梅雨がなく、酷暑続き、作業もキツく、疲労困憊の夏だった・・・
しかしながら「25B専用整備車両/軽4駆」の整備作業に没頭した夏、として記憶に残るであろう・・・。
もともとポンコツ中古車としてヤフオク購入以来15年、多忙によりほぼ放置プレイ/ノーメンテの結果、こりゃーいよいよアカンな、というところまで追い込まれた。この軽4駆の車検をパスできなければ、河川敷活動はお手上げだ・・・。
これは酷使される某クラブの重量級4駆。河川敷活動の過酷さを物語る・・・。
暴風雨の夕暮れ時、25Bの係留が心配になって、ひとり誰も居ない飛行場へ見回りに行く。重量級4駆ではヌタヌタのマディに沈み込み、スタックして身動きが取れず。
唯一、軽4駆だけが命綱・・・てなことをこの15年繰り返し、その挙げ句の泥、ドロ、、、。
これでよく点灯するもんだな、、、。
サンエスで。まずは下回りを徹底して洗浄
4輪ジャッキアップ、ブロック載せ、仰向けでクリーパーに乗って車体下に潜り込み、サンエスのシブキを顔面に浴びながら
タマランです。ツナギ/Tシャツを着ている意味はなくなり、水中ゴグル着用+パンツ一丁で作業、暑くなればそのまま水浴び・・・。
次は各部分解。
まずはFバンパー取りはずし。この15年で3回くらいトライしたが、その度にガンとして緩まない激サビ固着ネジに跳ね返されてきた・・・。今回こそは容赦せんぞ!!!S社めっ!! ラスペネ/凍結ルブ、ぶち込みまくり、エアインパクトで。
ふ~ようやくはずれた・・・一部は激サビネジがどうしても緩まず、ネジ頭をサンダーでぶっとばしてようやくバンパーフレームまで分解・・・
S社よ・・・ネジの激サビは仕方ないとしても、こういうところに低頭ネジ使うの、ヤメとくれ。ザウルスでも頭を掴めんのだ、、、。
激サビネジ軍団
激サビパネル除去
激サビ部分をFRPに置換する作業・・・FRP板製作
FRP板を製作、貼り付け。10か所くらい。
次なるは激サビ部分を各種鉄ブラシで徹底的に落とす。浮きサビが残っているとうまく黒サビ転換できない。
然る後、激(赤)サビ→黒サビ転換剤スプレーを塗布。計3本使用。塗布してしばらくすると硬化して真っ黒な黒サビに転換される。
その後、シャシブラのスプレーを塗布。5本使用。クルマの下にもぐってクリーパー乗って仰向けでスプレー、ミストを浴びて顔面が真っ黒になる作業。
作業中、コンプレッサのドレンがイカれて修理。Oリング交換
取り外したFバンパーは再生不能の激サビ状態。
https://youtu.be/VVrEVrtl97Y
やむなくヤフオク激安魔王にて
Fバンパーを1600円落札・・・
1600円落札フロントバンパー着弾、、、激サビ品だったらどうしょう、、、開梱が怖い
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
思いのほか上モノでした。この後、軽くサンディング→パテ入れ→非鉄プライマ塗布→お化粧塗装して、、、
取付け完了
旧激サビバンパーはサンダーでぶった切って金属ゴミ出し。
この長い夏の作業の名残として激サビバンパーの残骸を壁に吊す・・・
激サビ状態のフォグランプを
サビ落とし、黒さび転換、シャシブラ塗装後、組み付け・・・
ラダーフレーム、リヤクロスメンバーのサビ穴塞ぎFRP修理作業。タンク固定ボルト、激サビ状態で緩まず・・・。エアインパクトでナントカ、、、。
河川敷活動 with 25Bは70歳でリタイヤする予定なので、この25B専用整備車両/軽4駆、そこまで持てば良しとする。あと8年/車検4回、この夏の作業で、ナントカいけそうとの手応えを得た。
レストア、とかそういうことではなく。フツーに車検が取れて、不安なく実用になれば、それでOK。そのためのミニマム作業。
************* ひとすじ *********************
尊敬する刑事法の大家、故団藤重光先生に「この一筋につながる」という著作がある。
芭蕉の「ついに無能無才にして、この一筋につながる 」との言葉が由来のようだ。
自分にも「ひとすじ」があるとすれば、それは何だろう?
それを知るためには、時に自分と(特に少年(少女)時代の自分と)会話をすることが必要なのかも知れない。人生の節々において。
ユヅくんは「9歳の自分に『飛べ!!』と言われて4Aを飛んだ」と。
https://www.youtube.com/watch?v=BR4wEpWkfHk
村田選手は、GGGと闘いKOされた直後、リング上グローブをマットにつけたまま微笑み「これで14歳の自分に恥じないで済む」と。
https://www.sanspo.com/article/20220410-YLUCL6NLMJK2ZICW7KVFSSMJZI/
自分の12歳、1972年8月家族旅行/長野は戸隠高原にて。
工藤プロダクト/アトラスジュニア号のエンジン始動をする。
バルサキットから1年かけて自力で製作、ラッカー絹張り、仕上げは2液性ポリエステル刷毛塗り、エンヤ09Ⅲ型搭載、メカはトーン式送信機/超再生検波受信機、シングルサーボ ラダーオンリー 2ch。
これを小刀「肥後の守」とボンナイフ、紙ヤスリ、木工ボンド、24Hエポキシ、父親から借りたハンダゴテ・・・で組み上げた執念を想う。
初飛行に備えてヘルメットも持参(左足のところ)。
右手のズタ袋にはヘルメットと送信機を入れて。
左手のズタ袋には始動用バッテリ他エンジン始動用具、燃料缶、工具類を入れて。
背中のリュックに胴体と主翼をつっこんで。
そのいでたちで東京駅から長野行き急行列車に乗り込んだ、、、。
(我が亡母、よくそんなことを許したな、と思う・・・)
このヒコーキ、結局、大空を舞うことなく廃棄される運命となった。
そのことでこの少年は2つのことを学んだと思う。
ひとつは、どれほど強く望んでも、実現できないことがある、と云うことを。
そしてもうひとつは、飛ばせば壊れてしまうかも知れないけれど、どれほどの宝物であれ、飛ばしてみなければ、飛ぶか飛ばないかは永遠にわからない、と云うことを。
遠い夏の日、、、。
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