フライト<修理/整備<製造<設計2023年09月14日 15:10

折損した翼端板(右)。これはもう修理不能と判断して廃棄。
手持ちの程度の良い方(左)を修理。

サテ何をどうするか、作戦を立て、段取りを考えている時間帯のほうがけっこう長い。
手持ちの道具と材料は何があるのか。足らないモノはないか。
オノレの技術はいかほどか。何が出来て、何が出来ないのか。

作業自体はさしたる時間はかからない場合でも、材料&道具の準備や仕込み作業と作業後の片付けまで入れると作業本体と同じくらいの時間がかかる。

スカーフィング 1h。エアサンダー準備して、そこにサンドペーパー貼り付けて、翼端板をテーブルに木ねじで固定して。それから作業開始。裏表、上下。大量の削り粉が飛ぶのでその掃除とかの後始末も手間。

FRP作業、加熱温度管理も。
グラスを巻いてFRP樹脂を浸潤、これを5枚反復 裏表上下。お手々はべとべとになります。それは不可避。 2h 
エポキシとか硬化剤とかを準備して、練り作業。攪拌不十分で硬化せず、という失敗がないように。作業後のローラーとか刷毛とかの洗浄などにも手間がかかる。

硬化確認

FRP切削、整形 2hくらい 下板にネジ止めして固定してから削る、とかの下準備が必要。

FRP切削 粉が大量に出る。

翼端板の上下も同じく バイスに固定して

FRP整形 マスキング

同上、板の上下部分も

パテ入れ作業 3hくらい まずパテに硬化剤を入れて練る作業
専用の練り板の上に載せて。
終わったら練り作業に使った金属板やヘラなどをアセトンで洗浄する作業もあります。

パテ切削整形 大量の削り粉を集めて廃棄処理する作業もあります。

さらにパテ盛り→切削。計5回くらい反復。凸凹が消えるまで。パテに硬化剤入れて、練って、塗りつけて、硬化待ちして。30分くらいで硬化。それから切削。凸凹があればまたパテ練って盛る。そしてまた切削。

凹凸が消えるまでパテ入れパテ切削が終わったら、全体をサンディングして足付け。サフのガン吹き直前の状態。

ウレタン塗料専用のサフェーサー(2液タイプ)をガン吹き。硬化を待って2回吹き付け 準備から片付けまで1hくらい

サフの硬化を待ち、再度作業台に固定してサフの研磨。裏表上下で1hくらい。

捨て白塗装。ガンの準備からガンの洗浄、片付けまでいれると2hくらい
翼端板に長ネジを差し込んで、塗装台に固定する準備作業だけでも0.5hかかる。

いったん全体を真っ白に。さもないと赤が映えない。塗料硬化待ちの合間に草刈りを進めます。捨て白ガン吹きの仕上がり


捨て白の硬化を待って、ブライトレッド(赤)を塗装。4回くらい。2hくらい。

完成

以上、たった一枚の翼端板に対して1日3時間くらいの作業で述べ5日ほど。もちろん他の作業も並行して進めつつ。
 金土日の週末を2回。計15時間を要した。プロがその半分の作業時間で完成したとしても1h=7000円としてプロ任せにすれば修復費用は5万円を超える。

なぜ、DIYで自分でやるのか。
翼端板、たった一枚欠けただけで、もうその機体は飛べない。
そして整備工場は慢性人手不足で、誰もやってはくれない。
・・・と、云うよりM田師匠には恐れ多くてこの程度の作業をお願いするわけには行かないし、超多忙を極める某中堅整備士に頼もうにも「自分でやって下さいっ」のヒトコトで却下されるのがオチである。

人任せにしていては、いつまで経っても何も進まないし、したがって飛べない。

改めて思う。
依存とは、自由を失うことだ。
「それは自分でできる」という自分になることは、自由を手にすることだ。

・良く整備されていて、いつでも飛べる状態のヒコーキを飛ばすのは簡単。
・いつでも飛べるように整備された状態をキープするのはそれより大変
・壊れた部分を修理するのはもっと大変(時間かかる)
・材料を加工してゼロからヒコーキを作るのはさらにタイヘン。
鋼管加工溶接に木工加工接着、被覆、羽布張り塗装、リンケージ 艤装。エンジンも作らにゃならんし。
 無線機とかトラポンとかを作るのもヒジョーにタイヘンだろう。
 でも、どこかで誰かが作り、誰かが調整し、あるいは修理している。見えない、あるいは見ていないだけで。
・一番タイヘンなのはヒコーキの設計。これはムツカシイ。あくまで想像ですが。エンジンはもちろん、無線機とかトラポンとかのアビオニクスの設計も、とんでもなく高度な専門知識を要する。それができる人は本当にわずか。限られている。

フライトのほうは練習開始から30~50時間も練習すればたいていは誰でもソロには出られる。
それに比べると「翼端板たった1枚だけの修理」で15時間ってタイヘンだけど、それでも修理/整備作業は製造や設計に比べれば遙かにラクなんだろう。きっと。だから、フライト<修理/整備<製造<設計

MRJ/スペースジェットの件。
最後のアメリカでの型式認定をクリアできず1兆円がパーになったけれども。とにかく、日本人が設計して、製造して、整備して、調整して、飛んだことは間違いない。その経験をなんとか次世代にリレーできないものか・・・。

タマラン・・・。

「夏休みの宿題」2023年08月31日 15:37

連日の猛暑の中、ひたすら宿題をこなす10日間の夏休みであった。

まずは台風が太平洋岸を通過するというので北面軒下に雨水侵入防止のコーキング打ち作業から

脚立登るだけで汗が吹き出る。下半身トレにもなる。

パーツいろいろ届く。

フルード抜いてキャリパー取り外し

分解OH

シール溝 汚れあり

自作ウエット/ソーダブラストでクリーニング。

いろいろ工具も使う

シール溝をキレイにする。

こんな感じ

組立てに入る

MD30のキャリパー整備。ピストンが汚れてる。

洗浄

キレイになった。揉み出ししてピストンの作動を確認。

フルード交換

フロントも同じく

フルードは攻撃性があるのでこれくらい養生する。

ワンマンブリーダでフルード交換、エア抜き

ZEPも同じく。

こっちはフロント浮かしてタイヤはずして。

フォーク引っこ抜く。メッキが少し摩耗しているフロント側に目印のテープ。

バイスに固定して

エアインパクトで1発。

ボトムケース内部の洗浄

オイルシール、苦労したがパコーンと抜けて飛んでった。

バラして洗浄

洗油+コンプレッサーエアで。

インナーチューブの研磨

2*4材にスタッド2本を差し込む穴をドリリング

差し込んで立たせて

工場にてプレス借りてオイルシール圧入。コメリで買った88円の塩ビ水道パーツがカラーにピッタリ・・・

フォークオイル

工場にて。新規輸入されたターボ/ロータクスディモナとオーナーさん

バイクで工場に遊びに来たSawa教官。かつてグライダー界で雲の上の存在だったお方・・・。

当ハンガー竣工お祝いにこのタップ&ダイスセットをプレゼントしていただいたのはもう16年も昔のこと・・・

飛行場でつるさんと。ASK14のメンテをアシスト

ナンダカうれしそうです。ニカっという感じ。

トレーラー計測作業をアシスト。

良く働くシャチョーと若造、、、ではなく今や経歴10年以上フルライセンス中堅航空整備士 兼 耐空検査員資格も保有するさんちゃん。

松つあん、今年も25Bオイル交換の季節が来たよ・・・
松印遺品のワイヤとツイスタを使用して。


夜までかかってさんちゃんと25B/キャブのメンテ

「夕陽と鉄塔」を見ていると、たまらんキモチになるのはナゼでしょうか?
コドモ時代からの心象風景・・・

ナンダカ、自然とポンコツが自分のトコに集まってくる。
だからそれを修理する。
いつもコマネズミのようにナニカの作業をしている。
それがオレの人生なんだな、と、ひとり合点する。
そんなふうに夏が過ぎていく・・・。

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ナンダカ、自然と民事/刑事の事件が自分のトコに集まってくる。
だからそれを処理する。
いつもコマネズミのように事件処理をしている。
それがオレの人生なんだな、と、ひとり合点する。
そんなふうに夏が過ぎていく・・・。

たまらん。

「夏空幻想」2023年08月09日 11:29


昨期は2010年の25B運航開始から13年目を迎え、さすがに同じことを繰り返してマンネリを感じていた。そこで自分なりにテーマを設定して25Bを運航しよう・・・と思ったのであった。
 クラブ教官の上級グライダーパイロットがハイパホ機に搭乗し、朝、出発して(燃料5リッターだけ搭載。ガロンではなく)夕方に帰ってくる姿に触発されたこともある。
 せっかくトラポンをDIYで苦労してとりつけて事実上の高度制限がなくなったわけだし、TCAとも積極的にコンタクトして飛べば高度に関する遠慮はいらない。最低でも1フライト2時間をノルマとしよう・・・。
 こんな感じで昨期のフライト時間は33時間チョイであった。当機は1年のうち約半年しか運航しないので、33時間という数字はほぼ毎週飛んでることを意味するワケであります。

明野飛行場 呼んだけど返答なし。誰もいないのかな、、、。

九十九里海岸

渡良瀬遊水池の通称ハート池

板倉滑空場 FSに挨拶

読売加須滑空場 FSに挨拶

条件が良いと5000ftオーバー。4000ftを超えたらTCAとコンタクト。

その他はいつもどおりのハンガー生活が続く、、、。

カナリ苦労して自作。これを見て用途を即答できる人もマレであろう。
さんちゃん:次回、是非貸してください!!!
ワシ   :えーよ。

ヒントはコレ。これをあと9回繰り返すのはタマランので。

センパイがバイクを降りることになって、大量在庫パーツの売却処理を依頼された。エライこっちゃ。

MD30のメーターアクリル板が紫外線で老朽化してボロボロになったので

アクリル板の張り直し。

そんなことをしているあいだに4月に63歳の誕生日を迎え、セスナ訓練生の友人Kさん某社CEOから、これまた大変レアな書籍をプレゼントしていただきました。ごっちゃんです!!! 
           
そういえば元プロのジャズピアニスト、某ピアノ師匠が遊びに来て、お祝いに1曲弾いていただきました。なんというゼータク。最後のセリフは無理矢理言わせたの感あるも。曲目、これがまたふるってまして。
MY FOOLISH  HEARTって、、、。
↓ここで聴けます。
https://youtu.be/-lAo15GyHF4

4月にはDR650にて寸又峡ツーリング。春合宿に参加。


旋盤のフライス盤アタッチメントを整備/防錆

Yukaさんネコさんコンビは相変わらず。

やっちまいました、、、、。回収まで2時間くらいかかった。特大脚立+無線用6m伸縮ポールでなんとかタタキ落とした、、、。

・・・そしたらあちこちバキバキに壊れてしまい、その木工修理。大変な手間だ・・・。フィルムを剥がすだけで半日、、、。
 
これを機会に、絹張りにチャレンジしようと、、、。まずはプライスパンを下地張り。ネット情報が助かります。

メルカリでエサキシルクを格安で買える時代になりました。

小5/11歳の時以来の絹張り。そのときは大失敗したが、今回は52年ぶりにリベンジ。模型用ドープも製造中止で入手困難ですが。1か月くらいかかりました。
 
52エンジン3台と91をテストベンチにて試運転。これは20年ぶりくらい。

ハンガーハウスDIYもボチボチ進捗。

外壁に穴をあけてフード取り付けて。

固定枠を2*4材(防腐処理済み)で自作して換気扇取付け。

このDIY内壁構造を見てナルホドっ‼️と反応する人がこの日本に10人くらいは存在するように思うのだが、、、。

給水系を1m延長し、排水系も1m延長し、シンク台を1mズラして。シンク台裏の内壁を完成させる。これもざっと一ヶ月かかった。

6月にはいってすぐ、トンデモナイ豪雨が続き、今度ばかりはもうダメか、、、というところでナントカ台風避難完了。朝5時からお手伝い。

これを機会に我が25BもハンガーIN。今期の運航を終了。お手伝いいただいた皆様、まことにありがとうございました。

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                                  「夏空幻想」

過日、上級者同乗で25Bを飛ばしたんだけど、ひとこと「遅っ!!」と言われてしまった。
でも、モノゴトには全て反対側の価値がある。

「遅っ!」の反対側には、例えば、穏やかな失速特性とか、つまり初心者でも比較的安全に練習できることや、軽くて良く浮くこと、つまりソアリング特性が優れておりディモナやグローブよりずっと楽しくソアリング遊びができる・・・という利点が「事実として」存在しており、「遅っ!」という欠点と均衡しているのである。
 つまり「(とりわけB型)ファルケ」は、そもそもの設計思想がツアラーではなく、ソアラーだ。

しかしながら昨今は「高性能プラスティック機でツアーをすることがモグラ遊びなのだ」という雰囲気が全盛で、その結果、ほとんどの人たちは上記の「反対側の価値や性質とか面白み」には思い至らず「遅っ!」の一言で終わってしまう。
 結果、我が25Bに興味を示す人は現状、皆無なのである。1回乗って、ログ付けして、オシマイ。どうしてもこれで飛びたい、これが好きなんだ、という人は、まず存在しない。三田師匠も、「もうそういう人はいないんですよ。そういう時代ではないんです」と言って寂しそうだ。

これと同じ状況が昔、あったな、と。
それは40年前のバイク界である。
私はW3というポンコツが醸し出すモノとしての存在感が大好きで、BSA/A7シューティングスター由来のエンジン/ミッション構成とか、メグロ製作所伝来の頑丈さ/武骨さ、とか、そういうところに私のセンサーはスルドク反応して、痛く気に入っていたのだけれど、周囲の反応はおおむね「ぼろ。ポンコツ。壊れる。遅い。曲がらない。止まらない」で終始していた。今の25Bの扱いと同じ。

当時のバイク界では誰も彼もがハイパワー、フレーム剛性、強靱な足回り、強力なブレーキ・・・に価値を認め、SS(スーパースポーツ)華やかなりし時代であった。
 どだいバイク乗りなんて存在も圧倒的に社会のはぐれモノで、不良で、とくに女性ライダーなどはただバイクに乗っているだけで取材を受けたり、チヤホヤされる時代。
 その頃から、すでにW系など古くてポンコツで、自分がセンパイからW3を買った代金はわずか7万円であったし(領収書は8万だが税金滞納で名変できず、立て替えたので1万円マケてもらった)、Z2なども「安いから買う」というシロモノで、15万くらいが相場であった。

ところがその後、40年の時を経て、猫も杓子もバイクに乗る時代が来て(別の表現をすると、バイクに乗る母集団が増えて=ロートルライダーがほとんだそうだが)、そうするとその中のごく一部の端くれモノ、変わり者の人たちが、「性能の悪い」(=遅い、曲がらない、止まらない)のZ2が良い・・・ナドと言い始め、某ウエマツ社あたりでは今やナントW系が200万、Z系が700万とか1000万という値付けになっている。

これは別に悪いこと、おかしなことではなく、Z2/W3と言えば「遅っ!」の反対側に、何とも表現し難い「モノとして凄み」があり(もっと言うと、当時の時代の空気、熱風のようなものを内包している)、そういうところに反応するセンサーを持つヘンテコな人たちが、母集団の拡大にともなってだんだん増えてきて、今日の旧車ブームとも呼ぶべき時代が構築されたワケだ。

私の言っていることは意見や評価や主観ではなく、全て事実である。
つい先日も、東名の某SAで、ナント、BSA、ノートン、トラ(しかもタイガー系別体ミッション車)が列をなしており、ライダーはみな若く(30歳前後)しかもそのライダーのひとりは女性なのであった。ビックリ。

つまりはこういうことだ。
センサーのない人たちにとっては「ぼろ。ポンコツ。遅い」で終わる個体であっても、その個体に個性があり時代を象徴する価値や実用性がある場合には、40年ぐらいの時の経過により、母集団が増えてくると、増えた母集団の中の「そういうセンサーを持つ変わり者」たちがだんだん増えて、その価値に気づいて、古き良きモノを愛でる・・・という「文化」が醸成されていくのである。

整備工場に来る人はめったにいないから、あまり知られてはいないけど、いわゆる「新鋭機」に搭載されている某R社のエンジンなども、時には不調を生じ、〇や××やΔなどのパーツがあちこちに転がり、そりゃあもう「あちゃーーー」という状態なのだが、ソコは某若造航空整備士の八面六臂の活躍によりナントカ、体面は保たれている。
 これに対しポンコツと言われる某ワーゲン由来のL社エンジンだが、松つぁんが最後に手塩にかけたエンジン、それが我が25Bの搭載エンジンに他ならず、ナニかとトラブルの多い新型エンジンを尻目に、つつがなく、長期十分な実用性を発揮しているのである。

そうすると例えば今から40年後。
現時点でも「飛び恥」という言葉すら生まれ、SDG’sの時代だから、航空機の内燃機関もだんだんは消滅していく方向性であろう。

我が25B搭載のL社エンジンは重量70kgソコソコ、出力50Kwだ。

http://limflug.de/de/products/engines-41kw-55kw.php

燃料は30Lで比重0.7を乗ずると20kgくらい。つまりは合計約100kgの重さの範囲内で「モーターとバッテリーによる50Kw」が実現できれば、今の25Bと対等の動力性能が得られる。これは十分可能なのではないだろうか?

しかもフライトの最初から最後まで50Kwが維持される必要はない。この点は最近トレンドの「高性能重量級プラ機」とは大きく異なるところだ
 具体的には某W草大橋のちょい先まで、高度で1500ftくらいまで稼げれば、その先はかなりの確率で上昇気流によるソアリングが可能なのである。つまりはパワーを使うのは、離陸後の比較的短い時間で足りる。
 これは、最近トレンドのディモナやグローブなどの重量級プラ機では極めてムツカシイことだろう(我が25Bより300Kgくらいも重いのだから仕方ない。これらの機体はソアラーでなくツアラーなのだ)。

鋼管フレーム機は、ヘタクソがドン着すれば格別、その場合でもあってもナントカ、薄板鋼管溶接の技術を伝承していければ修理は可能だろう。
そのワザは某若造航空整備士に委ねよう。たまには回る寿司でも食わせて。
 木工修理は、まあまあアバウトで良い。
もともと主翼の羽布張りのところはNACA翼型なんぞほとんど無視されている。
塗装、被覆は慣れればなんとかなる。
実際、チョット前まで、各大体育会航空部では、学生が木造機の修理をしていた。学生による機体修理の伝統が失われたのは、プラ機の普及と時代が重なる。

シャイベ社が、SBを出すだろう。
25Bのエンジンをとっぱらって、こんなふうにモータとバッテリを積め、と。
制御系は簡単だ。ラジコンと一緒だから。「空飛ぶクルマ」なんてのとは比較にならないほどシンプルな構造、安い費用で電動化が可能な時代が来る。

パワーONの時間は、10分とか、20分でOK。
あとはソアリングする。
修理メンテは簡単、初心者向けの穏やかな性能、優れた失速/ソアリング性能、自力発航可能、曳航機要らず。

大学体育会航空部つながりで空を飛ぶ人が増えて。
空遊びが普及して。
母集団が増えて。
その中に、古き良きものを愛するセンサーを持つひとたちの一群が育って。

そういえば死んじまったベンゴシの、なんか古い機体、あったな。
あれ今、どこだ?あのポンコツ。ベンゴシが自分で修理しながら飛んでたやつ。
え?まだハンガーにある?
よし、引っ張り出してみよう。
うわ。どこも腐ってない。良い状態じゃないか。
こりゃーいいじゃねーか。
これおもしろいよ。
ディモナ、グローブは重いから電動化は無理だけど。
それに仮に電動化できても、重いからソアリングは無理っぽいし。
でもこれならみんなで遊べるね。
シンプルで、とにかく軽い。二人乗れるし。
曳航機要らないし。
モータ回して離陸して。
上昇帯、見つかったらモーターカットして。
スリ鉢はずれたら、また2、3分、モータ回して戻って。
これエンジンカット/再始動より、全然簡単じゃん!!
みんなで電動化の改造して、飛ばそ!!!

近未来・・・。
私がすでに存在しない未来・・・。

この半年2023年01月24日 14:09

更新をサボっていたここ半年の状況です。

25B関係。
今期の耐空検査整備はエラいことでした。時間も費用も例年の1.5倍。
アウトリガーのタイヤ、チューブ、無線機、高度計、トラポン

高度計校正

エレベータ修理

マグ取り外し

マグOH

機体カバーのミシン修理

係留具類お手入れ運搬

プラグ交換

工場のプラグテスター借りて発火テスト

耐空検査、無事パス。TAB/トラポン、特操審、完了。

つくばサーキット ソロX-Country

今期は珍しく右席に上級者に乗ってもらって訓練も。元イーグルドライバーのJ隊/空将補殿なんだけど動滑の教証も持ってる元W大航空部主将、、、って肩書き多すぎ。

同じく。つい先日、飛行機の教育証明/実地試験に合格してセスナの教官になったベテランの動滑機K内教官。当クラブでほぼ同期、20年来のお仲間。

F沼教官殿、当ハンガーに来訪。棚板を大量に頂戴いたしました。あざす。

どーもです。

ハンガーハウス、ドアノブ修理

同上。

バイク関係
フルプロテクタ内蔵のバイクウエアとパンツを新調。

オプションのネックブレイス取付け方法がチャチなので強力ボタン*4個方式に改造。

良い仕上がり。

購入来10年経過でぼろぼろになったバイクウエアをミシン修理。

これであと5年は使える。夏季ツーリング専用とする。

今年はバイク3台、車検を通した。エライこった。どれもポンコツになってきた。防犯上の観点と、今年は主翼2枚の修復塗装をする関係でそのスペース確保のため、バイクをセキュリティが完璧な別の業者倉庫に移動した。

乗鞍秋合宿の帰路、白樺峠をひとり、下る。

往路のルートは赤城→中之条→東吾妻→嬬恋→上田→青木村→安曇野→乗鞍、1泊2日で850Kmくらいだった。

ハンガーハウス建築DIY。床職人として稼働中

自作ロフトにフローリングを張る。

同じく

関東のナンガパルパッド/死の山と呼ばれる峻厳な山に登頂成功。
別名八重山ハイキングコースとも云うが。旧友AZくんと山行。

AZ君にローソンプレミアムハンバーグを食わせる。

クラブハウスのFSで訓練。アメリカ/サンノゼの風景がリアル過ぎてぶっとぶ。懐かし過ぎ。アメリカ陸単修行をしていたのはもう25年も昔のハナシ。

かつて時折、遊びに行っていた旧Q99/サウスカウンティ飛行場。現在はサンマーティンと言うらしい。

某飛行クラブ筋から依頼された電子工作関係のオシゴト。

同上、これも別件の某クラブ関係のオシゴト。

オシロで変調波形を観る。ボチボチOK。

自分の機体を自分で修理整備する、ということはそのための自分の工場を維持していく、ということであり、そのためにマイ工場の敷地の手入れという大仕事も伴うのであった。

これが

こうなり

こうなって

こうなる。

作業途中で旧石器時代の遺物が発見された。これにお世話になった友人も多いはず、、、。

ラジコン関係。遅々として進まず、、、。

コンピュータプロポの設定もアレヤコレヤいじる。

その割には飛ばしている。

ラジコン工作台は状況、混沌としている。収拾つかない状態。

ハンガーの空

飛行場の夕日。

タマランです、、、。

「ひとすじ」2022年08月31日 22:21

梅雨がなく、酷暑続き、作業もキツく、疲労困憊の夏だった・・・

しかしながら「25B専用整備車両/軽4駆」の整備作業に没頭した夏、として記憶に残るであろう・・・。

もともとポンコツ中古車としてヤフオク購入以来15年、多忙によりほぼ放置プレイ/ノーメンテの結果、こりゃーいよいよアカンな、というところまで追い込まれた。この軽4駆の車検をパスできなければ、河川敷活動はお手上げだ・・・。

これは酷使される某クラブの重量級4駆。河川敷活動の過酷さを物語る・・・。

暴風雨の夕暮れ時、25Bの係留が心配になって、ひとり誰も居ない飛行場へ見回りに行く。重量級4駆ではヌタヌタのマディに沈み込み、スタックして身動きが取れず。
 唯一、軽4駆だけが命綱・・・てなことをこの15年繰り返し、その挙げ句の泥、ドロ、、、。

これでよく点灯するもんだな、、、。


サンエスで。まずは下回りを徹底して洗浄

4輪ジャッキアップ、ブロック載せ、仰向けでクリーパーに乗って車体下に潜り込み、サンエスのシブキを顔面に浴びながら


タマランです。ツナギ/Tシャツを着ている意味はなくなり、水中ゴグル着用+パンツ一丁で作業、暑くなればそのまま水浴び・・・。


次は各部分解。
まずはFバンパー取りはずし。この15年で3回くらいトライしたが、その度にガンとして緩まない激サビ固着ネジに跳ね返されてきた・・・。今回こそは容赦せんぞ!!!S社めっ!! ラスペネ/凍結ルブ、ぶち込みまくり、エアインパクトで。

ふ~ようやくはずれた・・・一部は激サビネジがどうしても緩まず、ネジ頭をサンダーでぶっとばしてようやくバンパーフレームまで分解・・・

S社よ・・・ネジの激サビは仕方ないとしても、こういうところに低頭ネジ使うの、ヤメとくれ。ザウルスでも頭を掴めんのだ、、、。


激サビネジ軍団

激サビパネル除去

激サビ部分をFRPに置換する作業・・・FRP板製作

FRP板を製作、貼り付け。10か所くらい。

次なるは激サビ部分を各種鉄ブラシで徹底的に落とす。浮きサビが残っているとうまく黒サビ転換できない。

然る後、激(赤)サビ→黒サビ転換剤スプレーを塗布。計3本使用。塗布してしばらくすると硬化して真っ黒な黒サビに転換される。

その後、シャシブラのスプレーを塗布。5本使用。クルマの下にもぐってクリーパー乗って仰向けでスプレー、ミストを浴びて顔面が真っ黒になる作業。

作業中、コンプレッサのドレンがイカれて修理。Oリング交換

取り外したFバンパーは再生不能の激サビ状態。
https://youtu.be/VVrEVrtl97Y

やむなくヤフオク激安魔王にてFバンパーを1600円落札・・・

1600円落札フロントバンパー着弾、、、激サビ品だったらどうしょう、、、開梱が怖い
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

思いのほか上モノでした。この後、軽くサンディング→パテ入れ→非鉄プライマ塗布→お化粧塗装して、、、

取付け完了

旧激サビバンパーはサンダーでぶった切って金属ゴミ出し。

この長い夏の作業の名残として激サビバンパーの残骸を壁に吊す・・・

激サビ状態のフォグランプを

サビ落とし、黒さび転換、シャシブラ塗装後、組み付け・・・

ラダーフレーム、リヤクロスメンバーのサビ穴塞ぎFRP修理作業。タンク固定ボルト、激サビ状態で緩まず・・・。エアインパクトでナントカ、、、。


河川敷活動 with  25Bは70歳でリタイヤする予定なので、この25B専用整備車両/軽4駆、そこまで持てば良しとする。あと8年/車検4回、この夏の作業で、ナントカいけそうとの手応えを得た。

 レストア、とかそういうことではなく。フツーに車検が取れて、不安なく実用になれば、それでOK。そのためのミニマム作業。


*************  ひとすじ *********************

尊敬する刑事法の大家、故団藤重光先生に「この一筋につながる」という著作がある。

 芭蕉の「ついに無能無才にして、この一筋につながる 」との言葉が由来のようだ。


自分にも「ひとすじ」があるとすれば、それは何だろう?

それを知るためには、時に自分と(特に少年(少女)時代の自分と)会話をすることが必要なのかも知れない。人生の節々において。


ユヅくんは「9歳の自分に『飛べ!!』と言われて4Aを飛んだ」と。

https://www.youtube.com/watch?v=BR4wEpWkfHk


村田選手は、GGGと闘いKOされた直後、リング上グローブをマットにつけたまま微笑み「これで14歳の自分に恥じないで済む」と。

https://www.sanspo.com/article/20220410-YLUCL6NLMJK2ZICW7KVFSSMJZI/


自分の12歳、1972年8月家族旅行/長野は戸隠高原にて。


工藤プロダクト/アトラスジュニア号のエンジン始動をする。

バルサキットから1年かけて自力で製作、ラッカー絹張り、仕上げは2液性ポリエステル刷毛塗り、エンヤ09Ⅲ型搭載、メカはトーン式送信機/超再生検波受信機、シングルサーボ ラダーオンリー 2ch。

 これを小刀「肥後の守」とボンナイフ、紙ヤスリ、木工ボンド、24Hエポキシ、父親から借りたハンダゴテ・・・で組み上げた執念を想う。

初飛行に備えてヘルメットも持参(左足のところ)。
右手のズタ袋にはヘルメットと送信機を入れて。
左手のズタ袋には始動用バッテリ他エンジン始動用具、燃料缶、工具類を入れて。
背中のリュックに胴体と主翼をつっこんで。

そのいでたちで東京駅から長野行き急行列車に乗り込んだ、、、。

(我が亡母、よくそんなことを許したな、と思う・・・)


このヒコーキ、結局、大空を舞うことなく廃棄される運命となった。

そのことでこの少年は2つのことを学んだと思う。


ひとつは、どれほど強く望んでも、実現できないことがある、と云うことを。

 そしてもうひとつは、飛ばせば壊れてしまうかも知れないけれど、どれほどの宝物であれ、飛ばしてみなければ、飛ぶか飛ばないかは永遠にわからない、と云うことを。


遠い夏の日、、、。