「簡単にできることでオモシロイことなどない」2023年12月31日 18:53

時系列が前後しますが。
25Bハンガーinの6月以降、今期のメイン作業として、10年ぶりのサイドキャノピー交換作業を実施しました(コクピット右側)。

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前回サイドキャノピー交換作業を行ったのはもう一昔、10年も昔のこと。
http://diyer-lawyer.asablo.jp/blog/2013/06/28/6879280
あの夏もひどく暑かった。
そしてハンガー屋根裏の断熱工事は、まだ未施工だった。
結果、ハンガー室温は42℃まで昇温した。

それから10年の歳月が経過して、その間の飛行中の振動とか紫外線、野外係留時の温度変化(夏場35℃から冬場マイナス5℃)etcの要因により、新品だったサイドキャノピーも相当に劣化した。
 トドメは耐空検査フライトのエンジンカット、急降下でVネバーのチョイ手前、ウインドミルでエンジンのリスタート・・・。着陸したら大クラック発生・・・。
 その後しばらくはドイツ製高性能特殊接着剤で修理/補強する弥縫策でしのいでいたが、もうそういうワケにもいかなくなった。

↓こんな感じで、かなり割れてしまった。

まずはエアサンダーで取付けネジ部分10箇所を削って頭を露出させる。

10本の固定ネジの抜去。

ハンガーから搬出して養生/マスキングし、キャノピーアクリルをパキパキ割っては除去していく。

さらにハンマーやらタガネやらエアサンダーやらを使って完全にリムーブ

徹底したリムーブとクリーニング作業。この段階での下地作業が仕上がりに大きく影響する。

塩ビ板で「型」を作る。形状とか固定ネジの位置とか細かく調整

その型にしたがってアクリル板をカットする。専用アクリルカッター使用

こんな感じ。

ここ10年の間、アクリル板は外辺から微細なクラックが発生することを経験値として学んだので、今回は周囲外辺20mmの範囲でアクリル板の裏表両面をFRPで補強した。

FRP硬化の後、ネジ穴開け加工、サラ取りなどの整形作業をしてから慎重に仮固定して様子を見る。

上側を仮固定すると・・・

下側が70mmほど浮く。このまま取り付けると反発力が温存されたまま固定されることになる。それもクラック発生の原因。

データシートに従い加熱して湾曲加工。冷却して形状固定。

さらに下側を固定して、今度は上側をヒーターであぶって湾曲加工。

そのまま板材の冷却を待って湾曲状態を固定する。
これで上下とも素直に無理なく取り付け可能となった。

ネジ穴位置を変えたり・・・状況観察して、よく考えて、臨機応変に、、、。

独国製/2液性キャノピーアクリル専用特殊接着剤を練る。

慎重に接着。この接着剤は硬化が早いので段取りが重要。

パテ入れ/パテ削りを5回ほど繰り返して整形完了。パテ作業だけで丸2日くらいはかかります。と、いうことはほとんど「1週末(金土日)」の朝から晩まで・・・ってことです。

塗装の段階に入ります。今回はイワタのガンを使用、、、、

サフのガン吹きとサフ削り。これも1~2日。いったんマスキング剥がして、状況確認して、またマスキングして。

今回使用したハードナーはこれ。

マスキングを剥がして、仕上がりを見て、またマスキングして・・・

赤の段差修正。その後ライン塗装のマスキング。

捨て白ガン吹き

トップのウレタン塗装ガン吹き

ところが!!!ポカやりました。例えて言うならば「スカートの下からパンツが見えてる」状態。こんなミットモナイ仕上がりをM田師匠に見せるわけにはいかない。さんちゃんにも笑われる。ほとんどの人は気がつかないのでどーでも良いと言えばそうなのだが・・・。

仕方ないのでまた曲線マスキングテープ使って・・・マスキングして。サンディング、足付けして・・・

再塗装。スカートを長くしてパンツを隠します。

その他、胴体の羽布修理、羽布張り、塗装。

ここも同じく羽布の修理再塗装。

プロペラの部分再塗装

仕上がりはこんな感じ。

今回のサイドキャノピー交換作業は、前回ブログの「翼端板修理・再塗装」の3倍くらいの作業量で、6月初旬から7月末まで、ずっとこの作業に充てた。

こんな感じで、亡き師匠の松つあんから付託されたポンコツ号の動態保存活動は、まだまだ続く。なんだかライフワークの様相を呈してきたの感あり。

いろいろな人、価値観、考え方、感じ方があり、それを否定するものではない。しかし自分は「簡単にできることでオモシロイことなどない」という考え方である。

たまらん。

では皆様良いお年を、、、、。

「シアワセトハ、ナンダロウ?」2023年12月18日 14:16

12階にある事務所ベランダから夕景を眺めつつ、モノ想いにふける。

ひとたびこの写真の休火山が活動再開すれば、この首都圏は灰燼に帰するというのに、ナントカ巨大ビルとか、都心では大規模再開発事業が引きも切らさず続いている、、、。ご苦労なことだ。

 還暦をとっくに過ぎて、改めてシアワセとは何だろうと、考えたりする。
まず、人によってそれは違う。欲望の充足だという人もいるだろうし、その欲望にもいろいろな段階があるし(マズローの欲望段階説)。

 自分の感覚では、「これからだんだん良くなっていくんじゃないかな?・・・この先もきっと良いことがあるよ」と思える精神状態、であろうか。昭和の時代は多くの人がその感覚を共有していたような気がする。

 例え巨万の富を築いたとしても、あるいは自分の願望を全て充足したとしても、「これから先、そんなに良いことはもう起こらない」という精神状態であるならば、きっとハッピーでない。

 自分の場合、ポンコツが大好きで、それはポンコツというものは手にした瞬間が一番ボロくて、その先、手を入れる毎に段々と良くなっていくワケだから、その過程に悦びというか、シアワセを感じる、ってことは多いにあり得ることと思われる。
 1972年製造のW3然り、同年製造の25B然り・・・。

もうひとつ。「自分にはやるべきことがある」という精神状態も。
これもシアワセ感のひとつの要素ではあるまいか。
完全に弛緩した精神状態ではなくて。
ある種の緊張感を伴うような。

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初冬の風物詩。今期もまたこのシーズンが到来しました。整備陣の皆様、ありがとうございます。シャチョーまでお手伝いいただき恐縮であります。

今や立派な中堅航空整備士に成長して、耐空検査員資格も取得したさんちゃん。

M田さんがエレベータのリンケージ作業をしています。感無量、、、。

耐空検査、テストフライト、各種ストール速度など計測作業も終わり、自分のリハビリもTGL2発で終わってソロに放り出されて。
 思いっきりバンクをかけてみる。半年ぶりだが、ウデはそんなに落ちてない気がする。

ピアノのH岡巨匠を右席に乗せて。ノースポイラーランディングのデモも見せてもらう。この低いパスからさらに2度、3度とかなり深いスリップを連発して高度を下げ、ようやくノースポイラーのパスに乗った。自分にはできねえな。これは。

着陸したら左サイドキャノピーにクラックが発生していた。ここを自分で交換したのはもう10年も昔のこと。
http://diyer-lawyer.asablo.jp/blog/2013/08/22/6954473

経年による老朽化だから仕方ない。今期の運航を終えた来年6月以降に本格修理する予定とし、今回は応急修理に止める。

10年前はこのツールはなかった。リポバッテリ搭載リューター。前回はバカ重い発電機を飛行場に持ち込んで、AC100V仕様のリューターで削ったりしていた。

飛行場にて。野戦病院さながらの応急修理。2時間ほどで完了して、耐空検査員資格を有する中堅航空整備士に確認してもらって、また一人で飛んだ。しかしながら10年前、まだ駆け出しの若造だったその航空整備士に「M田さんはな、キャノピーのアクリル修理、こういうふうにやるんだぜ」って教えたのはワシなのである。

「特大模造カラス」を係留作業に追加。みんな笑うけどね。こっちは必死す。半年かけて自分で整備して、相当高額なる機体保険払って、運搬組立て費用払って、耐空検査費用も払って、係留費も払って。それでもってカラスに羽布破かれて要修理、飛べない・・・てなことになったら目も当てられねえ。どんだけのエネルギーを突っ込んでコレを実現してるんだっ!てコト。

古い馴染みの友人と。元イーグルドライバーの空将補との。現在は某社の雇われ社長兼社有機の操縦教官として激務稼働中、、、。ガンバレー。

↑上のほうのフォトで低高度のスリップを連発してノースポイラーランディングのデモフライトを見せてくれたこのお方、実は元プロのジャズピアニストで夜はピアノを弾いてくれます、、、。
「sero jazz」で検索。
https://www.youtube.com/watch?v=WRJQfITY2b8


クラブの新人航空整備士はかなり重傷の「真空管オタク」で、亡き我が師匠「松つあん」製作の遺品、「2A3ロフティンホワイト純A級モノラルアンプ」をナント3日もかからずレストアしてくれた。松つあんが部品取りにしてしまい、残骸状態だったもの。整流管2本含め電源回りがゴッソリ欠けていたので、ダイオードに置換して全波/半波整流回路に改造し、2A3のヒーター電圧2.5Vは彼の手持ちのジャンクトランスをカット&トライで巻き直して作り、「シャント抵抗両端の電圧は20Vです」「電流計つけてプレート電流50mAでお願いします。」ナドのアドバイスも、、、。

機体のハンガーアウト、組立て、エンジン試運転、各所の寸度舵角測定、その他諸々の耐空検査、テストフライト、ストール速度/諸元の確認計測、自分のリハビリ、ソロフライト復帰、飛行場でのキャノピー応急修理、TABフライトとその録音、トラポンチェック録音・・・などなど、怒涛の2週末6日間が過ぎ去って、、、。ナントカ落ち着いてきたハンガー生活。

ここ5、6年放置していたハンガーのシャッタードア腐れ部分の修復作業にとりかかる。ようやく。このハンガーを建てたのは今を去ること16年前なので、よくぞここまで持ったな、、、の感アリ。

こんな感じの腐れ部分が10カ所くらいも発生している、、、。

ガンガン削る。

相当深くまで腐っている。これじゃネジが効かないワケだ、、、。

腐れ部分をほぼほぼ除去。腐朽菌で腐った部分にはクレオソート防腐剤を注入しておいた。

防腐剤注入木材を2枚、エポキシで貼り合わせて埋め込む工法で、、、。

ドイツ製グライダー補修用高級特殊レジンを使って接着。冬期低温に
つきライティングして加熱、硬化中の温度管理をシッカリと、、、。

一カ所の修理だけでほぼ丸一日かかった。これをあと10カ所ほど修理せねばならない。来春を目途に。ココとか。

ここもヤバイ。

ここも腐りがひどく削ってクレオソート入れたとこ。

木部の腐りで効かなくなったネジを抜去して、鉄板金具にドリルで穴をあけて木ねじ多数打ち込んで応急修理。多忙につき応急修理ばっかりだ、、、。

初冬の凜とした空気感漂う夕暮れの冬木立。

古い、ボロいものが自分の作業を通じて段々と良くなっていく。
自分に、やるべき仕事が多々ある(多すぎるくらいだが、、、。)
これは「シアワセ」と言って良いことなのカモ知れない、、、。
たまらん。

フライト<修理/整備<製造<設計2023年09月14日 15:10

折損した翼端板(右)。これはもう修理不能と判断して廃棄。
手持ちの程度の良い方(左)を修理。

サテ何をどうするか、作戦を立て、段取りを考えている時間帯のほうがけっこう長い。
手持ちの道具と材料は何があるのか。足らないモノはないか。
オノレの技術はいかほどか。何が出来て、何が出来ないのか。

作業自体はさしたる時間はかからない場合でも、材料&道具の準備や仕込み作業と作業後の片付けまで入れると作業本体と同じくらいの時間がかかる。

スカーフィング 1h。エアサンダー準備して、そこにサンドペーパー貼り付けて、翼端板をテーブルに木ねじで固定して。それから作業開始。裏表、上下。大量の削り粉が飛ぶのでその掃除とかの後始末も手間。

FRP作業、加熱温度管理も。
グラスを巻いてFRP樹脂を浸潤、これを5枚反復 裏表上下。お手々はべとべとになります。それは不可避。 2h 
エポキシとか硬化剤とかを準備して、練り作業。攪拌不十分で硬化せず、という失敗がないように。作業後のローラーとか刷毛とかの洗浄などにも手間がかかる。

硬化確認

FRP切削、整形 2hくらい 下板にネジ止めして固定してから削る、とかの下準備が必要。

FRP切削 粉が大量に出る。

翼端板の上下も同じく バイスに固定して

FRP整形 マスキング

同上、板の上下部分も

パテ入れ作業 3hくらい まずパテに硬化剤を入れて練る作業
専用の練り板の上に載せて。
終わったら練り作業に使った金属板やヘラなどをアセトンで洗浄する作業もあります。

パテ切削整形 大量の削り粉を集めて廃棄処理する作業もあります。

さらにパテ盛り→切削。計5回くらい反復。凸凹が消えるまで。パテに硬化剤入れて、練って、塗りつけて、硬化待ちして。30分くらいで硬化。それから切削。凸凹があればまたパテ練って盛る。そしてまた切削。

凹凸が消えるまでパテ入れパテ切削が終わったら、全体をサンディングして足付け。サフのガン吹き直前の状態。

ウレタン塗料専用のサフェーサー(2液タイプ)をガン吹き。硬化を待って2回吹き付け 準備から片付けまで1hくらい

サフの硬化を待ち、再度作業台に固定してサフの研磨。裏表上下で1hくらい。

捨て白塗装。ガンの準備からガンの洗浄、片付けまでいれると2hくらい
翼端板に長ネジを差し込んで、塗装台に固定する準備作業だけでも0.5hかかる。

いったん全体を真っ白に。さもないと赤が映えない。塗料硬化待ちの合間に草刈りを進めます。捨て白ガン吹きの仕上がり


捨て白の硬化を待って、ブライトレッド(赤)を塗装。4回くらい。2hくらい。

完成

以上、たった一枚の翼端板に対して1日3時間くらいの作業で述べ5日ほど。もちろん他の作業も並行して進めつつ。
 金土日の週末を2回。計15時間を要した。プロがその半分の作業時間で完成したとしても1h=7000円としてプロ任せにすれば修復費用は5万円を超える。

なぜ、DIYで自分でやるのか。
翼端板、たった一枚欠けただけで、もうその機体は飛べない。
そして整備工場は慢性人手不足で、誰もやってはくれない。
・・・と、云うよりM田師匠には恐れ多くてこの程度の作業をお願いするわけには行かないし、超多忙を極める某中堅整備士に頼もうにも「自分でやって下さいっ」のヒトコトで却下されるのがオチである。

人任せにしていては、いつまで経っても何も進まないし、したがって飛べない。

改めて思う。
依存とは、自由を失うことだ。
「それは自分でできる」という自分になることは、自由を手にすることだ。

・良く整備されていて、いつでも飛べる状態のヒコーキを飛ばすのは簡単。
・いつでも飛べるように整備された状態をキープするのはそれより大変
・壊れた部分を修理するのはもっと大変(時間かかる)
・材料を加工してゼロからヒコーキを作るのはさらにタイヘン。
鋼管加工溶接に木工加工接着、被覆、羽布張り塗装、リンケージ 艤装。エンジンも作らにゃならんし。
 無線機とかトラポンとかを作るのもヒジョーにタイヘンだろう。
 でも、どこかで誰かが作り、誰かが調整し、あるいは修理している。見えない、あるいは見ていないだけで。
・一番タイヘンなのはヒコーキの設計。これはムツカシイ。あくまで想像ですが。エンジンはもちろん、無線機とかトラポンとかのアビオニクスの設計も、とんでもなく高度な専門知識を要する。それができる人は本当にわずか。限られている。

フライトのほうは練習開始から30~50時間も練習すればたいていは誰でもソロには出られる。
それに比べると「翼端板たった1枚だけの修理」で15時間ってタイヘンだけど、それでも修理/整備作業は製造や設計に比べれば遙かにラクなんだろう。きっと。だから、フライト<修理/整備<製造<設計

MRJ/スペースジェットの件。
最後のアメリカでの型式認定をクリアできず1兆円がパーになったけれども。とにかく、日本人が設計して、製造して、整備して、調整して、飛んだことは間違いない。その経験をなんとか次世代にリレーできないものか・・・。

タマラン・・・。

この半年2023年01月24日 14:09

更新をサボっていたここ半年の状況です。

25B関係。
今期の耐空検査整備はエラいことでした。時間も費用も例年の1.5倍。
アウトリガーのタイヤ、チューブ、無線機、高度計、トラポン

高度計校正

エレベータ修理

マグ取り外し

マグOH

機体カバーのミシン修理

係留具類お手入れ運搬

プラグ交換

工場のプラグテスター借りて発火テスト

耐空検査、無事パス。TAB/トラポン、特操審、完了。

つくばサーキット ソロX-Country

今期は珍しく右席に上級者に乗ってもらって訓練も。元イーグルドライバーのJ隊/空将補殿なんだけど動滑の教証も持ってる元W大航空部主将、、、って肩書き多すぎ。

同じく。つい先日、飛行機の教育証明/実地試験に合格してセスナの教官になったベテランの動滑機K内教官。当クラブでほぼ同期、20年来のお仲間。

F沼教官殿、当ハンガーに来訪。棚板を大量に頂戴いたしました。あざす。

どーもです。

ハンガーハウス、ドアノブ修理

同上。

バイク関係
フルプロテクタ内蔵のバイクウエアとパンツを新調。

オプションのネックブレイス取付け方法がチャチなので強力ボタン*4個方式に改造。

良い仕上がり。

購入来10年経過でぼろぼろになったバイクウエアをミシン修理。

これであと5年は使える。夏季ツーリング専用とする。

今年はバイク3台、車検を通した。エライこった。どれもポンコツになってきた。防犯上の観点と、今年は主翼2枚の修復塗装をする関係でそのスペース確保のため、バイクをセキュリティが完璧な別の業者倉庫に移動した。

乗鞍秋合宿の帰路、白樺峠をひとり、下る。

往路のルートは赤城→中之条→東吾妻→嬬恋→上田→青木村→安曇野→乗鞍、1泊2日で850Kmくらいだった。

ハンガーハウス建築DIY。床職人として稼働中

自作ロフトにフローリングを張る。

同じく

関東のナンガパルパッド/死の山と呼ばれる峻厳な山に登頂成功。
別名八重山ハイキングコースとも云うが。旧友AZくんと山行。

AZ君にローソンプレミアムハンバーグを食わせる。

クラブハウスのFSで訓練。アメリカ/サンノゼの風景がリアル過ぎてぶっとぶ。懐かし過ぎ。アメリカ陸単修行をしていたのはもう25年も昔のハナシ。

かつて時折、遊びに行っていた旧Q99/サウスカウンティ飛行場。現在はサンマーティンと言うらしい。

某飛行クラブ筋から依頼された電子工作関係のオシゴト。

同上、これも別件の某クラブ関係のオシゴト。

オシロで変調波形を観る。ボチボチOK。

自分の機体を自分で修理整備する、ということはそのための自分の工場を維持していく、ということであり、そのためにマイ工場の敷地の手入れという大仕事も伴うのであった。

これが

こうなり

こうなって

こうなる。

作業途中で旧石器時代の遺物が発見された。これにお世話になった友人も多いはず、、、。

ラジコン関係。遅々として進まず、、、。

コンピュータプロポの設定もアレヤコレヤいじる。

その割には飛ばしている。

ラジコン工作台は状況、混沌としている。収拾つかない状態。

ハンガーの空

飛行場の夕日。

タマランです、、、。

「銀色の単葉機」2023年01月19日 15:31

ブログを更新しないまま、半年が過ぎてしまいました。
ヒジョーに忙しい日々を過ごしており、更新をサボっておりました。
中には当ブログをご覧になって、ワザワザ当ハンガーを訪問してくださり、あげくクラブに入会してセスナの訓練を始めたお方もおられます。ナンダカその方の人生を誤らせてしまったような気がしないでもなく、マコトに申し訳ございません。

サテ、今回は、年頭に際し、自分の原点というべきものをネタに書いてみました。
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よく、依頼者の方や顧問先シャチョーetcから質問を受けます。「センセーはなぜ弁護士を志したのですか?」と。

毎回、この質問に対する返答に窮しておりました。なので今回、整理して考えて見ました。

ひとりだけの業務で完結する弁護士というプロフェッションを選んだことの他にも、、、

・バイクツーリング、たいていソロツーリングになるのはナゼ?
・25Bのフライト、必要がある以外はすべてソロフライトなのはナゼ?
・ひとりだけのDIY大工仕事で家を作ろうとするのはナゼ?
・ひとりだけで、ひとりだけの相手が待つリングに上がるボクサーに憧れて  しまうのはナゼ?
・比較的大手のいわゆる老舗の法律事務所にいたのに、なんで独立した  の?
・音楽はオーケストラが苦手で、バッハの無伴奏チェロとか無伴奏バイオリンのためのパルティータとか、独奏モノが好き。
・コンサートや観劇などが苦手。ひとりでギター&ピアノ練習する時間を好む。

・・・とツラツラと自己分析するに、12歳/小6の時に母親とともに訪れた新宿伊勢丹、誕生祝いで買ってもらって以来耽読した「大西洋無着陸横断記」に行き当たったのであります。
 この物語の中で、著者のC・A・リンドバーグさんという人が、下記の趣旨のコトバを遺しております。

「ひとりでやって一人前、二人なら半人前、3人でやったなら自分で成し遂げたとは言い難い」
 以来50年、少職はこのコトバの呪縛から逃れられない人生だったように思います。

リンドバーグがNYのルーズベルト飛行場で離陸準備をしていた小雨の早朝、ライバルたちは皆、多人数チーム、複数パイロット、重量級の多発/複葉機であったが故に、意見が合わず出発判断が遅れてしまいました。
 これに対してリンドバーグはシンプルで軽量な単発/単葉/単座の機体、ソロパイロット、チームのTOPは自分ひとりだけ・・・だった故に、
自分だけの即断即決により、勇躍、離陸したのであります・・・。

「すべてを自分ひとりで決め、すべてについて自分ひとりだけで責任を負う」
なんてカッコエエんだろーーーー。
今でもそう思います。

ロングアイランドの先端からノバスコシアを越え、ニューファンドランドの上空を通過し、眼下にセントジョーンズの岬を眺めつつ大西洋の大圏コースへ・・・。

 自分にまだ果たしていない夢があるとしたら、リンドバーグさんが見たその風景を、レンタルセスナでいいから、オレも自分の操縦するヒコーキのコクピットの窓越しに見てみたい、というのがあるかも知れません。

それでたまに洋上飛行を試みます。
九十九里の海岸線を10分飛んで、オレだってこのまま、あと33時間20分も飛び続ければ、大西洋の大圏コースを経て、花の都パリ、そしてル・ブールジェ飛行場だ、、、なんて想像しながら。
 海上に漁船を発見したなら、高度50ftまで降下して、大声で「アイルランドは、どっちだあああああ」と叫びたい衝動に駆られながら。

あの「銀色に輝く単葉機」のように・・・

https://youtu.be/01w7KVO5lt8