アメリカ陸単修行の想ひ出2015年12月10日 14:08

37歳の頃のことだが、核心的部分については強く印象に残っている。時は1998年1月2日、初単独飛行に出る6日ほど前、場所はサンノゼReid hill view 空港近郊、「フレージャーレイク」airpark。


小さなグラスのプライベート。今から考えるとサイズも雰囲気も「応答無え飛行場」にソックリだ。脇に水上機用の水路があって、それが利根川みたいで。
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「本当はね、ペラに小石がヒットしたりするから、社長にバレるとマズいんですけどね」・・・
OZA CFIはそんなふうに言いながら、僕をフレージャーレイクに連れて行って、一緒に着陸した。アクチュアルの、はじめてのグラスLanding。
フカフカの芝の上に、そっと降りた。

以下、当時の記憶のままに(日本語英語ちゃんぽんですが)。
・ショート&グラスだからね。
 一番に大切なことはUSE Full length of Runway
・Apply Full Blake、Set Flap 10 dig ,Control all the way back, 
 Apply full power, maximam スラスト、リリースblake, GO!!!
・エレベータフルバックはね、凸凹グラスでノーズが痛みやすいからだね。
・速度が乗ってノーズが浮いたらニュートラルに戻すよ。
・ほい、ここでエアボーン、しばらくRunwayと平行で、同じ高さで飛ぶよ
・Pick-up air speed・・・機速を乗せるんだ。ここが一番のポイントだよ
・Flap UP・・・
・高度は主翼の半分の高さを維持だよ。
・グランドエフェクト使うんだ、わかってるよね?
・理由、知ってる?主翼の下に、空気のコンプレッションエリアが
 できるんだ。
・だから高すぎるのはダメだよ。高度2、3m
・機速乗ったね、そしたらEstablish VX attitude・・・

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なんでこんなことをここに書くかというと、先日、催された某航空関連団体主催の某安全操縦講習会のこと。来春に予定する特操審(FAA的にはバイアニュアル)に備えて出席した。

そこで、某講師の方と事故機の機長氏から、某グラス場外離着陸場での離陸事故(エアボーン直後に墜落)の経緯、原因について説明があった。曰く、
・滑走路の途中から離陸しようとしたが、F/Sから全長を使ったら、と
 示唆され、それにしたがった。
・いくつかの予定外の行動が発生したので焦って注意力散漫になった。
・手がフラップレバーにうっかり触ってしまった。

う~む。
航空関係を担当分野とする弁護士としては異論がある。
その事故原因説明は、「核心」をはずしていませんか?と。

季節は真夏に近い7月も終わり、慣れないグラス&ショートからの離陸・・・4人搭乗、フルタンクだとすると、まず一番最初に指摘するべきは、Density altidudeではないか、と。
 僕が講師であれば、まずその点を指摘して、下記の動画を出席者に見せるだろう。
なぜ、離陸前、搭乗者みんなの笑顔が、顔面血に染まったのか?
それを考えてもらう。

そして次に重要なのは、上記のグラス&ショートTake/offのProcedure。

端的には、この事故は、
・密度高度を意識してガスを抜くか搭乗者を減らし、
・グラス&ショートのProcedureを確実に履行していれば、

回避することができた。

・・・この2点に集約するのが正しい分析であるように思う。

この件についての事故調報告はまだ出ていないけれども、そういう内容で出るのではないか、と予測している。

いずれにせよ、今回の安全講習会で、「密度高度」のことや「グラス&ショートTake off Procedure」について全く言及がなかったのは、ちょっと寂しいな、と感じた。

しかし振り返って考えてみると、日本の陸単訓練シラバスで「グラス&ショートのProcedure」を教えて、アクチャルで訓練生に経験させる、というのはあるのだろうか?もしかしたらそのへんは手薄なのかも知れない。
 グラスの滑空場で飛ぶのが当たり前の曳航パイロットと、ペイブドRunwayしか知らないヒコーキの世界。グライダー/動力滑空機と、陸単セスナの世界の間には、意外と深い溝がある。
 板倉や関宿でセスナが場外とってアクチャルのグラスLanding/Take offを練習している、という風景は見たことがないし。
 であれば、関宿でも板倉にでも行って「ちょっとセスナで場外とって練習しにいくから、離着陸練習やらせて」と言う形で実現するのが理想ではあるのだが・・・。
 しかし万一、事故でもおきたら、即、場外離着陸場存亡の危機に発展するのが我が国ゼネアビ界の通例だろうから、それも期待はできない。

・・・ということで、日本の多くのパイロットは、「グラス&ショートのProcedure」についての知識も経験も不足するまま、いきなりアクチャルでやらざるを得ない、ということになるのだろう。そこが事故の本質と言えば本質ではある。

ついでに言うと、件の講習会では、Gear UP Landing事故が多発している、という報告があった。必ずギアを降ろして着陸しましょう、と講師の方がコメントした。これも「アレ?」である。
 それはそうなんだけれども、ギアの下ろし忘れをしないために、どういう工夫があるのか?、に言及がなかったのは少々サミシい。 
 FAA的には、D/Wでの「GUMPS」チェックが常識である。「U」ってなんだったっけ?あ、アンダーキャリッジ=脚だ。ここで気づく。
 くだんのOZA教官は、「固定脚セスナでもボナンザでもアローでも双発
トラベルエアでも、とにかくD/Wで「GUMPS」、僕らCFI(教官)は乗る機体を選べないからね」と言っていた。

こんなことを書くと、また「FAAかぶれ」とか言われそうだ。でもそうではない。

日本の操縦教育は、実戦的・基礎的なことが足らない割に、重箱の隅をつつくの感を拭えない。そんなことを教えるより、もっと先に教えることはたくさんあるだろう、といつも思う。そして先輩、教官の教えであれば合理性を問わず、金科玉条として連綿と後輩に継承されていく・・・。

         「何が合理的か?自分の頭で考える」

アメリカ陸単修行の成果をただ一つだけ挙げよ、と言われたなら、僕はそう答える。教官が言うから先輩が言うから正しい、のではない。

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どうして、あの頃の訓練のことは、こんなにも記憶が鮮明なんだろう??、と考えたら、それはやはり訓練の最初期段階で、僕が情熱のカタマリだったから、と結論する。教わったことは水が吸い込むように覚えた。逆に言うと、ある程度飛べるようになってしまえば、もう教訓を得るのはムツカシイ。「鉄は熱いうちに打て」という言葉が身に染みる。
 もし僕がこの先、25Bで無事にフライトを全うできるとしたら、飛行訓練の最初期の段階で、僕に「合理的な基本」をたたき込んでくれたふたりのCFIのおかげ、と言えるだろう。OZA CFIと、KIYO CFI。その節は誠にありがとうございました・・・。

てなわけで。
無事、今シーズンの運行を開始しました。

まだローカルをウロウロしている段階です。

最近ヤケに夕日に感傷的になるのはトシのせいか・・・

沈み往く夕日に我が身を重ねる。

あの雲、あの空のモトに、誰しもいつかは還るのだろう・・・

M田師匠の作業を見学。単座のギア回り・・・

小学5年生の頃に購入したエンヤ09Ⅲ型。そろそろ寿命のようだ。Ⅳ型に載せ替えを検討中・・・

深夜まで25Bの居なくなったハンガーでギター&ピアノ遊びに興ずる。

ではまた来週・・・。