「ミッション遂行」 ― 2023年10月31日 10:27
同じ大学で
同じ学部で
同じバイクサークルに所属し
自分が1年生の時の4年生のセンパイで
同じカワサキ/W3というバイクを駆り、
卒業後は就職せず。
法曹の道、司法試験の道をともに志した。
自分はセンパイの背中を追い掛けるようにして司法浪人の道へ。
ともに昭和の時代の旧司法試験の辛酸を嘗め
合格後はともに法律実務家/弁護士として働き
30余年が経過した。
思えば、このセンパイと自分のつながりには、深い縁のようなものがあるのかも知れない。
司法浪人時代、センパイからの電話。
「飯田橋の予備校前にいる、W3のキャブからガソリンがダダ漏れだ。オマエ、フロートバルブ持ってたな。工具持って、チョット来てくれねえか」
あるときは、司法試験の合格発表をW3に乗って見に行ったセンパイ。不合格で、失意のドン底なのに法務省の真ん前で、W3のミッションリターン・スプリングが折れた。そのまま1速だけ使って自宅に帰り着いたところで電話。「オマエ、リターンスプリング持ってたな、貸してくれ」。
貸したスプリングは、当時すでに「NO LONGER」パーツで貴重品であった。なのでW3二台を連ね一緒に大田区の「浅場スプリング製作所」を訪ね、センパイは浅場さんにスプリング10個を3万円で特注した。当時「トライアンフの神様」と呼ばれていた、あの浅場さんである。
しばらくして、センパイは「利子を付けて返す」と言って、スプリングを2個、自分に手渡してくれた。
今般、その10個のスプリングと40余年ぶりに相まみえた、、、。
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この夏の少し前、そのセンパイから、久しぶりに電話があった。
「自分はバイクを降りる。ついてはバイクの引き取り先を探してくれ。転売目的の輩ではなく、自分で修理しつつ慈しんで乗ってくれる買主を希望する。値段はどうでも良い」
「その件、謹んで承りました」
「予備の部品がたくさんある。オマエに全部やるから引き取ってくれ」
「いやいやいや、自分のハンガーにも部品はテンコ盛りで、もう置き場はありません、むしろ自分が終活/断捨離したいくらいの状況で」
「そんなら売っぱらってカネに換えれば良い」
「そんなカネを受け取るワケには参りません」
「ではどうしたら良いかな?」
「処分して得たおカネをクラブの後輩にでも寄付したら良いんじゃないでしょうか」
「そりゃーーーーー良い考えだ。そうしよう。是非そうしてくれ」
センパイ宅から引き取ってきた部品たち
面倒なことにはなったが、自分とセンパイとの縁を考えると、仕方ない。
部品、まとめて売ればラクだけど、売値が安くなってしまうからひとつひとつヤフオクで売るしかない。
例えばガソリンタンク。
パーツクリーナで汚れを落とし、ワックスかけて磨く。
光の当て方を工夫して、一眼レフでできるだけ綺麗な出品写真を撮る。この「テカり」が重要なのだ。
このタンク一個だけで7万円近い値段で落札された。
タンク内部に内視鏡スコープをつっこんで撮影し、内部に錆びのないことの証拠写真をつける。そうすれば入札が増える。
近時、ヤフオクでは「3N」が当たり前だが、売主もW乗り、代理出品の自分もW乗り、入札者もW乗りだから、仁義ってもんがある。詳細に状況を説明し、気に入らなければ返品/返金可、で出品した。
梱包は2重梱包。段ボール箱を2重にして、スキマにクッション材をギュウ詰めして。買い手のW乗りに届ける。
最後のミッションは、動画撮影。
部品の売却金は、クラブの乗鞍/秋合宿の宴会の際に簡易な贈呈式をやって、その状況をビデオ撮影して、You Tubeに限定公開でアップして、センパイにURLを送って伝えた。大層喜んでくれて良かった。これで今回のミッション遂行は完結。
寄付金贈呈式の動画撮影でも、他者から受けた厚情に対して素直にお礼を言える人と、そうでないヤカラがいる。それはそれぞれの人間の「器量」ってもんだから、如何ともし難い。しかしながらクダラン発言の部分は動画編集でカットするというひと手間を余計に要した。
ともあれ、まだまだ未処分の部品がたくさん残っており、これらも追々、オク売りして来年の秋合宿で、また後輩どもに寄付をせねばならん。
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乗鞍/秋合宿からの帰路。
無事、ミッション完了ってことで安堵。
晴れ晴れとしたキモチで峠を下る。
後輩どもから「センパイ、一緒に走りましょう」と誘われたが、丁重に固辞。
彼らは峠道を走るのが楽しい。バイクをコントロールするのが楽しい。速度の快感が楽しい。
それは、峠道下りがあっという間に終わってしまう、ということを帰結する。当然のことながら。
これに対して、自分の思いは、かつて某小説家が表現した「秋の信州をひとりバイクで旅するときに感じる、自分がその風景の一部になってしまったような錯覚」を、「一秒でも長く」味わいつつこの峠を下りたい、と云うところにある。したがってナナハンを駆りながら、他者から観ればその速度域は笑われるくらいの低速だ。
つまり、同じようにバイクを駆って峠を下りながら、ココロの内のベクトルは全く逆の方向を向いている。まだ若き後輩どもと、すっかりジジイになった自分と。相容れるものはないのだから、仕方ない。
見上げる錦秋と冠雪の乗鞍岳
白樺峠の下りと木漏れ日
葉漏れ日の峠道
今回の旅の相棒は、この夏の炎天下、ヒーヒー言いながらキャリパーをOHしたZEP750
高原の道に秋は深まる・・・。
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今回の件で、横浜のセンパイ宅に何度も通った。
売却を依頼されたバイクの状態検分、買主との交渉立ち会い、引き取り立ち会い、パーツ引き取り。
でも、自分を信頼してくれて、大切なバイクとパーツの処分を託されたことは名誉なことであって、センパイとのキズナをむしろ嬉しく感じた。
センパイを車の助手席に乗せて自宅に送る途中、問うた。
「センパイ、我々はあの昭和の時代、どうして司法試験なんてものに挑んだのでしょうか」
「そりゃむちゃくちゃ難しいからだろ。高い山に登りたがる登山者と同じだ。今の時代の受験生は可哀想だよ。極端に簡単な試験になっちまって・・・」
・・・即答であった。
平成の時代の小泉さんによる司法制度改革にはじまり、令和の時代の司法試験は5年間で5回までという受験制限があり、その制限内での「累積合格率」はほぼ「8割」である(大学で法学系既修者の場合)。
法科大学院(ロースクール)を出れば8割の人は合格できるとはいえ、そのために大学卒業後、さらに2年間の時間と200万近い学費が必要となるし、合格しても弁護士激増/過当競争によりメシを食って行くのも容易でない。そんなローリスク・ローリターンには夢も希望もなく、したがって法曹志望者/司法試験受験者は激減した。結果、この記事のように「法曹志望者の確保」が急務の時代になった。
「昔は良かった」などと云うつもりは毛頭ない。
しかし昭和は遠くなりつつある。











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