PIC/SOLO・・・ 描かれざる「カテゴリー3」の人2016年05月26日 11:16

自分にとって「SOLO」であることは、とても重要。忽せにできないこと。
 自分で自分を支え切り(経済的にも身体的にもメンタルでも)、自分ひとりで人生を楽しむことができ、他人に何かを期待することはせず、全てを自分ひとりで決め、全責任を自分で負う。常々、自分はそうありたい、と願っている。 
 そんなふうな「SOLO」への指向性は実生活にも反映され、誰にも雇われない/誰も雇わない、を実践しているし、ツーリングも基本、一人だけで行く。

 ところが、2年前に受けた「特操審」(FAA的にはバイアニュアル)の期限が本年3月15日なのに、2月末に骨折し全治4週間のギブス着用となっちゃった。その時点で「SOLO」資格喪失が確定だ。
 ログで調べたら2005年6月18日以降、維持してきた「PIC/SOLO」資格を11年ぶりに失うことになる。これは由々しき事態だ。

・・・てなことで、飛行場再開、教官 vs 教官の技量錬成/確認訓練完了の直後に、間髪を入れずに「SOLO/PIC」資格復活のための訓練をアサインしてもらった。

最初の1発目は、チョット人相風体に難あるものの腕は(超)一級のこの方、そめなか教官・・・。

2発目は、端正なお姿、物腰で「プリンス」の呼び声高い、ふじぬま教官。

3発目は、地上ではジェントルだが空に上がると、若干、性格が変わる某大学航空部監督の、こいけ教官。

 それぞれに個性溢れる3人の凶状持ち・・・じゃなかった教証持ちの皆さんの、極めてアリガたく、かつ愛情溢れるご指導のもと、計3時間弱のフライト訓練で汗を流しました。
 STEEP TURN、NOMAL STALL、APP STALL、 DEP STALL、Turning STALL、 MCA、STALL Awareness、RECOVERY FROM UNUSUAL ATTITUDEなどなど・・・。
 こんな感じのマニューバ系訓練を何十回も繰り返し、TGL/GAも繰り返して、バイアニュアルチェックを完了。無事、SOLO/PIC資格を回復した次第です。

クラブハウスのウッドデッキにて。タヌ○パのハムストリングスをストレッチするのだが・・・。お腹の大量ゼイ肉がジャマでストレッチができないっ!

同2。如何ともしがたい。

訓練の合間、ヒコーキのハネの下でノンビリするのもオツなものだ。

M田師匠の手の動きがステキ。

M田師匠の手、そのⅡ。

そしてこの日も美しい夕焼けでした・・・。

    *******    描かれざる「カテゴリー3」の人  ********

朝日新聞 朝刊 沢木耕太郎さん、ボクシング小説「春に散る」

高校タイトル総なめの翔吾君ですが、1年ぶりの再起戦がなんとOPBFノンタイトル戦だ。本日26日付朝刊では、華麗なヒット&アウエーで判定勝ち模様の展開。しかしそうは簡単に問屋が降ろさんぞ。明日以降、波乱含みの展開と予想しております・・・。

さて、リング外の観客席から、翔吾のセコンドについたサセケン、次郎さん、キッドの3人に対して「ジジイ」「年寄りの死に水」のヤジが飛びます。ここにいくつかの人間のカテゴライズが描写されている、と僕は感じました。

まず、リングに立つことの意味すら考えてない、ただ天賦の才と人生の流れのままに戦う、若きボクサー翔吾。彼はカテゴリー「外」であります。

カテゴリー1は、言うまでもなく、仁さん。主人公ですから。かつてリングに立ち戦った人であり、かつ、リング外のヤジを「歯牙にも掛けない」。むしろ「うまいこと言うな」と余裕で受け流す。熟成されています。

カテゴリー2はキッド。かつてボクサーであったけれど、リング外のヤジをどうしても許せず、観客をにらみつける。老境にはあるが、まだ人格の陶冶、錬成が足らない。達観できていない。逆に、まだ何かしらのエネルギーの燃え残りを抱えている。

カテゴリー3を飛ばして4。
これはヤジを飛ばしている人。「リングに立つ人と『立てない』自分」との間の、埋めがたい、遠い遠い距離の意味を、自らに問うこともしない「By-Stander」、単なる「傍観者」。 
 彼らの本質的悲劇(「喜劇」と言ってもいい)は、「ジジイ/死に水」系のヤジ発言からして、「人間(生物)は時間の経過にしたがい、トシを喰って劣化するか、さもなくば早死にするかのalternativeである」という絶対的真実の前では自分も例外ではない、という当たり前の事実に、全く思い至らない、というところにある。沢木さん一流のアイロニー、とでも言うべきか。

さて、このシーンで描かれざる「カテゴリー3」の人とは・・・?。

それは、「リングに立つ」人と、そうでない自分との間の距離の遠さを深く自覚し、その意味を真剣に自分に問い、己の至らなさと悔しさに唇を噛みしめつつ、息を殺してこの対戦を見つめている・・・そういう人、だ。
 その人は人生を賭けて会社を辞めようとしている人かも知れないし、自分にとって大切な演劇のオーディションを明日、受けようとしている人かも知れない。
 「自分にとっての人生のリングとは何なんだ???」と自問自答し、模索してやまない人・・・。きっとそういう人が、例えば1000人の観客の中に、何人かはいるのだ、と僕は思います。
 誰もがリングの中で、翔吾のように輝けるわけではない。だけど、自分にとっての「人生のリング」、それを追い求めてやまない人達がいる。

それにしても「竜の曳く車」というサブタイトルの意味は何なのだろう?

「車」というからには4輪。であれば、かつての四天王、仁さん、次郎さん、サセケン、キッド。すると「竜」とは翔吾自身を意味することになるのだろうか?。翔吾という逸材との出会いによって、老境にある4人が最後の輝きを放つ・・・。それが「竜の曳く車」というサブタイトルのイメージのように思えます。

明日、明後日の朝刊で、翔吾はKO勝ちすると思います。まだ実戦で出ていない、次郎さん仕込みのインサイドアッパー、そしてキッド直伝のキドニーブローが炸裂して。
 しかし、もちろん仁さん直伝のクロスカウンタは封印です。それが炸裂するのは、あくまで世界の高みに登るとき、そしてこの物語が終焉に近づくとき・・・。
 おそらく、仁さんの死は、唐突に訪れるのだろうと予測しています。何の前触れもなしに。翔吾は、世界チャンピオンの証であるベルトを、仁さんの墓前に捧げるのです・・・。