いろいろの備え2018年07月05日 10:44

昨年春の松つあんの記事を最後に、以後FBに移行した。
今般、追悼松つあん、というわけでもないけど、なんとなくブログを再開せねば、と思った。FBにあまり慣れない、というせいもある。書くことが冗長だし。

ハンガー当地は、基本的に真夏でもエアコンは要らない。
日中炎天下でも夜になれば田んぼを渡る南風が涼しく、扇風機をつけっぱなしで寝ると風邪をひいてしまうくらいだ。

しかし数年に1度くらい、深夜でも外気温=室温=30℃という熱帯夜が稀にあり、そういった夜ばかりは松つあん宅に避難し、エアコンの効いた部屋で寝かしてもらっていた。松つあん宅は成田空港R16/34のSID/STAR近辺にあり、松つあんは「空港騒音の関係でエアコンの助成金が出た」と喜んでいた。

去年の今頃の、松つあんの笑顔が懐かしい。


この頃、松つあんはデジタルプロポ制御回路にハマっていて、当職がヤフオク調達した古いラジ技(1965~1975)を持ち帰っては、次々に自作サーボを作っていた。
 松つあんのハナシによると、とにかく回路に工夫が凝らされていて、「1965年頃の初期のオービットの2電源方式が一番、動作がスムース」などとウンチクを語っては喜んでいた。このサーボ基板は今でも当ハンガーに置いてある。今では松つあんの遺品となってしまった、、、、、。

もう、暑くて寝られない夜でも、松つあん宅に避難できない。そこへ持ってきてこの異常とも言える6月中の梅雨明け。となると、最初のTODOは「真夏への備え」。

カネ出してエアコン業者に新しいエアコンつけて、と頼めば終わり、なんだけど、そうは行かない。
 手持ちのスポットエアコンで頑張ってみる。あとは創意工夫。M田さんの教えにしたがって。「道具と、材料と、自分のウデに相談すれば、おのずと答えは見えるでしょう?」。至言である。

とある「特段の事情」により、堂々と工場のアルミ板を無断で拝借し、設備/工具を自由に使える身分である。当面の間は。うはは。そうだよね、シャチョー。

JMGC工場のアルミ板切断機。こんな形状が1発で加工できる。

同じくアルミ板ベンダーも超便利。

バンド・ソーで細かい部分の切り抜き。

ドリル孔開け加工後、リベット止めして完成。「冷風下向きダクト」でした。

ついでにスポットエアコンの内部をクリーニング。

外壁ダクトの設置&コーキングも完了。
まあ、ここまでの作業で丸一日、かかってます。

次なるは「雨への備え」。戻り梅雨気味だし。
板材加工。

同貼り付け施工

キシラで防腐塗装。板材の肌色が異なるのでパッチワークみたいになってしまったが、良しとしよう。

一斗缶のキシラデコール。

M田さんとKa8。あれやこれやと細かい作業をしています。あまりにオタクな内容なので詳細省略。

しかしここは記事にせねばならん。
この切断した鉄パイプが神業!!の3次元加工&溶接ワザにより、ソリ下の防護板!に化ける!!

今回は以上。

とりえあえずWCサッカーはどうでも良い。それは23人/1億人の、遠い遠い世界のハナシ。ハンガー活動はひとり/ひとりなのだから・・・。

タマラン。

炎暑続く2018年07月12日 10:41

全水分を身体から追い出し、それに替わる新しい水分を補給して、身体中の水分を総交換した・・・と思えるほど、発汗した。

発汗は人間の動物としての重要機能であり、これを怠ると、その機能は確実に衰える。だから、与えられた機能は、使ってやらねばならん。使いすぎは禁物だが。人間として全うである、ということは、まず動物として全うである、というところから始めたい。

つまり「涼しい部屋で、エアコン効いて、楽ちんだーーー」と思うとき、その裏側で恐ろしい「身体機能の性能低下」が起きているのである。自分の性能低下は、できるだけ回避したいものだ。なるたけ高性能な自分を維持していければ、それだけ生きていくのが楽ちんなのだから。

ここに「良いことと、悪いことは、常に一対として存在する」という原理に到達する。これを「正負の法則」というらしい。

・・・てなことを考えながら、大汗かいて作業している間に、プロペラーカバーのミシン修理作業が完了した。
 こういう地道な作業が裏側にあってこそ、フライトシーズンに自分の機体を自由に飛ばせるという恩恵に浴することができるのだから、仕方ない。

仕上がり図。
人生もまた然りで、苦労やリスクテイク、努力と、それによって得た対価、果実は常にバランスする。
 友人関係や仕事、人間関係も同じだろう。他人に与えたものが、そのまま自分に還ってくるだけで。100円のパンが欲しければ、まず100円を与えなければならない。

しかして、その「均衡」は、他人からはまずもって見ることができない。見ることができるのは当の本人だけ。例えばサッカーW/C日本代表23人が、どれほどの対価と犠牲を払ってあのピッチに立っているのかを理解出来る「他人」は、たぶん日本中で100人くらいのものだろう。日本代表の当落選上ギリギリにいるJリーガーたち、だ。もちろんワタシにも見えない。だから想像するだけ。
 人は、自分の経験していないことは基本的に見えない。だから30の努力をした人は、100の努力をした人の、70の努力の部分は、見えない。
自分のガレージで、誰にも邪魔されず、ナナハンの整備/洗車をする・・・。そんな少年の日の夢も、現実のものとなってしまった・・・。夢は、かなうと現実になってしまい、夢でもなんでもなくなってしまう・・・。ZEP軽整備、車検出し。

シャッターの木部暫定修理。防水板の塗装。キシラ・デコール2回目。まだあと1回、塗らねばならぬ。1回塗るのに休み休み半日かかる。一度に塗りきる体力は、もうない。暑すぎ~。

飛行場への道をMD30で走る。鉄塔と、見上げた夏空に、タワー状CB。少年の日の憧憬。

タマラン。

炎暑続くⅡ2018年07月18日 19:41

松つあんとの記憶を辿り、PC内の写真を探していたら2010夏の、とても良い笑顔の写真が見つかった。この当時の松つあん、56歳。今のワシより2歳も若いではないか。ワシも終活をせねばなるまい。そんなことを考える。そういう年齢ではある。


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主翼リンケージ・アクセスハッチ周りの修理。

アクセスハッチの裏側。ドイツ語で何か書いてある。1971年とすると50年近く昔に書かれたものか・・・

ペイントクラックを削ると板継ぎ。レゾル・シノールの赤茶が見える。こういうところは何度パテを盛っても無駄。すぐパテ割れする。なのでFRP/グラス貼り作業を行う。

同じく。但し作業範囲は常にミニマムとする。範囲を広げない。テーマは常にピンポイントでなければならない。向こう1年、この25Bが飛ぶのか飛ばないのか。そこだけ。

FRPキット。

平行してハンガー&ハンガーハウスの環境整備作業。
ここ3年ほど、やらなくちゃやらなくちゃ・・・と考えていたシャッターのアーム取付け部を3㎜アルミ板で補強。この作業だけで半日を要す。

キシラ3回目塗布を終了。これで経過観察とする。

平行してバイク関係の作業。MD30のオイル交換。

スターターギア室に「マヨネーズ」はない。よしよし。

ZEP オイル交換

ネットでバルボリンを買える時代になった。ナンテ便利。しかしその一方でお店に買いに行く手間が省かれ、足腰が弱る。

故加藤隆士教官の遺品。JMGC/20th記念Tシャツ。数日前、当ハンガーを訪れた、とあるゆかりの方から頂戴した。空を飛ぶ者として空で命を落とすこともまた、想定内とせねばならない。などと自らを戒めつつ。合掌。

45年ぶりくらいにエッチングしてみた。

FCZクリコン基板。レジストペン替わりに青マッキーでマスクして、昔と同じ塩化第二鉄溶液で。

テスターを導通ブザーモードにしてランド間の導通チェック後、フラックスを塗布。

西日本が未曾有の豪雨災害に襲われ、ボランティアさんが活躍したり。
弁護士も死刑廃止や9条守れ、とかカルト宗教からの救済活動etcをする人がいたり。

こんなハンガー作業をしながら、フト、「ワシはこんなことやってていいのかな?」と思うことも、ないではない。

しかし「人はその人の一番トンガッた部分で生きるべし」というのが小職の持論である。
  動力滑空機を自分で整備修理して自分で操縦して飛び、その格納庫のメンテも自分でやってるという人は、おそらくこの日本にそうは居ないであろう。

であれば、自分の一番トンガッた部分とは、よーするにソコなんだから、ワシはこれでいーのだ、というのが一応の結論なのであった。

この道を行く。
タマラン。

炎暑続くⅢ2018年07月24日 15:14

旅の終わりに。

別にツーリングに行きたい、バイクで走りたい、というワケではなく。

自分はまだ、この炎天下、土日往復1000Kmのツーリングに耐えられる
バイク乗りなのかどうか。そのメンタル/フィジカルの性能を維持できているのかどうか。それを確認するために。

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早朝3時半起床、4時半発。東名道、由比PAにて

浜松ICからR42へ。外気温36度、DR650SE。

突き抜ける夏空の下。

太平洋を眺める昇り坂、伊良湖岬へ。

鳥羽フェリー埠頭

例年恒例、聖地巡礼

この場所に眠る後輩に、合掌。Tっつあん、この夏も、オレは来たよ。

40年前と何も変わらない。

この川の水を温い!と感じるほどの炎天 年に一度訪れる秘密のスポット

蝉の声

瀬音 

微動だにしない山

川遊びにつきあってくれた後輩君

バイク2台だけ置けるスペース。軽でも4輪は駐車不可。バイク乗りの特権

知多半島を走る。

学生時代のバイク仲間との、夏合宿に参加。三重県は尾鷲まで1泊2日1000km。

後輩達の多くも40台半ばから後半になった。かつて少年のようだった後輩諸君が、いつのまにやら父親っぽくなって、4輪で連れてきた子供らの面倒を見たりしている。

 自分の経験から言って、何ごとかをなし遂げるのに一単位10年はかかるとすれば、40台半ばから後半、という人生の時間帯は、最後のワンチャンスに賭けるか、賭けないか、その選択を迫られる年代という気がする。

 10年前の自分と重ね合わせ、彼らもまた彼らの人生の中で今、一番厳しく、苦しく、悩み多い時間の中を生きているのだろうか、などと考えていた。

 自分のために闘うも良し。家族のために諦めるも良し。別に何かをなしとげよう、なんて考える必要もないし。それぞれの決断に対して、他人の評価なんて、無用のものだ。

自分はその10年が過ぎてしまったので、あとは終活である。

タマラン。