「ひとすじ」2022年08月31日 22:21

梅雨がなく、酷暑続き、作業もキツく、疲労困憊の夏だった・・・

しかしながら「25B専用整備車両/軽4駆」の整備作業に没頭した夏、として記憶に残るであろう・・・。

もともとポンコツ中古車としてヤフオク購入以来15年、多忙によりほぼ放置プレイ/ノーメンテの結果、こりゃーいよいよアカンな、というところまで追い込まれた。この軽4駆の車検をパスできなければ、河川敷活動はお手上げだ・・・。

これは酷使される某クラブの重量級4駆。河川敷活動の過酷さを物語る・・・。

暴風雨の夕暮れ時、25Bの係留が心配になって、ひとり誰も居ない飛行場へ見回りに行く。重量級4駆ではヌタヌタのマディに沈み込み、スタックして身動きが取れず。
 唯一、軽4駆だけが命綱・・・てなことをこの15年繰り返し、その挙げ句の泥、ドロ、、、。

これでよく点灯するもんだな、、、。


サンエスで。まずは下回りを徹底して洗浄

4輪ジャッキアップ、ブロック載せ、仰向けでクリーパーに乗って車体下に潜り込み、サンエスのシブキを顔面に浴びながら


タマランです。ツナギ/Tシャツを着ている意味はなくなり、水中ゴグル着用+パンツ一丁で作業、暑くなればそのまま水浴び・・・。


次は各部分解。
まずはFバンパー取りはずし。この15年で3回くらいトライしたが、その度にガンとして緩まない激サビ固着ネジに跳ね返されてきた・・・。今回こそは容赦せんぞ!!!S社めっ!! ラスペネ/凍結ルブ、ぶち込みまくり、エアインパクトで。

ふ~ようやくはずれた・・・一部は激サビネジがどうしても緩まず、ネジ頭をサンダーでぶっとばしてようやくバンパーフレームまで分解・・・

S社よ・・・ネジの激サビは仕方ないとしても、こういうところに低頭ネジ使うの、ヤメとくれ。ザウルスでも頭を掴めんのだ、、、。


激サビネジ軍団

激サビパネル除去

激サビ部分をFRPに置換する作業・・・FRP板製作

FRP板を製作、貼り付け。10か所くらい。

次なるは激サビ部分を各種鉄ブラシで徹底的に落とす。浮きサビが残っているとうまく黒サビ転換できない。

然る後、激(赤)サビ→黒サビ転換剤スプレーを塗布。計3本使用。塗布してしばらくすると硬化して真っ黒な黒サビに転換される。

その後、シャシブラのスプレーを塗布。5本使用。クルマの下にもぐってクリーパー乗って仰向けでスプレー、ミストを浴びて顔面が真っ黒になる作業。

作業中、コンプレッサのドレンがイカれて修理。Oリング交換

取り外したFバンパーは再生不能の激サビ状態。
https://youtu.be/VVrEVrtl97Y

やむなくヤフオク激安魔王にてFバンパーを1600円落札・・・

1600円落札フロントバンパー着弾、、、激サビ品だったらどうしょう、、、開梱が怖い
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

思いのほか上モノでした。この後、軽くサンディング→パテ入れ→非鉄プライマ塗布→お化粧塗装して、、、

取付け完了

旧激サビバンパーはサンダーでぶった切って金属ゴミ出し。

この長い夏の作業の名残として激サビバンパーの残骸を壁に吊す・・・

激サビ状態のフォグランプを

サビ落とし、黒さび転換、シャシブラ塗装後、組み付け・・・

ラダーフレーム、リヤクロスメンバーのサビ穴塞ぎFRP修理作業。タンク固定ボルト、激サビ状態で緩まず・・・。エアインパクトでナントカ、、、。


河川敷活動 with  25Bは70歳でリタイヤする予定なので、この25B専用整備車両/軽4駆、そこまで持てば良しとする。あと8年/車検4回、この夏の作業で、ナントカいけそうとの手応えを得た。

 レストア、とかそういうことではなく。フツーに車検が取れて、不安なく実用になれば、それでOK。そのためのミニマム作業。


*************  ひとすじ *********************

尊敬する刑事法の大家、故団藤重光先生に「この一筋につながる」という著作がある。

 芭蕉の「ついに無能無才にして、この一筋につながる 」との言葉が由来のようだ。


自分にも「ひとすじ」があるとすれば、それは何だろう?

それを知るためには、時に自分と(特に少年(少女)時代の自分と)会話をすることが必要なのかも知れない。人生の節々において。


ユヅくんは「9歳の自分に『飛べ!!』と言われて4Aを飛んだ」と。

https://www.youtube.com/watch?v=BR4wEpWkfHk


村田選手は、GGGと闘いKOされた直後、リング上グローブをマットにつけたまま微笑み「これで14歳の自分に恥じないで済む」と。

https://www.sanspo.com/article/20220410-YLUCL6NLMJK2ZICW7KVFSSMJZI/


自分の12歳、1972年8月家族旅行/長野は戸隠高原にて。


工藤プロダクト/アトラスジュニア号のエンジン始動をする。

バルサキットから1年かけて自力で製作、ラッカー絹張り、仕上げは2液性ポリエステル刷毛塗り、エンヤ09Ⅲ型搭載、メカはトーン式送信機/超再生検波受信機、シングルサーボ ラダーオンリー 2ch。

 これを小刀「肥後の守」とボンナイフ、紙ヤスリ、木工ボンド、24Hエポキシ、父親から借りたハンダゴテ・・・で組み上げた執念を想う。

初飛行に備えてヘルメットも持参(左足のところ)。
右手のズタ袋にはヘルメットと送信機を入れて。
左手のズタ袋には始動用バッテリ他エンジン始動用具、燃料缶、工具類を入れて。
背中のリュックに胴体と主翼をつっこんで。

そのいでたちで東京駅から長野行き急行列車に乗り込んだ、、、。

(我が亡母、よくそんなことを許したな、と思う・・・)


このヒコーキ、結局、大空を舞うことなく廃棄される運命となった。

そのことでこの少年は2つのことを学んだと思う。


ひとつは、どれほど強く望んでも、実現できないことがある、と云うことを。

 そしてもうひとつは、飛ばせば壊れてしまうかも知れないけれど、どれほどの宝物であれ、飛ばしてみなければ、飛ぶか飛ばないかは永遠にわからない、と云うことを。


遠い夏の日、、、。

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