耐空検査&TABチェック完了、今期運航開始2015年12月04日 15:19

事務所の執務机の上で自家用動力滑空機のピトー管カバーの破れを繕っているベンゴシはたぶん日本では小職ひとりだけ、であろう。・・・と考えると、この営みは続けねばならんのだろう・・・。全てを捨てればラクになれるのだろうが、そうもいかん。煩悩である。

機体カバーの点検。2,3箇所にホツレ、破れを発見。今年も運航する以上は野外係留だから、これも必須作業・・・。

マイミシンでホツレを繕う。冷え込む冬の夜のハンガーにて・・・これもTodo、Should。

仕上がりは汚いが、要は雨を防げれば良い。とても大変な作業。なにしろ片翼7m分もあるので、破れた箇所をミシン針の下に持ってくるのに時間と手間がかかるのです。

快晴の冬空の下、ハンガーアウト作業。

主翼2枚から運搬開始・・・

休憩お茶会。整備の皆様、毎度ありがとうございます。

M田師匠が翼端持ち、シャチョーさんまで駆り出されて・・・

組立て完了。舵角寸度の測定など耐空検査作業。

日大航空部奥平監督を嫌がるさんちゃん

エンジン試運転、地上滑走テスト、コンパススイング

翌日、テストフライト。主任整備士君、同乗にて

エンジン計器の指示は悪くない・・・

小雨の降る中、さらにTABチェックフライト。あちこちのFSや空港タワーと通信設定、交信テスト。あいにくの空模様で視程悪く、まっ白。

着陸後、プラグのチェック。異常なし。

25Bの居なくなったハンガーはサミシイ。RC機を置いてみる。

・・・ということで今期の運行を開始しました。

アメリカ陸単修行の想ひ出2015年12月10日 14:08

37歳の頃のことだが、核心的部分については強く印象に残っている。時は1998年1月2日、初単独飛行に出る6日ほど前、場所はサンノゼReid hill view 空港近郊、「フレージャーレイク」airpark。


小さなグラスのプライベート。今から考えるとサイズも雰囲気も「応答無え飛行場」にソックリだ。脇に水上機用の水路があって、それが利根川みたいで。
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「本当はね、ペラに小石がヒットしたりするから、社長にバレるとマズいんですけどね」・・・
OZA CFIはそんなふうに言いながら、僕をフレージャーレイクに連れて行って、一緒に着陸した。アクチュアルの、はじめてのグラスLanding。
フカフカの芝の上に、そっと降りた。

以下、当時の記憶のままに(日本語英語ちゃんぽんですが)。
・ショート&グラスだからね。
 一番に大切なことはUSE Full length of Runway
・Apply Full Blake、Set Flap 10 dig ,Control all the way back, 
 Apply full power, maximam スラスト、リリースblake, GO!!!
・エレベータフルバックはね、凸凹グラスでノーズが痛みやすいからだね。
・速度が乗ってノーズが浮いたらニュートラルに戻すよ。
・ほい、ここでエアボーン、しばらくRunwayと平行で、同じ高さで飛ぶよ
・Pick-up air speed・・・機速を乗せるんだ。ここが一番のポイントだよ
・Flap UP・・・
・高度は主翼の半分の高さを維持だよ。
・グランドエフェクト使うんだ、わかってるよね?
・理由、知ってる?主翼の下に、空気のコンプレッションエリアが
 できるんだ。
・だから高すぎるのはダメだよ。高度2、3m
・機速乗ったね、そしたらEstablish VX attitude・・・

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なんでこんなことをここに書くかというと、先日、催された某航空関連団体主催の某安全操縦講習会のこと。来春に予定する特操審(FAA的にはバイアニュアル)に備えて出席した。

そこで、某講師の方と事故機の機長氏から、某グラス場外離着陸場での離陸事故(エアボーン直後に墜落)の経緯、原因について説明があった。曰く、
・滑走路の途中から離陸しようとしたが、F/Sから全長を使ったら、と
 示唆され、それにしたがった。
・いくつかの予定外の行動が発生したので焦って注意力散漫になった。
・手がフラップレバーにうっかり触ってしまった。

う~む。
航空関係を担当分野とする弁護士としては異論がある。
その事故原因説明は、「核心」をはずしていませんか?と。

季節は真夏に近い7月も終わり、慣れないグラス&ショートからの離陸・・・4人搭乗、フルタンクだとすると、まず一番最初に指摘するべきは、Density altidudeではないか、と。
 僕が講師であれば、まずその点を指摘して、下記の動画を出席者に見せるだろう。
なぜ、離陸前、搭乗者みんなの笑顔が、顔面血に染まったのか?
それを考えてもらう。

そして次に重要なのは、上記のグラス&ショートTake/offのProcedure。

端的には、この事故は、
・密度高度を意識してガスを抜くか搭乗者を減らし、
・グラス&ショートのProcedureを確実に履行していれば、

回避することができた。

・・・この2点に集約するのが正しい分析であるように思う。

この件についての事故調報告はまだ出ていないけれども、そういう内容で出るのではないか、と予測している。

いずれにせよ、今回の安全講習会で、「密度高度」のことや「グラス&ショートTake off Procedure」について全く言及がなかったのは、ちょっと寂しいな、と感じた。

しかし振り返って考えてみると、日本の陸単訓練シラバスで「グラス&ショートのProcedure」を教えて、アクチャルで訓練生に経験させる、というのはあるのだろうか?もしかしたらそのへんは手薄なのかも知れない。
 グラスの滑空場で飛ぶのが当たり前の曳航パイロットと、ペイブドRunwayしか知らないヒコーキの世界。グライダー/動力滑空機と、陸単セスナの世界の間には、意外と深い溝がある。
 板倉や関宿でセスナが場外とってアクチャルのグラスLanding/Take offを練習している、という風景は見たことがないし。
 であれば、関宿でも板倉にでも行って「ちょっとセスナで場外とって練習しにいくから、離着陸練習やらせて」と言う形で実現するのが理想ではあるのだが・・・。
 しかし万一、事故でもおきたら、即、場外離着陸場存亡の危機に発展するのが我が国ゼネアビ界の通例だろうから、それも期待はできない。

・・・ということで、日本の多くのパイロットは、「グラス&ショートのProcedure」についての知識も経験も不足するまま、いきなりアクチャルでやらざるを得ない、ということになるのだろう。そこが事故の本質と言えば本質ではある。

ついでに言うと、件の講習会では、Gear UP Landing事故が多発している、という報告があった。必ずギアを降ろして着陸しましょう、と講師の方がコメントした。これも「アレ?」である。
 それはそうなんだけれども、ギアの下ろし忘れをしないために、どういう工夫があるのか?、に言及がなかったのは少々サミシい。 
 FAA的には、D/Wでの「GUMPS」チェックが常識である。「U」ってなんだったっけ?あ、アンダーキャリッジ=脚だ。ここで気づく。
 くだんのOZA教官は、「固定脚セスナでもボナンザでもアローでも双発
トラベルエアでも、とにかくD/Wで「GUMPS」、僕らCFI(教官)は乗る機体を選べないからね」と言っていた。

こんなことを書くと、また「FAAかぶれ」とか言われそうだ。でもそうではない。

日本の操縦教育は、実戦的・基礎的なことが足らない割に、重箱の隅をつつくの感を拭えない。そんなことを教えるより、もっと先に教えることはたくさんあるだろう、といつも思う。そして先輩、教官の教えであれば合理性を問わず、金科玉条として連綿と後輩に継承されていく・・・。

         「何が合理的か?自分の頭で考える」

アメリカ陸単修行の成果をただ一つだけ挙げよ、と言われたなら、僕はそう答える。教官が言うから先輩が言うから正しい、のではない。

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どうして、あの頃の訓練のことは、こんなにも記憶が鮮明なんだろう??、と考えたら、それはやはり訓練の最初期段階で、僕が情熱のカタマリだったから、と結論する。教わったことは水が吸い込むように覚えた。逆に言うと、ある程度飛べるようになってしまえば、もう教訓を得るのはムツカシイ。「鉄は熱いうちに打て」という言葉が身に染みる。
 もし僕がこの先、25Bで無事にフライトを全うできるとしたら、飛行訓練の最初期の段階で、僕に「合理的な基本」をたたき込んでくれたふたりのCFIのおかげ、と言えるだろう。OZA CFIと、KIYO CFI。その節は誠にありがとうございました・・・。

てなわけで。
無事、今シーズンの運行を開始しました。

まだローカルをウロウロしている段階です。

最近ヤケに夕日に感傷的になるのはトシのせいか・・・

沈み往く夕日に我が身を重ねる。

あの雲、あの空のモトに、誰しもいつかは還るのだろう・・・

M田師匠の作業を見学。単座のギア回り・・・

小学5年生の頃に購入したエンヤ09Ⅲ型。そろそろ寿命のようだ。Ⅳ型に載せ替えを検討中・・・

深夜まで25Bの居なくなったハンガーでギター&ピアノ遊びに興ずる。

ではまた来週・・・。

僕の模型ヒコーキdays2015年12月17日 18:04

自宅リビングのステレオから、「ハイケンスのセレナーデ」のメロディが流れていた。小5の兄が学校の音楽の授業で聴いて気に入り、EP盤を買ってきたのだと思う。小学校4年に上がる前の春休みだから小職8歳の頃のこと・・・。

 いつも立ち読みしている書店で、衝撃の出会いがあった。見つけた本は「ラジ技」。ラジオコントールで模型ヒコーキを制御する世界に、なんとなく気づいてはいたが、眼前にその世界を提示されて、異常に興奮した。早速購入して、端から端まで熟読した。何日も何日も・・・。当時の通信簿の通信欄に、担任の先生は「息子さんは学校でラジ技を読んでます」と書いた。

次に取った行動は、どうしても現物を見たい、ということ。とりわけ、その製作現場。小学4年生の僕は、電車賃を握りしめて、ラジ技に広告が載っている模型店を、いくつも訪問して歩いた。荻窪ニットー教材、生田模型、三鷹トリオ商会、四谷みどりや、新大久保「ぶんけん」、その他多数・・・。

多くのお店は部品や機体キットを売っているだけで模型ヒコーキの構造や製作の現場に直に接することはできなかった。そして送受信機などはショーケースに収まっていた。当時、月収500円の僕から見て、ショーケース越しに見つめる3万円のラジオセットは天文学的金額に思えた・・・。「ラジコンやると身上つぶす」と言われた昭和の時代。
 そうやってあちこち訪問しているうちに、自宅から歩いても行ける高円寺界隈に、1軒の模型店「T塚模型」に辿り着いた。間口1軒の小さな模型店。でも中は本当に凄くて、店主がお客から注文を受けて製作中の大型スケール機や、高級なラジオメカ、エンジンなどが並んでいた。店主のオジサンも気さくで、幼い僕の訪問を疎んじることもなく、むしろ便利な子供だと思ってくれたように思う。
 僕はそのお店に「丁稚奉公」として出入りするようになり、毎日のように通っては、お店の雑務をお手伝いするようになった。店主が外出するときの電話番、通信販売で売れた品物を駅に届ける仕事、細々とした買い物、上客の人の送信機の手入れ・掃除(お客さんの送信機を触らせてもらうときは、天国にも昇るような幸せな時間であった)・・・。「ここ接着するから、ちょっとそっち持っててくれ」とか。来店したお客と店主の間に交わされる専門用語だらけの会話は、一言も聞き漏らさぬよう、耳をそばだてて聴いていた。
 そしてその雑務の傍ら、店主が僕の目の前で見せてくれる、模型飛行機製作の実際(それはそれは巧みの職人技であった)。
 僕はそんなふうにして、RC模型ヒコーキ製作に関するあらゆる知識を吸収していった。材料(バルサ、檜、桜材、アルミ板、真鍮)、木工、加工、接着(セルロース、エポキシ、木工ボンド)、あらゆる工具類の取扱い、絹張り、塗装、メカ積み/リンケージ、模型エンジンの取扱い、手入れ・・・。 

今、僕が実機の動力滑空機シャイベ・ファルケ/SF-25Bを整備・修理するとき、こんなふうにして幼い頃に学んだ模型工作の技術が確かに息づいていると感じる。

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その頃購入した、エンヤ09Ⅲ型。当時の金額で3000円ほど。ということは月収500円だと半年分のコヅカイをつぎ込んだことになる。

右がⅢ型。左がⅣ型。SNVのニードルがついてます。
50年近く昔、今日の日と同じように、小学4年生の僕がこのエンジンのネジを締めたり緩めたりしていたのだ、と思うとなんだか感慨無量・・・。

さすがに50年近く昔のエンジンは老朽化し、今般、Ⅳ型に積み替え。

プロポを新調しました。

最新のデジタルコンピュータプロポ、複雑怪奇な機能テンコ盛りの取説と格闘中。

リポバッテリの充電もデジタルコンピュータチャージャーで。

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僕が小学生の頃、高校生として同じく「T塚模型店」に通っていたというS水さんは僕の模型飛行機のお師匠さん。3年もの時間をかけた渾身の一作、「神風号」。重量24Kg、フルスクラッチビルド、MOKI/150ラジアルエンジン。

S水師匠は、全日本スケールF4C/2008年大会の覇者、日本チャンピオンでもあります。製作技術は言うに及ばず、実機資料の収集/検討と再現技法、そして卓越したフライト技術がないと優勝はできません。

S水師匠のご自宅は、壁にもヒコーキ。

TVの上にもヒコーキ。

天井にもヒコーキ。

トイレにもヒコーキ・・・。

おびただしい量の在庫部品は細かく分類され管理されている。

PCと接続できる旋盤とかフライス盤とか、工作設備も充実・・・

ああ。
だけど、僕が作りかけたヒコーキはついにあの空を飛ぶことがなかった。小学生にとっては、あまりにも敷居の高い世界だった。金銭的にも工作技術についても、あらゆる点において。

遠い遠い昔、郷愁の少年の日々、僕の模型ヒコーキdays・・・。

あの春の日、確かに僕の家にはハイケンスのセレナーデが流れていた・・・。

小さな「人生の宿題」2題コンプリート2015年12月25日 14:39

飛行場に珍しいお客さま来訪。メッサーシュミット3輪車。練馬区から4時間かけて・・・
 なんと、「日大/木村研」ゆかりの方々でした。模型飛行機談義から大学で製作した自作軽飛行機のこと、木村秀政先生の思い出話など、盛り上がりました。

シャチョー、M田師匠も寄ってきます。

興味津々の様子です。

さて・・・。
     小さな「人生の宿題 そのⅠ エアロモービル運用」。

懐かしのミズホ/ピコ6からQRP/1WでQRVしようと。まずはSWRアナライザでアンテナの調整から。

50.200付近でSWR=1.2なのでまあ良しとしよう。

目の前をLandingする907Bを待ってホールディング at R25

ひとりで操縦しながらひとりで無線のOPをするのは楽しい。エンジンを回しているとノイズが電波に乗るので、基本はrpmデッドアイドル、のんびりとサーマルゲットしながら。危険なことはいたしません。
 成果としては50Mhzで渡良瀬遊水池移動の局長さん1局のみ。冬場の6mは閑古鳥が鳴いております・・・。


  小さな「人生の宿題 そのⅡ ハンガー庭でRCヒコーキを飛ばす」

この土地を見つけた8年前から、その構想はありました。さすがにノイジーなエンジン機は無理なので電動RCについていろいろ勉強しました。モーターとかリポバッテリのチャージとかKV値とかワットメータとかBECのプログラムとか。プロポ設定もいろいろ面倒で、THRにリバースかけてエルロンレバーをラダーに割り当て、ラダーからエルロンへミキシングかけて、各舵にEXP入れてDual入れて・・・etc。
 機体は10年くらい昔、存命中だった亡父と一緒にアキバ/フタバ産業にて買い求めた「パイオニア モデルクラフト スパローJr」。この日、ようやく穏やかな冬の空に飛び立ちました。この小さな夢を実現するまでに、なにやかや、1年ほどかかりました。

エンヤ09Ⅳ型に換装した「プレイリー号」のエンジン調整。

今フライアブルなのはこの3機だけです。

夜はクラブの忘年会に参加

この日も美しい夕焼けでした。鉄塔と富士山と。ナナメの線はHF5バンド/ワイヤDPです。フルサイズに近いのでさすがによく飛びます。ハンガーに2ndシャックの固定局を開局し100W運用をしているので、国内は8エリアから6エリアまで交信可。

てなことで、また来週(クリスマス→お正月休暇に突入)・・・。