二人の父・・・父を超える2020年06月22日 22:59

過日、6月21日/日曜日は世間的には父の日だったようだ。

我が家の長女長男は無事成長して家を出て行き、以後、用事がない限りなんらの連絡もない。これはスバラシイことだ。自分の世界で自分の生活に没頭している、ということの証だから。これをもって子育ても完結、オレの役目は終わったと開放感に浸っている。 「北の国から」のようなベタベタした親子関係は自分とは遠い世界のこと。

ホルソーで石膏ボードを切り抜き丸いプレートを作る。他方、穴ボコのあいた寝室の石膏ボードを同じように切り抜く。そこに丸プレートをハメ込み、ボンドで接着する。総数10カ所以上・・・。

数年前、長男がカンシャクを起こし蹴っとばして穴ボコがあいた石膏ボード壁の修理。子育ての日々を懐かしく想い出しつつ・・・。

******************************************************

                「二人の父」

一人はもちろん実父であり、私はこの人からいくつもの美徳を受け継いだ。職人気質、几帳面、手先の器用さ、きれい好き、掃除好き、完全主義、開放的な性格、幅広い交友関係、音楽好き。
 その中で最も強く自分に影響したのは父の「食い道楽」である。終戦直後の混乱期、食物配給が数か月止まり、ジャガイモ1個を家族7人で分け合う飢餓状態を経験した父は、戦後、その反動でモノを喰いまくり飲みまくり、あげく40代で肥満、痛風、高コレステetcで腎臓を病み、65歳から人工透析生活となって、84歳で没した。
 これを痛切な反面教師とするから、自分は基本的にモノが食えない。「食いすぎたら身体を壊して死ぬ」という因果律の呪縛から解放されることは、死ぬまでないだろう。

その実父は次男の私に対して、極端な放任主義であった。夏はゴルフ、冬はスキー三昧、昼飯から豪華なホテルランチ、夜はキャバレー遊び(本人はおどけて「チャバレー」と言っていた。ホステスさんからは「あーさん」と呼ばれていたらしい)。

高校3年の次男がどの大学を受けるのかも知らない。受かるのかどうかも知らないし心配もしない。その次男が今、大学何年なのかも判然としない。どこかに就職するのか?司法試験を受ける?なんだソレ?全く無関心。サテ、ゴルフだスキーだ。「オイ、オレは明朝飛行機で北海道ニセコにスキーに行くから、オマエ、車を運転してオレを羽田空港まで乗せてって」と。

******************************************************

父は壮年期に脱サラして、従業員10人規模のガス吸排気設備工事会社を起業したタタキ上げの人であった。昭和の時代、高度経済成長期であるから経営にそれほどの困難はなく、施工の受注は引きも切らさず、したがって父は当時としては確定申告時に税務署員も羨む高額所得者であり、朝は10時に会社に行って、製図板に向かって製図を描き、現場に出て作業を指示するなどして懸命に働き、夜は「会食」「チャバレー」、さもなくば6時くらいには帰宅して、満腹で動けなくなるまでメシを食い、酒をくらい、休日は全部ゴルフかスキー。カネも時間もある自由人であった。
 こういう父親を間近に観ていて、息子である自分が「やはりまっとうに就職したら、アカンな」というキモチになったのは当然の成り行きであっただろう。父は「雇われない生き方」を身をもって提示してくれたし、その潤沢な資金力で5年超に及ぶ私の司法浪人生活を支えてくれた。

******************************************************
もうひとりの父は「星一徹」(梶原一騎)である。

「巨人の星」のいちシーンが強く印象に残っている。
飛雄馬が父一徹に、路傍でボコボコに殴られるシーン(ちゃぶ台返しではない)。日課のランニングロードが道路工事中で、近道と遠回りの道があった。ついつい近道を選んだ少年の日の飛雄馬の眼前に現れた仁王立ちの父、一徹。飛雄馬は完膚なきまでにたたきのめされる。

https://blog.goo.ne.jp/stake43/e/ffd7d3d87673c79f053402b9bcedb667

近道と、遠回りの道。

我が出身の大学法学部は、就職するのに有利だ。私大最高レベルと言って良い。ゼイタクを言わなければ、どこの企業でもほぼ就職できる。実際、法学部生1000人のうち、980人は就職する道を選ぶ。 他方、残り20人だけが進む実力1本の苦しい遠回りの道。

就職する道と、司法試験への道。どちらを選ぶ?

この時、私は父一徹の声を確かに聞いたような気がする。実父ではなく。父一徹の。なにしろ実父はスキーだゴルフだ、チャバレーだ、という状況なワケで。

「楽な近道と、苦しい遠回りの道があるのなら、必ずや後者を選べ。この先もしお前が楽な道を選んだときは、その瞬間からもはや父子の縁はないものと思え」

父一徹は自宅のボロ長屋に取材に訪れた多数の記者に向けて言い放つ。「・・・のんべんだらりと生きているアンタら記者さんには到底ワカランことではあろうけれどもな。ふはは(冷笑)」

小学低学年であった私はこの時、「のんべんだらり」というコトバを初めて知った。そして「人生はのんべんだらりと生きてはいけない」と刷り込まれた。

そのようなワケで、未だに「オレは楽な道を選んでないか?のんべんだらりと生きてはいないか?」と自問することが多い。人様にはやれストイックだ、ガンバリ屋だと言われることもあるが、そうではなく、幼い日の「刷り込み」に未だに拘束され、そこから脱却できていない、というのが実態である。
げに、恐るべきは幼き日の刷り込みであろう。死ぬまでこの呪縛から解放されることはないような気がする。

だから家もDIYで建てにゃならんし、バイク、ヒコーキの整備/修理も自分でやらにゃならんし、音楽は聴くだけでなく練習して弾かにゃならんし、無線機は出来合いを買うだけでなく作らにゃならんし、ラジコンもARFではなくバルサキットを組んで絹張りウレタン仕上げをせにゃならんし、クルマもポンコツジムニーを買って修理塗装をせにゃならんし。もー大変である。

こういうハナシを友人に語り、あのマンガにはモノスゲー影響を受けたよなあ、と言うと「何だそりゃ?オマエ、バカじゃねーか」と言われることもたびたびである。

で、調べてみた。ネットを。そしたらあるわあるわ。同じように影響を受けた人が。中には上述のとおり「人生で大切なことは全て梶原一騎に教わった」というブログもあるので、ヒマな人は検索してみてください。
*****************************************************

自分も還暦になって、先輩友人同期後輩が一部上場企業の社長になったり、重役になったり、銀行の役員になったり、検事正になったり、裁判所所長になったり、巨大ローファームのパートナー弁護士になったり、イソ弁10人を抱える大事務所のボス弁になってたりする。

フト考えることがある。自分は父を超えたのだろうか?と。
父は10人規模の会社の社長だった。で、あれば自分は弁護士だから、イソ弁20人の事務所のボス弁にでもなれば父を超えたと言えるのか?

いや違う。

誰にも雇われない、誰も雇わない。
完全フリーランスのこの状況において、今自分は、父を超えたのだ、という気がしきりとする。10人とは言え、喰わしていかねばナラン従業員を抱えた経営者としての父の苦労は、近くで観ていても並大抵のものではなさそうだったから。

******************************************************

とまれ。
現在の自分に到るいくつもの人生の選択の中で、最大のものはやはり、司法試験への道だろう。しかしそれは本質ではない。核心は「就職はしない」というところにあったのだと感じる。

得るものは、捨てたモノに等しい。両者は必ずや均衡する。
何かを捨てねば、絶対に何かを得ることはできない。

還暦になった今、自分は自分の人生で何を捨てたのか?と自問するとき、一番大きな「捨てモノ」は、当時の学歴社会で、ゼイタク言わなければどこでも就職できる某私大法学部卒という肩書きではなかったのか、と。あのとき、自分はいったん、それを確かに捨てた。

肩書きを捨て、法学部卒業生1000人のうち20人だけが進む実力1本の苦しい遠回りの道を選べ、それでなくしてなんぞ人生ぞ、と強く背中を押したのは父星一徹(梶原一騎)であり、その道を往くことを経済的に支えてくれて、かつ、その道に耐えられるいくつもの美徳を自分に与えてくれたのは実父である。

だから私は今、二人の父に深く感謝している。
時折、未だ解けない呪縛を恨んだりもしつつ・・・。

******************************************************
14年前にポンコツJA22Wをヤフオクでウッカリ、ポチしてしまい、以後苦しい人生が続く・・・業者に任せてはダメ?ダメです。苦しい道を往きなさい。自分で直しなさいBy梶原一騎。

当時はガムテ仕様。

錆びボロ部分をエアソーで切り取ってとりあえず防錆剤POR15処理。

5、6年後、ようやくフタをした。ボンデ鋼板のリベット打ち+FRP。

いろいろな道具。

ポリパテじゃダメですか?
ダメですっ!!。エポキシ+フェノール使いなさい。苦しい道を往け!By星一徹。エポキシパテは硬くて、削るのが大変なんだよう・・・。

こんなもんでいいですか?
ダメ!もっとキレイに。苦しい道を選べ・・・By一徹。

同じく。やっとポリパテ。

パテの盛り&削りでプレス鉄板の段差を表現していく手間のかかる苦しい作業。一徹:それで良し!!

研いで、パテ盛って、削って研いで。

仕上がり・・・。まあまあ。一徹さん、これで許してくれるカナ?

てなことでJA22W DIY オールペン中・・・

今でも1日数回はこの曲の冒頭、哀調を帯びたストリングスとトランペットのファンファーレが頭の中で高らかに鳴り響く。
https://www.youtube.com/watch?v=-10trdg06YI

さっそく、コード進行も調べた。
https://www.ufret.jp/song.php?data=49261
グランドピアノでガナりながら弾き語りしております。
そのうち動画アップしようかな。

タマランです。