「ミッション遂行」2023年10月31日 10:27

同じ大学で
同じ学部で
同じバイクサークルに所属し
自分が1年生の時の4年生のセンパイで
同じカワサキ/W3というバイクを駆り、
卒業後は就職せず。
法曹の道、司法試験の道をともに志した。
自分はセンパイの背中を追い掛けるようにして司法浪人の道へ。
ともに昭和の時代の旧司法試験の辛酸を嘗め
合格後はともに法律実務家/弁護士として働き
30余年が経過した。
思えば、このセンパイと自分のつながりには、深い縁のようなものがあるのかも知れない。

司法浪人時代、センパイからの電話。
「飯田橋の予備校前にいる、W3のキャブからガソリンがダダ漏れだ。オマエ、フロートバルブ持ってたな。工具持って、チョット来てくれねえか」

あるときは、司法試験の合格発表をW3に乗って見に行ったセンパイ。不合格で、失意のドン底なのに法務省の真ん前で、W3のミッションリターン・スプリングが折れた。そのまま1速だけ使って自宅に帰り着いたところで電話。「オマエ、リターンスプリング持ってたな、貸してくれ」。

貸したスプリングは、当時すでに「NO LONGER」パーツで貴重品であった。なのでW3二台を連ね一緒に大田区の「浅場スプリング製作所」を訪ね、センパイは浅場さんにスプリング10個を3万円で特注した。当時「トライアンフの神様」と呼ばれていた、あの浅場さんである。
 しばらくして、センパイは「利子を付けて返す」と言って、スプリングを2個、自分に手渡してくれた。

今般、その10個のスプリングと40余年ぶりに相まみえた、、、。

*****************************************************

この夏の少し前、そのセンパイから、久しぶりに電話があった。
「自分はバイクを降りる。ついてはバイクの引き取り先を探してくれ。転売目的の輩ではなく、自分で修理しつつ慈しんで乗ってくれる買主を希望する。値段はどうでも良い」

「その件、謹んで承りました」

「予備の部品がたくさんある。オマエに全部やるから引き取ってくれ」

「いやいやいや、自分のハンガーにも部品はテンコ盛りで、もう置き場はありません、むしろ自分が終活/断捨離したいくらいの状況で」

「そんなら売っぱらってカネに換えれば良い」

「そんなカネを受け取るワケには参りません」

「ではどうしたら良いかな?」

「処分して得たおカネをクラブの後輩にでも寄付したら良いんじゃないでしょうか」

「そりゃーーーーー良い考えだ。そうしよう。是非そうしてくれ」

センパイ宅から引き取ってきた部品たち

面倒なことにはなったが、自分とセンパイとの縁を考えると、仕方ない。
部品、まとめて売ればラクだけど、売値が安くなってしまうからひとつひとつヤフオクで売るしかない。

例えばガソリンタンク。
パーツクリーナで汚れを落とし、ワックスかけて磨く。
光の当て方を工夫して、一眼レフでできるだけ綺麗な出品写真を撮る。この「テカり」が重要なのだ。

このタンク一個だけで7万円近い値段で落札された。

タンク内部に内視鏡スコープをつっこんで撮影し、内部に錆びのないことの証拠写真をつける。そうすれば入札が増える。

近時、ヤフオクでは「3N」が当たり前だが、売主もW乗り、代理出品の自分もW乗り、入札者もW乗りだから、仁義ってもんがある。詳細に状況を説明し、気に入らなければ返品/返金可、で出品した。
 梱包は2重梱包。段ボール箱を2重にして、スキマにクッション材をギュウ詰めして。買い手のW乗りに届ける。

最後のミッションは、動画撮影。
部品の売却金は、クラブの乗鞍/秋合宿の宴会の際に簡易な贈呈式をやって、その状況をビデオ撮影して、You Tubeに限定公開でアップして、センパイにURLを送って伝えた。大層喜んでくれて良かった。これで今回のミッション遂行は完結。

寄付金贈呈式の動画撮影でも、他者から受けた厚情に対して素直にお礼を言える人と、そうでないヤカラがいる。それはそれぞれの人間の「器量」ってもんだから、如何ともし難い。しかしながらクダラン発言の部分は動画編集でカットするというひと手間を余計に要した。

ともあれ、まだまだ未処分の部品がたくさん残っており、これらも追々、オク売りして来年の秋合宿で、また後輩どもに寄付をせねばならん。

*****************************************************

乗鞍/秋合宿からの帰路。
無事、ミッション完了ってことで安堵。
晴れ晴れとしたキモチで峠を下る。

後輩どもから「センパイ、一緒に走りましょう」と誘われたが、丁重に固辞。

彼らは峠道を走るのが楽しい。バイクをコントロールするのが楽しい。速度の快感が楽しい。
それは、峠道下りがあっという間に終わってしまう、ということを帰結する。当然のことながら。

これに対して、自分の思いは、かつて某小説家が表現した「秋の信州をひとりバイクで旅するときに感じる、自分がその風景の一部になってしまったような錯覚」を、「一秒でも長く」味わいつつこの峠を下りたい、と云うところにある。したがってナナハンを駆りながら、他者から観ればその速度域は笑われるくらいの低速だ。

つまり、同じようにバイクを駆って峠を下りながら、ココロの内のベクトルは全く逆の方向を向いている。まだ若き後輩どもと、すっかりジジイになった自分と。相容れるものはないのだから、仕方ない。

見上げる錦秋と冠雪の乗鞍岳

白樺峠の下りと木漏れ日

牛首峠

葉漏れ日の峠道

今回の旅の相棒は、この夏の炎天下、ヒーヒー言いながらキャリパーをOHしたZEP750

高原の道に秋は深まる・・・。

*****************************************************
今回の件で、横浜のセンパイ宅に何度も通った。
売却を依頼されたバイクの状態検分、買主との交渉立ち会い、引き取り立ち会い、パーツ引き取り。
でも、自分を信頼してくれて、大切なバイクとパーツの処分を託されたことは名誉なことであって、センパイとのキズナをむしろ嬉しく感じた。

センパイを車の助手席に乗せて自宅に送る途中、問うた。
「センパイ、我々はあの昭和の時代、どうして司法試験なんてものに挑んだのでしょうか」
「そりゃむちゃくちゃ難しいからだろ。高い山に登りたがる登山者と同じだ。今の時代の受験生は可哀想だよ。極端に簡単な試験になっちまって・・・」

・・・即答であった。

平成の時代の小泉さんによる司法制度改革にはじまり、令和の時代の司法試験は5年間で5回までという受験制限があり、その制限内での「累積合格率」はほぼ「8割」である(大学で法学系既修者の場合)。

法科大学院(ロースクール)を出れば8割の人は合格できるとはいえ、そのために大学卒業後、さらに2年間の時間と200万近い学費が必要となるし、合格しても弁護士激増/過当競争によりメシを食って行くのも容易でない。そんなローリスク・ローリターンには夢も希望もなく、したがって法曹志望者/司法試験受験者は激減した。結果、この記事のように「法曹志望者の確保」が急務の時代になった。

「昔は良かった」などと云うつもりは毛頭ない。
しかし昭和は遠くなりつつある。

フライト<修理/整備<製造<設計2023年09月14日 15:10

折損した翼端板(右)。これはもう修理不能と判断して廃棄。
手持ちの程度の良い方(左)を修理。

サテ何をどうするか、作戦を立て、段取りを考えている時間帯のほうがけっこう長い。
手持ちの道具と材料は何があるのか。足らないモノはないか。
オノレの技術はいかほどか。何が出来て、何が出来ないのか。

作業自体はさしたる時間はかからない場合でも、材料&道具の準備や仕込み作業と作業後の片付けまで入れると作業本体と同じくらいの時間がかかる。

スカーフィング 1h。エアサンダー準備して、そこにサンドペーパー貼り付けて、翼端板をテーブルに木ねじで固定して。それから作業開始。裏表、上下。大量の削り粉が飛ぶのでその掃除とかの後始末も手間。

FRP作業、加熱温度管理も。
グラスを巻いてFRP樹脂を浸潤、これを5枚反復 裏表上下。お手々はべとべとになります。それは不可避。 2h 
エポキシとか硬化剤とかを準備して、練り作業。攪拌不十分で硬化せず、という失敗がないように。作業後のローラーとか刷毛とかの洗浄などにも手間がかかる。

硬化確認

FRP切削、整形 2hくらい 下板にネジ止めして固定してから削る、とかの下準備が必要。

FRP切削 粉が大量に出る。

翼端板の上下も同じく バイスに固定して

FRP整形 マスキング

同上、板の上下部分も

パテ入れ作業 3hくらい まずパテに硬化剤を入れて練る作業
専用の練り板の上に載せて。
終わったら練り作業に使った金属板やヘラなどをアセトンで洗浄する作業もあります。

パテ切削整形 大量の削り粉を集めて廃棄処理する作業もあります。

さらにパテ盛り→切削。計5回くらい反復。凸凹が消えるまで。パテに硬化剤入れて、練って、塗りつけて、硬化待ちして。30分くらいで硬化。それから切削。凸凹があればまたパテ練って盛る。そしてまた切削。

凹凸が消えるまでパテ入れパテ切削が終わったら、全体をサンディングして足付け。サフのガン吹き直前の状態。

ウレタン塗料専用のサフェーサー(2液タイプ)をガン吹き。硬化を待って2回吹き付け 準備から片付けまで1hくらい

サフの硬化を待ち、再度作業台に固定してサフの研磨。裏表上下で1hくらい。

捨て白塗装。ガンの準備からガンの洗浄、片付けまでいれると2hくらい
翼端板に長ネジを差し込んで、塗装台に固定する準備作業だけでも0.5hかかる。

いったん全体を真っ白に。さもないと赤が映えない。塗料硬化待ちの合間に草刈りを進めます。捨て白ガン吹きの仕上がり


捨て白の硬化を待って、ブライトレッド(赤)を塗装。4回くらい。2hくらい。

完成

以上、たった一枚の翼端板に対して1日3時間くらいの作業で述べ5日ほど。もちろん他の作業も並行して進めつつ。
 金土日の週末を2回。計15時間を要した。プロがその半分の作業時間で完成したとしても1h=7000円としてプロ任せにすれば修復費用は5万円を超える。

なぜ、DIYで自分でやるのか。
翼端板、たった一枚欠けただけで、もうその機体は飛べない。
そして整備工場は慢性人手不足で、誰もやってはくれない。
・・・と、云うよりM田師匠には恐れ多くてこの程度の作業をお願いするわけには行かないし、超多忙を極める某中堅整備士に頼もうにも「自分でやって下さいっ」のヒトコトで却下されるのがオチである。

人任せにしていては、いつまで経っても何も進まないし、したがって飛べない。

改めて思う。
依存とは、自由を失うことだ。
「それは自分でできる」という自分になることは、自由を手にすることだ。

・良く整備されていて、いつでも飛べる状態のヒコーキを飛ばすのは簡単。
・いつでも飛べるように整備された状態をキープするのはそれより大変
・壊れた部分を修理するのはもっと大変(時間かかる)
・材料を加工してゼロからヒコーキを作るのはさらにタイヘン。
鋼管加工溶接に木工加工接着、被覆、羽布張り塗装、リンケージ 艤装。エンジンも作らにゃならんし。
 無線機とかトラポンとかを作るのもヒジョーにタイヘンだろう。
 でも、どこかで誰かが作り、誰かが調整し、あるいは修理している。見えない、あるいは見ていないだけで。
・一番タイヘンなのはヒコーキの設計。これはムツカシイ。あくまで想像ですが。エンジンはもちろん、無線機とかトラポンとかのアビオニクスの設計も、とんでもなく高度な専門知識を要する。それができる人は本当にわずか。限られている。

フライトのほうは練習開始から30~50時間も練習すればたいていは誰でもソロには出られる。
それに比べると「翼端板たった1枚だけの修理」で15時間ってタイヘンだけど、それでも修理/整備作業は製造や設計に比べれば遙かにラクなんだろう。きっと。だから、フライト<修理/整備<製造<設計

MRJ/スペースジェットの件。
最後のアメリカでの型式認定をクリアできず1兆円がパーになったけれども。とにかく、日本人が設計して、製造して、整備して、調整して、飛んだことは間違いない。その経験をなんとか次世代にリレーできないものか・・・。

タマラン・・・。

「夏休みの宿題」2023年08月31日 15:37

連日の猛暑の中、ひたすら宿題をこなす10日間の夏休みであった。

まずは台風が太平洋岸を通過するというので北面軒下に雨水侵入防止のコーキング打ち作業から

脚立登るだけで汗が吹き出る。下半身トレにもなる。

パーツいろいろ届く。

フルード抜いてキャリパー取り外し

分解OH

シール溝 汚れあり

自作ウエット/ソーダブラストでクリーニング。

いろいろ工具も使う

シール溝をキレイにする。

こんな感じ

組立てに入る

MD30のキャリパー整備。ピストンが汚れてる。

洗浄

キレイになった。揉み出ししてピストンの作動を確認。

フルード交換

フロントも同じく

フルードは攻撃性があるのでこれくらい養生する。

ワンマンブリーダでフルード交換、エア抜き

ZEPも同じく。

こっちはフロント浮かしてタイヤはずして。

フォーク引っこ抜く。メッキが少し摩耗しているフロント側に目印のテープ。

バイスに固定して

エアインパクトで1発。

ボトムケース内部の洗浄

オイルシール、苦労したがパコーンと抜けて飛んでった。

バラして洗浄

洗油+コンプレッサーエアで。

インナーチューブの研磨

2*4材にスタッド2本を差し込む穴をドリリング

差し込んで立たせて

工場にてプレス借りてオイルシール圧入。コメリで買った88円の塩ビ水道パーツがカラーにピッタリ・・・

フォークオイル

工場にて。新規輸入されたターボ/ロータクスディモナとオーナーさん

バイクで工場に遊びに来たSawa教官。かつてグライダー界で雲の上の存在だったお方・・・。

当ハンガー竣工お祝いにこのタップ&ダイスセットをプレゼントしていただいたのはもう16年も昔のこと・・・

飛行場でつるさんと。ASK14のメンテをアシスト

ナンダカうれしそうです。ニカっという感じ。

トレーラー計測作業をアシスト。

良く働くシャチョーと若造、、、ではなく今や経歴10年以上フルライセンス中堅航空整備士 兼 耐空検査員資格も保有するさんちゃん。

松つあん、今年も25Bオイル交換の季節が来たよ・・・
松印遺品のワイヤとツイスタを使用して。


夜までかかってさんちゃんと25B/キャブのメンテ

「夕陽と鉄塔」を見ていると、たまらんキモチになるのはナゼでしょうか?
コドモ時代からの心象風景・・・

ナンダカ、自然とポンコツが自分のトコに集まってくる。
だからそれを修理する。
いつもコマネズミのようにナニカの作業をしている。
それがオレの人生なんだな、と、ひとり合点する。
そんなふうに夏が過ぎていく・・・。

************************************************

ナンダカ、自然と民事/刑事の事件が自分のトコに集まってくる。
だからそれを処理する。
いつもコマネズミのように事件処理をしている。
それがオレの人生なんだな、と、ひとり合点する。
そんなふうに夏が過ぎていく・・・。

たまらん。

「夏空幻想」2023年08月09日 11:29


昨期は2010年の25B運航開始から13年目を迎え、さすがに同じことを繰り返してマンネリを感じていた。そこで自分なりにテーマを設定して25Bを運航しよう・・・と思ったのであった。
 クラブ教官の上級グライダーパイロットがハイパホ機に搭乗し、朝、出発して(燃料5リッターだけ搭載。ガロンではなく)夕方に帰ってくる姿に触発されたこともある。
 せっかくトラポンをDIYで苦労してとりつけて事実上の高度制限がなくなったわけだし、TCAとも積極的にコンタクトして飛べば高度に関する遠慮はいらない。最低でも1フライト2時間をノルマとしよう・・・。
 こんな感じで昨期のフライト時間は33時間チョイであった。当機は1年のうち約半年しか運航しないので、33時間という数字はほぼ毎週飛んでることを意味するワケであります。

明野飛行場 呼んだけど返答なし。誰もいないのかな、、、。

九十九里海岸

渡良瀬遊水池の通称ハート池

板倉滑空場 FSに挨拶

読売加須滑空場 FSに挨拶

条件が良いと5000ftオーバー。4000ftを超えたらTCAとコンタクト。

その他はいつもどおりのハンガー生活が続く、、、。

カナリ苦労して自作。これを見て用途を即答できる人もマレであろう。
さんちゃん:次回、是非貸してください!!!
ワシ   :えーよ。

ヒントはコレ。これをあと9回繰り返すのはタマランので。

センパイがバイクを降りることになって、大量在庫パーツの売却処理を依頼された。エライこっちゃ。

MD30のメーターアクリル板が紫外線で老朽化してボロボロになったので

アクリル板の張り直し。

そんなことをしているあいだに4月に63歳の誕生日を迎え、セスナ訓練生の友人Kさん某社CEOから、これまた大変レアな書籍をプレゼントしていただきました。ごっちゃんです!!! 
           
そういえば元プロのジャズピアニスト、某ピアノ師匠が遊びに来て、お祝いに1曲弾いていただきました。なんというゼータク。最後のセリフは無理矢理言わせたの感あるも。曲目、これがまたふるってまして。
MY FOOLISH  HEARTって、、、。
↓ここで聴けます。
https://youtu.be/-lAo15GyHF4

4月にはDR650にて寸又峡ツーリング。春合宿に参加。


旋盤のフライス盤アタッチメントを整備/防錆

Yukaさんネコさんコンビは相変わらず。

やっちまいました、、、、。回収まで2時間くらいかかった。特大脚立+無線用6m伸縮ポールでなんとかタタキ落とした、、、。

・・・そしたらあちこちバキバキに壊れてしまい、その木工修理。大変な手間だ・・・。フィルムを剥がすだけで半日、、、。
 
これを機会に、絹張りにチャレンジしようと、、、。まずはプライスパンを下地張り。ネット情報が助かります。

メルカリでエサキシルクを格安で買える時代になりました。

小5/11歳の時以来の絹張り。そのときは大失敗したが、今回は52年ぶりにリベンジ。模型用ドープも製造中止で入手困難ですが。1か月くらいかかりました。
 
52エンジン3台と91をテストベンチにて試運転。これは20年ぶりくらい。

ハンガーハウスDIYもボチボチ進捗。

外壁に穴をあけてフード取り付けて。

固定枠を2*4材(防腐処理済み)で自作して換気扇取付け。

このDIY内壁構造を見てナルホドっ‼️と反応する人がこの日本に10人くらいは存在するように思うのだが、、、。

給水系を1m延長し、排水系も1m延長し、シンク台を1mズラして。シンク台裏の内壁を完成させる。これもざっと一ヶ月かかった。

6月にはいってすぐ、トンデモナイ豪雨が続き、今度ばかりはもうダメか、、、というところでナントカ台風避難完了。朝5時からお手伝い。

これを機会に我が25BもハンガーIN。今期の運航を終了。お手伝いいただいた皆様、まことにありがとうございました。

*****************************************************

                                  「夏空幻想」

過日、上級者同乗で25Bを飛ばしたんだけど、ひとこと「遅っ!!」と言われてしまった。
でも、モノゴトには全て反対側の価値がある。

「遅っ!」の反対側には、例えば、穏やかな失速特性とか、つまり初心者でも比較的安全に練習できることや、軽くて良く浮くこと、つまりソアリング特性が優れておりディモナやグローブよりずっと楽しくソアリング遊びができる・・・という利点が「事実として」存在しており、「遅っ!」という欠点と均衡しているのである。
 つまり「(とりわけB型)ファルケ」は、そもそもの設計思想がツアラーではなく、ソアラーだ。

しかしながら昨今は「高性能プラスティック機でツアーをすることがモグラ遊びなのだ」という雰囲気が全盛で、その結果、ほとんどの人たちは上記の「反対側の価値や性質とか面白み」には思い至らず「遅っ!」の一言で終わってしまう。
 結果、我が25Bに興味を示す人は現状、皆無なのである。1回乗って、ログ付けして、オシマイ。どうしてもこれで飛びたい、これが好きなんだ、という人は、まず存在しない。三田師匠も、「もうそういう人はいないんですよ。そういう時代ではないんです」と言って寂しそうだ。

これと同じ状況が昔、あったな、と。
それは40年前のバイク界である。
私はW3というポンコツが醸し出すモノとしての存在感が大好きで、BSA/A7シューティングスター由来のエンジン/ミッション構成とか、メグロ製作所伝来の頑丈さ/武骨さ、とか、そういうところに私のセンサーはスルドク反応して、痛く気に入っていたのだけれど、周囲の反応はおおむね「ぼろ。ポンコツ。壊れる。遅い。曲がらない。止まらない」で終始していた。今の25Bの扱いと同じ。

当時のバイク界では誰も彼もがハイパワー、フレーム剛性、強靱な足回り、強力なブレーキ・・・に価値を認め、SS(スーパースポーツ)華やかなりし時代であった。
 どだいバイク乗りなんて存在も圧倒的に社会のはぐれモノで、不良で、とくに女性ライダーなどはただバイクに乗っているだけで取材を受けたり、チヤホヤされる時代。
 その頃から、すでにW系など古くてポンコツで、自分がセンパイからW3を買った代金はわずか7万円であったし(領収書は8万だが税金滞納で名変できず、立て替えたので1万円マケてもらった)、Z2なども「安いから買う」というシロモノで、15万くらいが相場であった。

ところがその後、40年の時を経て、猫も杓子もバイクに乗る時代が来て(別の表現をすると、バイクに乗る母集団が増えて=ロートルライダーがほとんだそうだが)、そうするとその中のごく一部の端くれモノ、変わり者の人たちが、「性能の悪い」(=遅い、曲がらない、止まらない)のZ2が良い・・・ナドと言い始め、某ウエマツ社あたりでは今やナントW系が200万、Z系が700万とか1000万という値付けになっている。

これは別に悪いこと、おかしなことではなく、Z2/W3と言えば「遅っ!」の反対側に、何とも表現し難い「モノとして凄み」があり(もっと言うと、当時の時代の空気、熱風のようなものを内包している)、そういうところに反応するセンサーを持つヘンテコな人たちが、母集団の拡大にともなってだんだん増えてきて、今日の旧車ブームとも呼ぶべき時代が構築されたワケだ。

私の言っていることは意見や評価や主観ではなく、全て事実である。
つい先日も、東名の某SAで、ナント、BSA、ノートン、トラ(しかもタイガー系別体ミッション車)が列をなしており、ライダーはみな若く(30歳前後)しかもそのライダーのひとりは女性なのであった。ビックリ。

つまりはこういうことだ。
センサーのない人たちにとっては「ぼろ。ポンコツ。遅い」で終わる個体であっても、その個体に個性があり時代を象徴する価値や実用性がある場合には、40年ぐらいの時の経過により、母集団が増えてくると、増えた母集団の中の「そういうセンサーを持つ変わり者」たちがだんだん増えて、その価値に気づいて、古き良きモノを愛でる・・・という「文化」が醸成されていくのである。

整備工場に来る人はめったにいないから、あまり知られてはいないけど、いわゆる「新鋭機」に搭載されている某R社のエンジンなども、時には不調を生じ、〇や××やΔなどのパーツがあちこちに転がり、そりゃあもう「あちゃーーー」という状態なのだが、ソコは某若造航空整備士の八面六臂の活躍によりナントカ、体面は保たれている。
 これに対しポンコツと言われる某ワーゲン由来のL社エンジンだが、松つぁんが最後に手塩にかけたエンジン、それが我が25Bの搭載エンジンに他ならず、ナニかとトラブルの多い新型エンジンを尻目に、つつがなく、長期十分な実用性を発揮しているのである。

そうすると例えば今から40年後。
現時点でも「飛び恥」という言葉すら生まれ、SDG’sの時代だから、航空機の内燃機関もだんだんは消滅していく方向性であろう。

我が25B搭載のL社エンジンは重量70kgソコソコ、出力50Kwだ。

http://limflug.de/de/products/engines-41kw-55kw.php

燃料は30Lで比重0.7を乗ずると20kgくらい。つまりは合計約100kgの重さの範囲内で「モーターとバッテリーによる50Kw」が実現できれば、今の25Bと対等の動力性能が得られる。これは十分可能なのではないだろうか?

しかもフライトの最初から最後まで50Kwが維持される必要はない。この点は最近トレンドの「高性能重量級プラ機」とは大きく異なるところだ
 具体的には某W草大橋のちょい先まで、高度で1500ftくらいまで稼げれば、その先はかなりの確率で上昇気流によるソアリングが可能なのである。つまりはパワーを使うのは、離陸後の比較的短い時間で足りる。
 これは、最近トレンドのディモナやグローブなどの重量級プラ機では極めてムツカシイことだろう(我が25Bより300Kgくらいも重いのだから仕方ない。これらの機体はソアラーでなくツアラーなのだ)。

鋼管フレーム機は、ヘタクソがドン着すれば格別、その場合でもあってもナントカ、薄板鋼管溶接の技術を伝承していければ修理は可能だろう。
そのワザは某若造航空整備士に委ねよう。たまには回る寿司でも食わせて。
 木工修理は、まあまあアバウトで良い。
もともと主翼の羽布張りのところはNACA翼型なんぞほとんど無視されている。
塗装、被覆は慣れればなんとかなる。
実際、チョット前まで、各大体育会航空部では、学生が木造機の修理をしていた。学生による機体修理の伝統が失われたのは、プラ機の普及と時代が重なる。

シャイベ社が、SBを出すだろう。
25Bのエンジンをとっぱらって、こんなふうにモータとバッテリを積め、と。
制御系は簡単だ。ラジコンと一緒だから。「空飛ぶクルマ」なんてのとは比較にならないほどシンプルな構造、安い費用で電動化が可能な時代が来る。

パワーONの時間は、10分とか、20分でOK。
あとはソアリングする。
修理メンテは簡単、初心者向けの穏やかな性能、優れた失速/ソアリング性能、自力発航可能、曳航機要らず。

大学体育会航空部つながりで空を飛ぶ人が増えて。
空遊びが普及して。
母集団が増えて。
その中に、古き良きものを愛するセンサーを持つひとたちの一群が育って。

そういえば死んじまったベンゴシの、なんか古い機体、あったな。
あれ今、どこだ?あのポンコツ。ベンゴシが自分で修理しながら飛んでたやつ。
え?まだハンガーにある?
よし、引っ張り出してみよう。
うわ。どこも腐ってない。良い状態じゃないか。
こりゃーいいじゃねーか。
これおもしろいよ。
ディモナ、グローブは重いから電動化は無理だけど。
それに仮に電動化できても、重いからソアリングは無理っぽいし。
でもこれならみんなで遊べるね。
シンプルで、とにかく軽い。二人乗れるし。
曳航機要らないし。
モータ回して離陸して。
上昇帯、見つかったらモーターカットして。
スリ鉢はずれたら、また2、3分、モータ回して戻って。
これエンジンカット/再始動より、全然簡単じゃん!!
みんなで電動化の改造して、飛ばそ!!!

近未来・・・。
私がすでに存在しない未来・・・。

ポップス系ピアノ 弾き語り コード奏法 超入門講座 You Tubeに動画公開。2023年04月12日 18:26

もう何年前になるのか、3年くらい前。

FB上に「ポップス曲 弾き語り ピアノコードの超入門動画」をYou Tubeにアップせにゃーナラン・・・」などと書き込んだ。

そもそもと言えば、
「ピアノ面白くなくてやめてしまった」
「弾かなくなったからピアノ処分した」
「子供の頃、ピアノが大嫌いだった」

・・・の類いのハナシ、投書、話題、新聞記事がとても目についたからだった。

でも、それって全部「クラシック 楽譜 音符 理論 音楽用語/記号」の世界のピアノのハナシでしょ?
 いつもカラオケに行って歌う曲に自分でピアノ伴奏つけて弾くのは、それとは全然違うんですよっ!!もっと、ずっと簡単で、楽しいんですよっ!!

ポップス曲をピアノ弾きながらひとりカラオケをして遊ぶことができるようになるのにも、ピアノ教室に入って、音大出の先生から楽譜、音符、理論、用語、記号を習って、「キラキラ星」「メリーさんのヒツジ」から始めて何年も練習しないと、弾けないのだ・・・という、

               「大きな誤解」

をしている人がナント、この世に多いことか。
そして見当違いの練習をして、あげく挫折する。
こんなのは間違っている!!!

あらためて見回すと、自分の周りにも音楽つながりの友人/知人がたくさんいる。

・しょっちゅうハンガーに来ては毎回、同じ質問をする顧問先シャチョーのTショーさん。
・オーディオ&音楽を愛しギターもチョットたしなむパイパーアローのオーナーで顧問先のM田シャチョー
・ウチの子にピアノ教えてよ~、と言う某ショーちゃんのお母さん
・その動画はアンタがやるしかないよ、と背中を押してくれた某ピアノ巨匠のH岡さん
・昔からの空友で最近、クラシックピアノを始めてジャズも好きなN山君
・25年前、僕にヒコーキの基礎をたたき込んでくれたFAA/CFIでピアノコード奏法にかねがね興味はあった、というOZA教官
・かつてクラシックピアノにのめり込み幻想即興曲で燃え尽きたAZ君
・昔「ピアノコード本」でコードを覚えようとして挫折したけど最近また電子ピアノを買ったというKズミちゃん
・たまにハンガーに来てはピアノ/コード弾きに興味を示し若い頃はバンド活動もやっていたという某N社CEOのKとーさん
・ギターもキーボードもたしなむ芸達者の某JMGC主任教官のS木くん
・ドラムメインだけど、ギターも好きでピアノ/コード奏法に興味があると言っている動滑/ヒコーキのK教官
・オレにもピアノできますかね?と言っていたバイク後輩のS戸くん
・娘さんから誕生日プレゼントでキーボードをもらったがホコリかぶっているというF沼さん
・子供の頃、ピアノ教室が大嫌いだったという某キャプテン

・・・ナドナド。

もともとは、いろいろな人から、いろいろな質問をされて、それに対して毎回、何度も同じ説明をするのが面倒なので、そんじゃ動画作ってアップしますよ、などと軽い約束をしたことから始まった。

しかしその後、いろいろ考えて見ると、これはとても示唆的なことだ、と気づいた。・・・と、いうのは、「英語」と同じ構造ということ。

英文科を出た英語の先生から、単語と文法を習い、中高6年、膨大な時間をかけて習ったのに、結局、誰も彼も、喋れもしないし、聴くこともできない。この膨大な時間の無駄に対して、これを放置して、誰もなんとも思わない。文句も言わない。それで良いのかっ!!!
 お隣の韓国では義務教育が終わればかなりのレベルで英語を聞いて喋れる、という事実があります。

同じ構造が「音楽教育」で、音大を出た先生からクラシック中心の、楽譜と音符と、音楽用語と理論と、おびただしい音楽記号の授業。
 中学校の音楽の期末テストで、一生懸命、音楽記号を覚えて回答した記憶がある人も多いでしょう。そらー嫌いになるのも当然だ。

しかし音「楽」の「楽」は楽しみだ。遊びだ。そもそも遊びであるものを、学校やお教室で習う、ということはオカシイことだ。楽しい遊びは、「センパイ」や友人から教わるのが本来だ・・・。
「音楽教育」というコトバ自体が大きな矛盾をはらんでいる。
「音『楽』という「遊び」を「教育」の文脈で語るのはとてもオカシイこと。

それで、
「もしピアノや楽器をやったことがない60歳のオジサンが16歳にタイムスリップして高校の軽音部に入部したら、センパイがこんなふうにピアノの遊び方を教えてくれた」・・・という動画にした。

・・・と、いうのも、You Tubeのピアノ入門動画(コードでピアノを弾く)がどれもこれも、かなり難易度が高い。のっけから音楽用語、音楽理論の連発なワケです。これじゃーーー挫折する人も多いだろうな、と。

そういう挫折をした、たぶん何万人もの人々のために、音楽用語、理論は最低限にして、もうこれ以上簡単な説明はできない!!!これでダメならアキらめて!!!というレベルの超入門の動画に仕上がりました。

さらに。ポップス系音楽はソコソコ有効なモテツールでもある。
若い(特に)男の子が、モテるために音楽やりたい、というのは自然なこと。勉強やスポーツがダメだから音楽、それは当然アリ。
このことを公言しているのがスキマスイッチのシンタローさんです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E7%94%B0%E7%9C%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E
そんな若いオトコノコも視聴者としてイメージして、この動画を作りました。

長々とご静読ありがとうございました。

まずは動画 その1 プロローグ 準備編
https://www.youtube.com/watch?v=G9nIOuNJePA

それから動画 その2 実践編です。
https://www.youtube.com/watch?v=74Gd-TvaJzE

この先、応用編も計画しております。
お楽しみに~

たまらんです。