早春・・・2020年01月23日 10:55

例年であれば12月から新年は25B関連作業で多忙である。

耐空検査整備、無線機の取り外しベンチチェック依頼、再取付け、高度計も同じく(2年毎)、飛行場への搬入/組立ての準備、テストフライト、細かいスコワーク潰し、自分の操縦技量リカバリー訓練、TABチェック、録音撮りetc・・・。

今年は昨年の台風/大冠水の余波が尾を引き、飛行場のオペレーションが制限されているので、25Bはまだハンガーに格納中だ。ここ10年で初めてのこと。3月/4月になって草が生え、飛行場の路面状況が落ち着くまで機体のハンガーアウトはできそうもない。

しかしながら。

こうやって25Bで飛べない(飛ばなくて良い)状況になって初めて、この機体にこれまで10年間、どれほど多くの労力、時間、オカネを投入してきたか、また、それによって自分がどれほど消耗していたのかがよく判った・・・。

・・・てなことをM田さんと話していたら「なるほどねえ・・・」と言われた。

とにかく、今年はそんなわけで10年ぶりに、ノンビリとした年末年始を迎ええることができた。25B関係の作業で忙殺されていた時にはやりたくてもできなかったことをアレコレできるのは喜ばしいこと。

月末にJA22でスキーに行くので、スタッドレスへの履き替えを。

念のため非金属チェーンも携行。テスト装着。

元JAL航空機関士、木工が趣味の「クサハナさん」より、大型電動ノコギリ引き取りの依頼。ハンガーにはいろいろモノが集まる。さんちゃんが運搬を手伝ってくれた。

ご本人自ら組立て設置作業後、使い方、注意点のレクチャを受ける。

そのクサハナさんから、自分の機体(G109B)のカバーを自作したいのでいろいろ教えて、との依頼あり。ノウハウ、段取りなど、口は出すが手は出さない。ご自分でやってもらいます。

ミシンの使い方を教授。なかなか良いお手並み。「ミシンって、スゲー機械だな!!」と感嘆しきり。

その他自分のミシン作業としてはウッドデッキ露天風呂カバー製作(紫外線避け)とか、、、

航空整備士の大曽根君からもらったコンクリミキサの雨避けカバーなどを製作。

DIYハウスのほうは第1次の断熱材施工が終わり格段に暖かくなった。これから第2次の工程に入る。

25Bの尾翼の横にムサシノ機2機。プレーリーとスカイカンガルー。20年ほど前に製作したもの。

時間に余裕ができ、ようやく整備改造して3年ぶりに飛ばした。お正月の澄み切った青空の中に、自分の作った模型飛行機が吸い込まれていくのを眺める時のキモチ良さと言ったらっ!!!。自分自身がヒコーキに乗って飛べば、もっとキモチいいのかな?、と思っていたら、そうでもなかった・・・。

なんだかRCキットが欲しくなり、ハンガー地元の模型屋さんで2機、衝動買いして三田さんに見せびらかしに行く。その本質を考えると、機体キットという「モノ」を買ったのではなく、ヒマになったらコレ作ろう(作れる、作って時間を潰せる、やることがある・・・)というような、安心感というか、保険を買ったのだ、という感じがする。

同じくムサシノ機、モスキートモスの製作、電動化に着手。ハンガー庭でRC機を飛ばすのは積年の「夢」・・・。

歴代のエアバンド無線機。JMGC忘年会のジャンケン大会で某先生が景品に出したモノをもらった(一番右端A20)。たぶん30年くらい前のICOM製。真ん中はA22で20年前の渡米陸単訓練時に買い求めたもの。

このA20、古いけど十分実用性があることを確認できたがさすがにバッテリがアウトなので、専用電源を作ることした。CV/CC電源キット(1A)を組立て中。

今期のエアモービルオペレーションに備えていろいろ製作、実験。PTT+マイクボックスとか、コンデンサマイクをD/Cヘッドセットのブームマイクにタイラップで固定したりとか。タヌ氏との交信実験の結果、ECM使用の場合、FT-817のマイクゲインをデフォルト50から10に変更することで良好なSSB変調結果が得られた。71年6月号のラジ技はネコさんが遊びに来て「これ、あげる」と置いていった・・・。

お正月休みにラジコン界の巨匠、S水氏宅を訪問。背後に旋盤がある。ご本人の許諾により掲載。

その右にはフライス盤が。ちょうど引込脚の部品を切削、製作していた。

自宅中、あらゆるところにぶら下がってる大型RC機。圧巻。

1月も中旬になってようやく飛び初めフライト。クラブ機のG109Bにて。サカツバ機長のフライトに便乗。

我らがField of Dreams・・・上空でFly Over Make360

古参教官の「えーさん」は独りで黙々と飛行場整備作業。頭が下がります。当ブログに載せていいですか?とうかがったら「そんなことはせんでいいよ」と。「漢」(オトコ)だねえ・・・。

ずっとやりたかった土手道サイクリング。最近、毎週走っている。下半身&心肺トレにはとても有効。

しかし乗りすぎで「スネ」を痛めてしまい、大晦日/元旦は足を引きずって歩いていた・・・。

自転車はスギムラFRD300。長男が10年以上、乗り倒してボロボロにしたのをレストアした。初詣も地元の神社に。このクロスバイクで。

ハンガーのPA環境実験。「押尾さんライブ」のエアー感を実現するために、手持ちのリバーブを2台連結して試してみる。
https://www.youtube.com/watch?v=w87dLLp0egE&list=FLVz4EKKNLRvFvYVvkLzbr9w&index=128&t=0s

ミキサー卓の設定もいろいろ変えてサウンドメイク作業。あまりやり過ぎるとナンダカわからなくなる。

季節は早、早春・・・
タマラン。

ていねいに時を紡ぐ。2019年12月10日 14:49

少しディテールを書きますので、参考にしてください。
>シュライハーASK13なんかの木製グライダーを今だに飛ばしている各大学体育会航空部機体整備係の学生諸君。

動翼は全て外します。細かいところまで、ヒンジ部の状態(曲がり、摩耗、ガタ、フリクション、腐食)、取付け木部の割れ、塗装状態(=防水状態)などをチェック。

桁に塗装剥がれがあったので60番でペーパーがけしてドープを塗る。あと10年、持ちますように・・・

同上。クレベ70%+シンナー30%くらいにして5回塗り重ね。最後にシルバードープ(アルミ粉末入りドープ)2回。

ヒンジピンは全部要チェック。ラダーの上ピン。木部との固定状態。ガタがないか。木部腐りはないか。塗装の剥がれはないか。曲がり、腐食、フリクション。

ラダーの下ピンとラダー底部。錆、ネジ山痛み、ガタ、木部との固定に異常などないか。クリーナとウエスで古いグリスを除去します。

受け側。綿棒+パーツクリーナで古いグリスを除去して掃除する。

同上。砲金ブッシュの状態チェック。摩耗してるなら旋盤で挽いて造って入れる。松つあん遺品の旋盤、練習しなくちゃ。

グリスは2種類。

全ての作業はグリーンブックとAC43に準拠

割ピンの入れ方にもルールがあります。このへん自己流バイクいじり系DIYerは要注意。プロのバイク屋の作業でも「なってねーな」と思うことがあります。

エルロン。

ピン側

塗装(パテ)クラック。マーキングします。

ペーパーがけ。FRP(グラスクロス)を1枚張ることにしました。

削りクズ、粉が入らないようエルロンロッドのホールをガムテで養生。

FRP張り作業。ホントはピンをマスキングテープで養生してからやるべきでしたが・・・

水平尾翼の塗装クラック補修。FRP1枚+ウレタンサフ。

割り箸の先を平らに削ってへら状にするとリンケージベアリングのグリスアップがラクです。砂のついたバッチイ指先のままグリス瓶に指を突っ込んで塗り込むような航空整備士にはならんといてください。

25Bお抱え航空整備士。ホイール交換に伴いダイブブレーキワイヤの交換作業中。

航空整備士は小柄で体重が軽いこと、身体の柔軟性が要求されます。

工場での仕事が終わってから、当ハンガーへの夜間出張・残業扱いで頑張ってます。あいちゃんの請求書が怖い・・・夕飯おごり付きです。

50年使ってきたホイール。M田師匠が是非欲しいネ、というので惜譲。

こんな奥まったところにグリスニップルがあるのでグリスガンは小型かつフレキシブルホースのタイプが良いです。
こんなの↓。
https://ktc.jp/catalog/index-category/category-list/g-80__500
https://ktc.jp/catalog/index-category/category-list/g-120ns__330nh

M田師匠はレストアした三田Ⅰ型中央翼の懸架台を製作中。ちょっとため息が出るような作業プロセス、仕上がり、形状・・・です・・・。小職もモノ造りの端くれではありますが、レベルが違い過ぎる・・・

キレイにビートの乗った溶接部。

ハンガーハウスの冬支度。自作天窓の周囲に穴が開いてるとストーブの暖気が全部、屋根裏に逃げてしまうので・・・

パネルを造って、タワー登って穴塞ぎ。

同じく。

ここも穴塞ぎ。

ハンガーに遊びに来た「とくさん」から、そろそろ凍結防止したほうが良いよ、と言われ。保温材巻き。ウッドデッキ風呂の配管部。

飛行場は現状、かくのごとし。年内の25Bハンガーアウト、組立て/運航開始はチョット無理っぽい。

関宿滑空場の曳航機、ロバンDR400の作業を見学。

ウチらの曳航機のテストフライト。

天気が良いときはこの椅子に座って朝飯後に日光浴してます。

最近、割と天気がいいです。

こんなふうにして丁寧に時を紡ぐようにして生きていきたいです。
タマランです。

ブログの本旨2019年12月04日 13:08

数年前、ハムフェアで格安3000円の実験用電源を買ったが、分解掃除をしていたところメーカーの回路設計ミスで基板上の抵抗が焦げるという症状が判明した。対応をネット検索したところ下記がヒットして無事、DIY修理ができた。

http://strv.blog.shinobi.jp/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%82%AF/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E5%99%A8%E3%81%AE%E4%BF%AE%E7%90%86

ネット全盛時代、ブログってのはスゲエな、と。
日本語圏だけでも、この1億数千万人の日本人の中に、自分と同じことをしている人間が「数人」居るんだな、と。もちろん玉石混交ありますが・・・

ということでブログの本旨は、その全国「数人」の方々に役立つため、記事はもっと具体的に、もっと詳細に、もっとノウハウを盛って書いた方がいいかな、などと思う次第であります。

と、いうことでまずFRP浴室自作。
全国数名のトライしようかどうか、迷っている方に。「FRP 浴室 DIY」などで検索してこのブログに辿り着いた方もきっといるはず・・・。

軟質系FRPじゃなきゃダメ、ホムセンで売っているのは硬質系FRPだからダメ、とかいう記事や情報があるけど、それは防水屋さんの意見。防水屋さんは「普通の基礎、床下構造」を前提にそう言う。であればDIYerは、防水屋さん、床下基礎工事の大工さん、塗装屋さん・・・と、業種をクロスオーバーで超えていけるのがアドバンテージなので、硬質系FRPでもダイジョブなレベルの「堅牢な」浴室床下を作ればいいだけ、という発想になる。仕上げは皮膜が硬くかつ入手容易な自動車用ウレタン塗料でOK、と。要は床下をFRPだけの強度で保とう、という発想を捨てるワケだ。

具体的には、
ベタ基礎+鋼製束+大引きは90角材+その受けはタナカの大引き受け
金物+24㎜厚ベニヤ(←ここがミソ。とても重い1枚24Kgある)+硬質系FRP+中華グラスマット+自動車用2液ウレタンサフ+同PG80・・・の組み合わせでなんとかイケル、というのが小職の結論です。PGの硬化剤はプラスティックマルチを使う手もあるが、今回はノーマルを使ってみました。

浴槽支持フレームはヒノキの2*4+無垢の野地板で製作。普通のホワイトウッドだと腐るだろうと。また普通の合板は水で接着剤が剥がれてブカブカになるだろうと。防水ベニヤってのもありますが、あまり信用してない。




極めて堅牢な構造の浴室床ではありますが、200L+入浴する人の体重の荷重がかかりますので浴槽は念のためコメリの石材4枚で「面受け」します。

その面受け石材には床の防水層FRPが傷つかないよう、緩衝ゴム板を張りました。ボンドは鋼製束接着用の1液性ウレタンボンドが超強力です。・・・という具合になんでもかんでも自分でよりベターな方法を考えれば良し。ゴム材の端っこ4カ所、ゴムをカットしてあるの、わかります?

ブロックを乗せて圧着。

完成図。
1年後に床部分の防水層にクラックが発生していないか経過観察して、問題があればその時点で対処する予定。

浴槽のクラックもエポキシFRPで比較的簡単に修理できます。ヤフオクで「クラックあり、格安」の浴槽であれば入札ライバルも少ない。FRPのノウハウがあると何かと節約になります。

コツは、
・しっかり足付けすること。
・場合によりサンダーで部材の接合面を斜めに削って接着面積を多くすること=スカーフを取る、と言います。
・主剤/ハードナーの指定割合を厳格に守ること。
・ハードナーが2gとか3gみたいに微少になるときは1グラム未満を
計れるデジタル計量器を使うこと。
・シツコク撹拌すること。
・刷毛で重ねたガラスクロスをよく叩いて空気泡を追い出すこと。
・冬場はライティングして加熱すること。

オマケ。
12年前に最初に作ったトイレとお風呂。

見に来た友人はきっと「なんだコリャ?」と言うかもしれない。でも作業はしないくせに口だけ出してくる外野の意見は、放置して良い。自分には見えてるものが、その人には見えてないだけ、だから。つまり、自分には「出口」=仕上がり、が見えてないとダメです。これは三田師匠によく言われること。

他方、自分の弱点である電気系、熱対流などに造詣の深い友人の「経験値」に基づく他者意見には傾聴に値するものが多く、ずいぶん参考になりました。

なんでも一気に完成形にする必要はない。
当座、用途が実現すればOK。風呂に入れる、用を足せる、というミニマム機能の実現から初めて、段階を追って改良して行けば良し。DIY道に終わりなし。

タマランです。

「感応」2019年11月14日 16:04

試合が終わって1週間、経ちました。

同じボクシングの試合を観ても感じることは本当に人それぞれで興味深いし、極論すれば「井上尚弥?誰それ?」という人もたくさんいるわけで、そういうひとたちはそういう人達で、また自分とは全く別個のセンサーとか感応力を持っているワケで。

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11Rが終わった後の、インターバルの表情が忘れられない。
直前に乾坤一擲の左ボディフックでドネアからダウンを奪っている。

自分のコーナーに戻り、トップロープにグローブをつけた両手を載せて、観客席を一瞬だけ見上げた、その表情。
忘我、というか。恍惚、というか・・・。
まだ試合の真っ最中なのに。
これまで見せた、どの表情より、印象に残る。

ドネアを左ボディで倒した。しかし倒しきれなかった。次の最終ラウンドがまだ残っている。
 それなのに、倒しきれず悔しいとか、次にどう倒そう、とか、それよりも何よりも勝ち負けそのものや、今、ボクシングの試合をやっている、ということ自体がアタマから完全にすっぽ抜けてしまったような表情だ。

仏教用語で言うところの「心身脱落」みたいな。

彼はこの瞬間、何をどのように感じていたのだろう?・・・。
そのことに興味を持つ人は、自分以外には存在しないのだろうか・・・。

セコンドのお父さんから「最後だぞ」みたいなことを言われて、そこでようやく我に帰って、少し顔を伏せて、視線を落として。コーナーに戻り椅子に座った。その一連の表情、所作がこの上なく美しかった。

いろいろな人がいろいろなシーンに関する感想をネットで寄せている。
「ボクシング」として見れば2Rの右目カット流血や5Rのストレート、9Rの被弾と必死のクリンチ、になるのだろうし、試合後の二人の2度の抱擁や、トロフィーの貸し借りの美談を話題にする人が多い。

しかし彼の人生を自分の人生と重ね合わせて俯瞰する。
「ボクシング」ではなく、彼の切り取られた人生の一瞬の一コマを目撃した。おそらくはもうこんな彼の表情は二度とは見られない、と思う。

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試合の後の、ドネア選手の言葉。
勝者から一晩だけ借りてきた「アリ・トロフィー」を二人の幼い子供達に見せて、言い聞かせる。

「頭を上げ、手を胸に当て、自分を誇りに思えることが大事だぞ」

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勝者のコメント。
初めて試合中に右目をカットして、流血して絆創膏貼って、試合後のインタビューに応じる(その後、右眼窩底と鼻骨骨折が判明)。

「やっと世界戦をやれた、ボクサーになれた、という感じ」

実際は、もう15戦目の世界戦。
プロ転向からもう7年経過。

どういう自分で在りたいか、どういう経験をしたいか。

それを仮想天秤の左に載せる。当然、それと釣り合う、重い犠牲みたいなものの何かが右の天秤に乗っていないと、均衡しない。

その「仮想天秤の均衡」に言及した発言。

視線は他人には向かわない。常に自分に向かう。
「自分は、どういう存在でありたいか?」
「自分で自分を肯定できるか?」

結局、言っていることは上のドネア選手の子供達に言い聞かせた言葉と同じだ、と解釈できる。

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NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
「引退」について問われて。

「なんなら最後は打ちのめされてやめたいなって気持ちはあるんですよ。そうじゃないと、ここまでやってきたボクシング、諦められない」。

人生を賭けてきたことを、最後には諦めなければならない。
それは人生、何だって、誰だって同じ。

これを仮想天秤の左に載せれば、それと釣り合うのは「勝利の栄光」ではなくして「打ちのめされること」=徹底した敗北。

自分の中で何と何が均衡するのか。

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以上、ネット上の多くのコメントとは、自分の感じ方は全然、違う。

それもこれも、自分が歳をとって子育ても終わって、子供二人とも独立して家を出て行っちゃって、ああもうオレの役目も終わったな~人生終わりだな~感が漂うこの年齢だからこそ、だろう。

誰か、人が他人の何かの行いとか営みについて、どのようにココロに刺さるか、何を感じるか、心に残るか、は、やはりその対象となる事柄と、傍観者に過ぎない立場ではあるけれども、その光景を見ている人の状況とか、感応性が交錯する、ということだ。

つまり、歳を食うことも、悪いことばかりではない。今だから、この年齢だから感じるられることが、たくさんある、ということだ。

最後はだいぶ、ハナシが逸れましたが。

問題は、上記のような「感応」現象が生じた後、それを糧として、自分の人生にどう向き合って行くのか、ということである。

サテ、試合も終わったし風呂でも入って寝るか・・・では済まされない。

タマランです。

自分のテーマで・・・2019年11月07日 14:57

井上尚弥選手VSノニト・ドネア選手の世紀の決戦、世界バンタム級WBSS決勝の試合が本日夜に迫った。勝ち負けがどうであるにせよ、この戦いの帰趨にハラハラドキドキそわそわと落ち着かず、尚弥ちゃん関連ニュースをネットで渉猟する日々も、今夜限りで終わり、だ。

どれほど感情移入したとしても所詮は人ごと。結局は自分の生活、人生、テーマに立ち向かって行かねばならない。

 と言っても、ありんこ集団に3割は働かないアリさんたちがいてバランスを取っているように、人によっては「気まぐれ猫/ないしはキリギリス、放浪者」的な人もいて、そういう人はそういう人で、神様・摂理様がそういうふうな存在としてお創りになられているわけなので、誰もが自分のテーマに立ち向かって生きていくべき、だなんてことにはならない。人生の意味など求めず、ただ楽しみラクチン快感を求め、放浪するように生きて行くのもそれはそれで是、である。

 そうでないと例えば太宰文学などは芸術とは呼ばれない。小職に太宰文学の本質を理解するセンサーがないだけのことであって、そこにはきっと、重要な人間の性とか、本質とか、そいうものが含有されているであろうことは疑いを入れない。そうでないと、毎年の桜桃忌にあれだけの多数の人々が現在もなお、太宰のお墓参りをする、という事実の説明がつかない。

他方、人によってはそういう生き方では納得できず、「自分の役目/レゾンデートルは何なのか?何をして人生を全うすれば良いのか?」というようなことを常に考えずにはおれない「忠犬ハチ公/ないしはアリさん」的な気質の人も多く存在するワケで、小職は紛れもなく後者のタイプである。
 やはり「道を究めんと頑張っている人=求道者」に対しては、深いシンパシイとアコガレを抱かざるを得ない。

 この点、例えば、囲碁・将棋に関心のない人にとっては藤井7段の活躍も芝野虎丸新名人の最年少記録も、どうでもよいことであり、彼らがどれほど囲碁や将棋の道を究めるべく精進しようと、囲碁将棋界のことが世の中に存在する戦争とか人口問題とか、貧困問題とか温暖化問題とかに影響するわけではない。
 しかし囲碁将棋に関心のある人、ないしはそのセンサーのある人達にとっては、彼ら若き求道者達の自己練磨、精進していく姿は、まさに自分の人生そのものに投影されるべきものである。

結局、人は、世の中とか他人とかとは無関係に、自分にとっての大事なことをやって生きて行く、ということなるのだろう。

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毎年恒例の乗鞍秋合宿、自分なりのケジメ、「秋の信州をW3で旅する」というテーマも、最近はだんだんと疲れてきた。
 来年還暦を迎える体重58kgのこの身には40年近くの時を伴に過ごしてきたこのポンコツバイクの220kgという重量が身に堪える。しかしながらこれもまた自分のテーマなので、行けるところまではこの道を続けて行かねばならんと思う。

帰路はツーリング日和の晴天で、松本から乗った中央道を諏訪で降り、峠を上がり、霧ヶ峰高原滑空場でグライダーのウインチ曳航を眺め、スキー好きだった亡父に思いを馳せながら、車山高原、エコーバレー、姫木湖の風景を愛でつつ、日だまりの大門街道を経て佐久へ下り、関越から圏央道経由でハンガーへ帰投した。

初日、霧のアゼレアラインにて


https://youtu.be/Yx4VEb6Ukq8
往く水の流れは絶えずして・・・の風情。

翌日、好天の霧ヶ峰高原にて。「カニ目」(オースティン・ヒーリー)

我らが「Field of Dreams」
大利根飛行場は過日の台風により大冠水して分厚い泥濘に覆われてしまい、現在、重機投入するも復活まではなお相当の時間と費用を要する困難な状況下にある・・・。

飛べなくなり行き場を失った空のお仲間達がワラワラと当ハンガーに押し寄せる、という感じの図。


しかし亡き松つあんから託されたこの25B、このところしばしば当ハンガーに遊びにお越しになるM田師匠に対しても「残り半分、あと10年、オレはやりますよ」と宣言してしまった手前、今年も運航開始に向けて整備せにゃならんのであった・・・。

主翼の羽布の状態を点検する。羽布修理は従来のドイツ製羽布、ドープ塗料が生産終了となり、工場でも新プロセスの構築過程にある。

いまやベテランとなりつつある航空整備士「さんちゃん」登場。一緒に作業を行う。

5年くらい前に購入したもののナカナカ交換する機会がなかったハブホイールを今回、ようやく交換することになったが、あれやこれやの問題が発生。この時代のドイツ製動力滑空機は、一品づつの手作りなのだ。つくづく・・・


↑西尾君が便乗して廻る寿司を食っているがカワイイので許せる・・・。

本格的な冬の到来の前に、なんとか浴槽を再設置したい。

松つあんの遺品整理続く。
何だかワカランものだったら捨てれば良いのだが、わかってしまうので捨てるわけにはいかない。定格や諸元や回路図にしても、昔だったら入手不可能だから捨てよう・・・になるのだが、昨今はネットでいくらでも資料が手に入ってしまうので余計に捨てるワケにはいかない・・・今や貴重品となったミズホのCW送信機。

いったん廃業宣言したものの復活の兆しある「キャリブレーション」のRFアンプキット・・・。旧FCZ寺子屋のキット。

ダブルバランスドミキサー。松つあん、生前よく語っていたなあ。

これももはや国内調達は不可能とおぼしきオムロン高周波リレー。自作TRXの受送信切替えに必須。

山盛りのポリバリコン・・・

さあっ!!!
あと数時間で尚弥がリングにあがる。
削れる限りのゼイ肉をその身体から削り落として。
ゼイ肉と一緒に、雑念も払拭されて研ぎ澄まされたメンタルで。
たった一人っきりのリングへ。
向かい合うのは2人きり。リングの外にチームがあるとしても。
自分を鼓舞し、相手を威圧する儀式もない。
闘志と相手方へのリスペクトは、静かに己の内面に閉じ込めて。
相手と自分の間に、ボールもない。
ただ、拳を交えるのみ。

だから、ボクシングはスポーツではない。エンタテイメントでもない。いわんやショーでもない。

6歳から鍛錬を初めて、20年の積み重ね。
人生はテーマを見つけたら、続けること、練習すること、基礎を繰り返すこと
それに尽きる、と信じる。

タマラン。