「評価」 ― 2021年03月18日 16:09

たまにはパワースポット。
鹿島神宮前でファイティングポーズをとる。

昔、後輩君にもらったジムニーのスタッドレス。10年以上、冬場に使ってきた。2005年第47週の製造・・・スキーに行くのにサスガにこれはマズイ・・・

硬度計でチェックするとイエローアーク・・・ここで貧乏性を出すとアブナイ・・・。

と、いうことで格安2020年製タイヤをオク落札。2000円のクーポンがついてきてウレシイ。ヨコハマ/アイスガード スタッドレス。

サスガに硬度もバッチシ。オク落札タイヤ4本をジムニーちゃんに積んで出発・・・

スキー場に向かう道すがら持ち込み大歓迎の「タイヤはめ屋さん」で装着してもらう。エアインパクトを使ってないので、「なして?」と聞くと「ナットにトラブルあるから」と。へーー。手締め→トルクレンチで100ニュートンとのこと。客に締め付けトルクを確認させる。レンチの較正やってんの?と聞こうとしたがイヤミなのでやめた・・・

そのまま懐かしのR20を辿る。大垂水峠って、こんなに短かかったっけ?高校生の頃、CB125JXで攻めていた峠。上野原、大月、ずっと下道で甲府過ぎて日が暮れて真っ暗になったので中央道で松本ICへ。

乗鞍スキー場にてスキー。1.5泊2日というスケジュール。

一緒に行った後輩のスキーログ見せてもらったら最高速「64.8Km/h」だと!!。そいつ体重80kgくらいあるし。こんなヤツにぶつけられたら死ぬなあと思った。で、ヘルメット買った。このトシになって買うとは思わんかった・・・。

予備タイヤ、スキー、ブーツ、その他アレコレ載せたままのジムニーで。

松戸の裁判所へ・・・。

飛行場では。いつものとおり仲間達とクラブ活動のヒトコマ・・・

このトシになってクラブ活動、ってのもいいですな。

この季節、乗れてるときは毎週飛んでも燃料代は月額3000円ペース。若草大橋西1マイルでイイ感じのサーマル捕まえて、〇〇牧場のリフトとか、××ゴルフ場のサーマルで遊んで・・・ほとんど燃料使わないソアリングが楽しい。どんだけ燃料を節約できるか、という遊びなのだ。

しかしながらこんなふうに筑波山まで遠出したり。

GPSと高度計の表示があってるのを喜んでみたり、

サーマルサーチしてるうちに牛久沼まで進出したり・・・

春っぽいヘイズの中をX-Countryしたり、

飛行場周辺でエアポートワークの練習したり・・・

・・・していると(つまりエンジンを使って飛んでると)、こんなふうなドヒヤーという燃料代を請求されてビックリする。いつもの倍だ。

おっかない感じのOAT/DP エンジン、止まりますよ~。判りますか~

サテ、ハンガーでは。RC機のラックを作りました。

電動小型機、ようやくの完成です。

CGもバッチシ。

胴体210g。

主翼70g

これは「さんしな工場」で彼が作ったムサシノ「スカイウオーク」

その製作中の状況・・・サスガにプロの航空整備士(動滑/陸単ピストン)が作ると、ナンカ、「凄み」みたいなもんを感じますね・・・。自分の機体を預けている整備士がこんくらい細かいことができる人間なんだ、というのは安心感がある。人間は時によって細かさが必要ですね。

スンマセン。事務所でもRC工作をチョットやったりしてます。トラス構造って、ステキだなーー。

その事務所(12F)から見た富士山。

ハンガーに戻ります。RC塗装用の小振りなコンプレッサを調達しました。

ついでに同じく小振りのスプレーガンもゲット。

RC用ドープの代替に使えそうなニトロセルロース系塗料を大量仕入れ。

******************* 「 評価」 **************************

第3者による自分の評価。
それはその第3者がその人固有のモノサシで自分を測る、ということ。
ではその第3者はどんなモノサシを持っているのか?
それはその第3者がその人生で実際に経験したことを通じて培ってきたモノサシ、だ。
実際に経験していないことについては、モノサシを持てない。「想像」でしかないのだから。

知っている、見たことある、聞いたことがある、読んだことある・・・は経験とは呼べない。

実際にそのヒトがその人生で経験したことだけがそのヒトのモノサシになる。

そして、あらゆるヒトがあらゆる異なった人生を過ごし、あらゆる異なった経験をするわけだから、人々は、あらゆる対象/事象に対して異なるモノサシを持つ、ということに帰着する。

このように誰かが誰かの評価をするとき、モノサシ自体が千差万別なんだから、「評価」という「モノサシによる測定結果」も千差万別になる。

一例を挙げると、こんな感じだ。

一般に、グライダーで空を飛べる、自分で機体をいじる、ということに対して、それはスゴイね、と。そういう評価をされたとする。

しかし、他方、師匠の故松つあんや三田大明神からすればそれは「児戯に等しい」と評価される。もちろん三田大明神は人格者だから「児戯に等しい」なんてコトバは使わない。性格が優しいから「微笑ましいですよね」なんて言い方をされたりする。

そうであれば、他者による評価など、どうでも良いではないか。
スゴイね、と言われて浮かれるのはバカだし、微笑ましい、と言われて落ち込む必要もない。

逆に、故松つあん/三田大明神の仕事に対して、ワタシのモノサシでは測ることはできない。なんか、スゲーなあ~と思うだけで、自分のモノサシを超えた部分は測定不能なのだ。無理矢理に評価=測定したとしても、誤差が大きすぎて意味が無い。

ことほどさように、自分に対して、あるいは自分のやったこと、やっていること、あるいは人生そのものであるとか、行動に対して、他人による評価、というのは大抵の場合、無視して良い。生きているといろんなヒトからいろんなモノサシで評価されるけれども、そんなものをイチイチ気にする必要など、ないのだ。

誰かが自分をどう評価しているのか、そればかりを気にして人生を過ごしているうちに、きっと、自分というものを見失ってしまう。

ひとつの自分の行動を、AさんはAさんのモノサシで「是」とし、BさんはBさんのモノサシで「非」とする。Aさんにも「是」とされたい、Bさんにも「是」とされたい・・・みたいなことを繰り返していて、自分を構築できますか?
自分に対する評価は、自分にしかできないし、自分ですれば良い。


同様に、他者に、あるいは自分に関すること以外の事象に対して、意見や評価や評論や提案はしない。ただ、常に「何かをしている人」=実践者、実行者でありたい。

つまり、自分は空を飛ばねばナランのである。
なるべくエンジンやら燃料を使わずに。
ハナシはそこに戻る。
これだもんな・・・
仕方ないな・・・
ナンチャッテ。

たまらん、、、。。