1974 「凍河」2014年10月15日 22:21

相変わらずの主翼補修作業、この晩秋の耐空検査を目指し、突貫工事が続く。

M田師匠とは違うやり方を工夫している。技術力も経験もセンスも劣る自分が、師匠と同じやり方では上手くいくはずもない。

空の青から夕日のオレンジ色につながるグラデーション。
茜色に染まる中秋の夕景を、ひとり眺めつつ・・・。

時に作業は深夜にまで及ぶ。

シャチョーにかり出され、秘密の第5工場にて機体移動のお手伝い。

(オマケ)
自宅寝室もDIYで漆喰の壁塗りにチャレンジ中。楽しいです。

さて・・・。
小職も少しばかり法的処理に関与したアレキサンダー・シュライハー「ASK14」。ドイツに送る直前、M田師匠と二人で検分しました。師匠曰く「僕が14歳の頃からの、憧れの機体」だそうで。その早熟ぶりと「ヒコーキの血の濃さ」には圧倒されますが、それも「ギフト」なんでしょうね。到底かないません。

・・・ん?14歳?アレ?
オレの14歳って、どんなふうだったっけ?と記憶を辿ると・・・ま、相当にアンポンタンな感じでした。

                 「1974 凍河」

(ハンダゴテからギターへ)
1974年と言えば小職は14歳、思春期(中二病とも言う)真っ盛りだ。
お勉強なんかは完全に放逐し、無線機の自作や電子工作に没頭、アキバのジャンク街を徘徊する毎日だった。ところがある日を境に唐突にもハンダゴテと訣別し、お茶の水は下倉楽器に走ったのだった。
 目的はギター。モーリス製、マーティン/ドレッドノートのコピーモデル、
確か2万円くらいだったか。
 「鈴木メソッド」でヴアイオリンを6年ほど習っていたせいか、自分で言うのもなんだがギターの上達はソコソコ早く、早くからS&Gに傾倒し、半ば本気で、いずれはギター/ボーカルでステージに立ちたい、などと漠然と考えてもいた(中二病)。

(S&Gとビートルズ)
 ビートルズはただただ喧しく、ギターもコードストロークメインでジャカジャカ弾くだけ、好きだの恋しいだの、イエイイエイだの、手を握りてえ、だの、助けてくれい、だの、潜水艦が何ちゃら、だの、甚だ無風流に思われ、ハッキリ言ってどこが良いのか、ちっとも解らなかった。
 それに引き換えポール・サイモンの詩的世界は優しく美しく深く、「Anji」
のフィンガーピッキングなんかはムチャクチャかっこよく(坂崎さんの実演を○ou○ubeで聴けます)、”The words of the prophets are written on the subway walls”(予言者の言葉は地下鉄の壁に・・・)などという哲学的問いかけを真に受け、僕は半ば本気で、地下鉄丸ノ内線の壁面に自分に向けたメッセージを探したりしていた(中二病)。

(朝日新聞連載小説「凍河」)
 そんな1974年、中二病まっただ中のある日、後年、その「底の浅さと説教臭さと上から目線に辟易する記事」で大嫌いになる朝日新聞紙上に、五木寛之氏の連載小説が始まったのであった。その題名が「凍河」。 
 なにしろイノセントな14歳であるから、この小説の性的描写部分には相当にドキドキムラムラもしたが、とにかく親の目を盗むようにして毎日耽読したものである。

(「凍河」のテーマ)
 この小説のテーマについては40年の時を経て現在でもいろいろな評論があり、「精神科医師と女性患者の禁断の恋」だのなんだのという底の浅い解釈も散見されるが、それは全く違う了見だ。この小説のテーマは、ズバリ、

「青年は、いつか、たったひとり、真っ黒な凍河を渡る。その時、青年は自分の大切な何かを、捧げ物とするだろう」

・・・このメッセージ、それに尽きるのであるっ!!
 当時の僕はこの小説に底流にあるメッセージをそんなふうに受け止めたし、それは後年、何度この小説を再読しても変わらない。

(「中二病」快癒)
 この小説を読了したことをもって、「14歳の僕」は「中二病」を脱したように思う。有り体に言えば、ギター熱は冷めた。そしてオートバイという存在を始めて意識し、深く傾倒していった。
(ツラツラと想い出すに、中二病を脱した契機はもうひとつあった。中学校卒業の謝恩会で、かねて「あいつはプロ並み」と噂されたN君がジャズピアノを演奏したのだった。それを聴いてぶっとんだ僕が興奮してN君に「オマエやっぱしミュージシャンの道を目指すのか?」と問うたら、N君はものすごく冷めた口調で「オレ程度のピアノでは全然ハナシにならない、平凡な勤め人になるさ」と即答したことだった。僕はその時、N君はオトナで、自分はコドモだとはっきり悟ったのだった。)

(「凍河」とBSA、そしてW3)
さて、この小説の主人公の青年医師はバイク乗りで、実に颯爽としていた。14歳の僕はその主人公に憧れ、自分も「青年」になったならば必ずやバイク乗りになろう、との思いを定めた。
 その主人公の駆るバイクが「BSA」だ(ゴールドスターだから、おそらくはDBD34か)。主人公は、自分の愛するBSAを「捧げ物」にして過去の自分と訣別する覚悟を決め、そしてヒロインと伴に旅立つところでこの小説は終わる。
 後年、さすがにBSAというワケにはいかなかったが、僕の選んだバイクはカワサキ「W3」。カワサキW系の原型はBSAの「A7/シューティングスター」だから、僕の旧き良き英国製バイクへの傾倒は、この小説の影響、刷り込みによるものに間違いない(断言)。

(法曹への道程)
 そして、僕にとっての「凍河」は、言うまでもなく法曹への遠い道程。この河を渡るために、僕はいったんバイクから降りることを決めた。W3を「捧げ物」にしたのである。
 この小説を読んだ14歳のそのときから、僕は、自分もいつかはオトナへの道程として、暗い、冷たい凍河をたったひとりで渡らなければならないということ、そしてその時には、自分の愛する大切な何かを捧げ物にしなくてはならないということを、漠然と意識し、そして覚悟したように思う。
(こういう思い込み自体が「中二病」じゃあないの?というスルドイ指摘はまた別途・・・)

(まとめ)
なんでオレはバイク乗りに憧れたのだろう?
なんでオレはW3みたいな英国調のポンコツバイクを好きになったのかな?
どうしてオレはバイクを降りて、法律の勉強なんか始めて、法曹を志したのだろう?

・・・そんな記憶を掘り起こしてみたら、1974年の新聞連載小説、「凍河」に辿りついた。
 一冊の本との出会いが人生のバックボーンになることがある、と言われますが、僕の場合、もしかしたらそれがこの本だったのかも知れません。
 そして今、僕がW3のすみずみまで手を入れて整備し、磨き、慈しむ時、心の内に湧き上がる想いは、少年だった日々の自分に対する追憶と、このバイクとともに通り過ぎていった全ての「時間」に対する、感謝の念。

・・・てなことで、みなさんの「中二病」はいかがなものでしたでしょうか?
たまには想い出してみてください。

それでは、また。