だけで考えちゃったりした結果、法科大学院は半分、つぶれました、というオチです。

https://www.businessinsider.jp/post-100342

法科大学院の大量破綻は、この際、ドーデモ良い。
問題は、法曹志望者/司法試験受験者の激減で・・・
昭和の時代2万人、最大数で4.5万、近時は4000人切りって何よ・・・
反比例して合格率は急上昇。

検察官/裁判官は公務員として任用人数が限定されているから、司法試験の合格者の多くは弁護士さんになります。しかし今や、その弁護士が激増/過当競争でメシが食えない。大学出て、さらに200万近い学費払って2年間法科大学院通って、合格は簡単だけど、メシは食えない。
 そんなこんなで弁護士業界は「構造的不況業種」認定されてしまいました。それで受験者が激減しているのです。モノスゴく簡単な話です。食えない仕事は人気がないのです。それだけのハナシ。

でもって、食い詰めた弁護士が、いろいろ広告打って・・・みたいな、上述の状況につながっているワケです。

で、何が問題かというと、司法制度/裁判所というのは人権保障の最後のトリデなんです。たいていはそこまで行かずに解決したりナアナアでなんとかなったりしますが、最後の最後はやっぱり裁判所。そこでちゃんとした「解決」が示されないのは、ハナハダ、マズいわけであります。
 で、そのシステムを支えてる人たちが検察官であり裁判官でありベンゴシという法曹。その法曹資格をめざす人が激減している、ということは、最後のトリデがボロボロになりつつある、ということなんですね。

しかし、、、。
我が国では有権者全員が等しく1票を持っています。
某発展途上国のように選挙権行使を妨害されることはありません。
投票用紙が改ざんされたり、集計が改ざんされたりもありません。
そうやって選ばれた人が国会議員。
議院内閣制ですから、国会多数派が行政府を構成する。
したがって国会/政府・内閣のやったことは、国民の総意に基づくものであります。なんたって民主主義100%の我が国なんだから。

堂々と、ボロボロになっていく最後のトリデにすがりましょう。

「ミッション遂行」2023年10月31日 10:27

同じ大学で
同じ学部で
同じバイクサークルに所属し
自分が1年生の時の4年生のセンパイで
同じカワサキ/W3というバイクを駆り、
卒業後は就職せず。
法曹の道、司法試験の道をともに志した。
自分はセンパイの背中を追い掛けるようにして司法浪人の道へ。
ともに昭和の時代の旧司法試験の辛酸を嘗め
合格後はともに法律実務家/弁護士として働き
30余年が経過した。
思えば、このセンパイと自分のつながりには、深い縁のようなものがあるのかも知れない。

司法浪人時代、センパイからの電話。
「飯田橋の予備校前にいる、W3のキャブからガソリンがダダ漏れだ。オマエ、フロートバルブ持ってたな。工具持って、チョット来てくれねえか」

あるときは、司法試験の合格発表をW3に乗って見に行ったセンパイ。不合格で、失意のドン底なのに法務省の真ん前で、W3のミッションリターン・スプリングが折れた。そのまま1速だけ使って自宅に帰り着いたところで電話。「オマエ、リターンスプリング持ってたな、貸してくれ」。

貸したスプリングは、当時すでに「NO LONGER」パーツで貴重品であった。なのでW3二台を連ね一緒に大田区の「浅場スプリング製作所」を訪ね、センパイは浅場さんにスプリング10個を3万円で特注した。当時「トライアンフの神様」と呼ばれていた、あの浅場さんである。
 しばらくして、センパイは「利子を付けて返す」と言って、スプリングを2個、自分に手渡してくれた。

今般、その10個のスプリングと40余年ぶりに相まみえた、、、。

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この夏の少し前、そのセンパイから、久しぶりに電話があった。
「自分はバイクを降りる。ついてはバイクの引き取り先を探してくれ。転売目的の輩ではなく、自分で修理しつつ慈しんで乗ってくれる買主を希望する。値段はどうでも良い」

「その件、謹んで承りました」

「予備の部品がたくさんある。オマエに全部やるから引き取ってくれ」

「いやいやいや、自分のハンガーにも部品はテンコ盛りで、もう置き場はありません、むしろ自分が終活/断捨離したいくらいの状況で」

「そんなら売っぱらってカネに換えれば良い」

「そんなカネを受け取るワケには参りません」

「ではどうしたら良いかな?」

「処分して得たおカネをクラブの後輩にでも寄付したら良いんじゃないでしょうか」

「そりゃーーーーー良い考えだ。そうしよう。是非そうしてくれ」

センパイ宅から引き取ってきた部品たち

面倒なことにはなったが、自分とセンパイとの縁を考えると、仕方ない。
部品、まとめて売ればラクだけど、売値が安くなってしまうからひとつひとつヤフオクで売るしかない。

例えばガソリンタンク。
パーツクリーナで汚れを落とし、ワックスかけて磨く。
光の当て方を工夫して、一眼レフでできるだけ綺麗な出品写真を撮る。この「テカり」が重要なのだ。

このタンク一個だけで7万円近い値段で落札された。

タンク内部に内視鏡スコープをつっこんで撮影し、内部に錆びのないことの証拠写真をつける。そうすれば入札が増える。

近時、ヤフオクでは「3N」が当たり前だが、売主もW乗り、代理出品の自分もW乗り、入札者もW乗りだから、仁義ってもんがある。詳細に状況を説明し、気に入らなければ返品/返金可、で出品した。
 梱包は2重梱包。段ボール箱を2重にして、スキマにクッション材をギュウ詰めして。買い手のW乗りに届ける。

最後のミッションは、動画撮影。
部品の売却金は、クラブの乗鞍/秋合宿の宴会の際に簡易な贈呈式をやって、その状況をビデオ撮影して、You Tubeに限定公開でアップして、センパイにURLを送って伝えた。大層喜んでくれて良かった。これで今回のミッション遂行は完結。

寄付金贈呈式の動画撮影でも、他者から受けた厚情に対して素直にお礼を言える人と、そうでないヤカラがいる。それはそれぞれの人間の「器量」ってもんだから、如何ともし難い。しかしながらクダラン発言の部分は動画編集でカットするというひと手間を余計に要した。

ともあれ、まだまだ未処分の部品がたくさん残っており、これらも追々、オク売りして来年の秋合宿で、また後輩どもに寄付をせねばならん。

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乗鞍/秋合宿からの帰路。
無事、ミッション完了ってことで安堵。
晴れ晴れとしたキモチで峠を下る。

後輩どもから「センパイ、一緒に走りましょう」と誘われたが、丁重に固辞。

彼らは峠道を走るのが楽しい。バイクをコントロールするのが楽しい。速度の快感が楽しい。
それは、峠道下りがあっという間に終わってしまう、ということを帰結する。当然のことながら。

これに対して、自分の思いは、かつて某小説家が表現した「秋の信州をひとりバイクで旅するときに感じる、自分がその風景の一部になってしまったような錯覚」を、「一秒でも長く」味わいつつこの峠を下りたい、と云うところにある。したがってナナハンを駆りながら、他者から観ればその速度域は笑われるくらいの低速だ。

つまり、同じようにバイクを駆って峠を下りながら、ココロの内のベクトルは全く逆の方向を向いている。まだ若き後輩どもと、すっかりジジイになった自分と。相容れるものはないのだから、仕方ない。

見上げる錦秋と冠雪の乗鞍岳

白樺峠の下りと木漏れ日

牛首峠

葉漏れ日の峠道

今回の旅の相棒は、この夏の炎天下、ヒーヒー言いながらキャリパーをOHしたZEP750

高原の道に秋は深まる・・・。

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今回の件で、横浜のセンパイ宅に何度も通った。
売却を依頼されたバイクの状態検分、買主との交渉立ち会い、引き取り立ち会い、パーツ引き取り。
でも、自分を信頼してくれて、大切なバイクとパーツの処分を託されたことは名誉なことであって、センパイとのキズナをむしろ嬉しく感じた。

センパイを車の助手席に乗せて自宅に送る途中、問うた。
「センパイ、我々はあの昭和の時代、どうして司法試験なんてものに挑んだのでしょうか」
「そりゃむちゃくちゃ難しいからだろ。高い山に登りたがる登山者と同じだ。今の時代の受験生は可哀想だよ。極端に簡単な試験になっちまって・・・」

・・・即答であった。

平成の時代の小泉さんによる司法制度改革にはじまり、令和の時代の司法試験は5年間で5回までという受験制限があり、その制限内での「累積合格率」はほぼ「8割」である(大学で法学系既修者の場合)。

法科大学院(ロースクール)を出れば8割の人は合格できるとはいえ、そのために大学卒業後、さらに2年間の時間と200万近い学費が必要となるし、合格しても弁護士激増/過当競争によりメシを食って行くのも容易でない。そんなローリスク・ローリターンには夢も希望もなく、したがって法曹志望者/司法試験受験者は激減した。結果、この記事のように「法曹志望者の確保」が急務の時代になった。

「昔は良かった」などと云うつもりは毛頭ない。
しかし昭和は遠くなりつつある。