二人の父・・・父を超える2020年06月22日 22:59

過日、6月21日/日曜日は世間的には父の日だったようだ。

我が家の長女長男は無事成長して家を出て行き、以後、用事がない限りなんらの連絡もない。これはスバラシイことだ。自分の世界で自分の生活に没頭している、ということの証だから。これをもって子育ても完結、オレの役目は終わったと開放感に浸っている。 「北の国から」のようなベタベタした親子関係は自分とは遠い世界のこと。

ホルソーで石膏ボードを丸く切り抜き抜いたプレートを、他方、10カ所以上、穴ボコのあいた寝室の石膏ボードの凹み部分を同じように切り抜いてハメ込み、ボンドで接着する予定。数年前、長男がカンシャクを起こして蹴りを入れ出来た石膏ボード壁の穴ボコの修理。

子育ての日々を懐かしく想い出しつつ・・・。

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                「二人の父」

一人はもちろん実父であり、私はこの人からいくつもの美徳を受け継いだ。職人気質、几帳面、手先の器用さ、きれい好き、掃除好き、完全主義、開放的な性格、幅広い交友関係、音楽好き。
 その中で最も強く自分に影響したのは父の「食い道楽」である。終戦直後の混乱期、食物配給が数か月止まり、ジャガイモ1個を家族7人で分け合う飢餓状態を経験した父は、戦後、その反動でモノを喰いまくり飲みまくり、あげく40代で肥満、痛風、高コレステetcで腎臓を病み、65歳から人工透析生活となって、84歳で没した。
 これを痛切な反面教師とするから、自分は基本的にモノが食えない。「食いすぎたら身体を壊して死ぬ」という因果律の呪縛から解放されることは、死ぬまでないだろう。

その実父は次男の私に対して、極端な放任主義であった。夏はゴルフ、冬はスキー三昧、昼飯から豪華なホテルランチ、夜はキャバレー遊び(本人はおどけて「チャバレー」と言っていた。ホステスさんからは「あーさん」と呼ばれていたらしい)。

高校3年の次男がどの大学を受けるのかも知らない。受かるのかどうかも知らないし心配もしない。その次男が今、大学何年なのかも判然としない。どこかに就職するのか?司法試験を受ける?なんだソレ?全く無関心。サテ、ゴルフだスキーだ。「オイ、オレは明朝飛行機で北海道ニセコにスキーに行くから、オマエ、車を運転してオレを羽田空港まで乗せてって」と。

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父は壮年期に脱サラして、従業員10人規模のガス吸排気設備工事会社を起業したタタキ上げの人であった。昭和の時代、高度経済成長期であるから経営にそれほどの困難はなく、施工の受注は引きも切らさず、したがって父は当時としては確定申告時に税務署員も羨む高額所得者であり、朝は10時に会社に行って、製図板に向かって製図を描き、現場に出て作業を指示するなどして懸命に働き、夜は「会食」「チャバレー」、さもなくば6時くらいには帰宅して、満腹で動けなくなるまでメシを食い、酒をくらい、休日は全部ゴルフかスキー。カネも時間もある自由人であった。
 こういう父親を間近に観ていて、息子である自分が「やはりまっとうに就職したら、アカンな」というキモチになったのは当然の成り行きであっただろう。父は「雇われない生き方」を身をもって提示してくれたし、その潤沢な資金力で5年超に及ぶ私の司法浪人生活を支えてくれた。

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もうひとりの父は「星一徹」(梶原一騎)である。

「巨人の星」で強く印象に残っている。
飛雄馬が父一徹に、路傍でボコボコに殴られるシーン(ちゃぶ台返しではない)。日課のランニングロードが道路工事中で、近道と遠回りの道があった。ついつい近道を選んだ少年の日の飛雄馬の眼前に現れた仁王立ちの父、一徹。飛雄馬は完膚なきまでにたたきのめされる。

https://blog.goo.ne.jp/stake43/e/ffd7d3d87673c79f053402b9bcedb667

我が出身の大学法学部は、就職するのに有利だ。私大最高レベルと言って良い。ゼイタクを言わなければ、どこの企業でもほぼ就職できる。実際、法学部生1000人のうち、980人は就職する道を選ぶ。

就職する道と、司法試験への道。どちらを選ぶ?

この時、私は父一徹の声を確かに聞いたような気がする。実父ではなく。父一徹の。なにしろ実父はスキーだゴルフだ、チャバレーだ、という状況なワケで。

「楽な近道と、苦しい遠回りの道があるのなら、必ずや後者を選べ。この先もしお前が楽な道を選んだときは、その瞬間からもはや父子の縁はないものと思え」

父一徹は自宅のボロ長屋に取材に訪れた多数の記者に向けて言い放つ。「・・・のんべんだらりと生きているアンタら記者さんには到底ワカランことではあろうけれどもな。ふはは(冷笑)」

小学低学年であった私はこの時、「のんべんだらり」というコトバを初めて知った。そして「人生はのんべんだらりと生きてはいけない」と刷り込まれた。

そのようなワケで、未だに「オレは楽な道を選んでないか?のんべんだらりと生きてはいないか?」と自問することが多い。人様にはやれストイックだ、ガンバリ屋だと言われることもあるが、そうではなく、幼い日の「刷り込み」に未だに拘束され、そこから脱却できていない、というのが実態である。
げに、恐るべきは幼き日の刷り込みであろう。死ぬまでこの呪縛から解放されることはないような気がする。

だから家もDIYで建てにゃならんし、バイク、ヒコーキの整備/修理も自分でやらにゃならんし、音楽は聴くだけでなく練習して弾かにゃならんし、無線機は出来合いを買うだけでなく作らにゃならんし、ラジコンもARFではなくバルサキットを組んで絹張りウレタン仕上げをせにゃならんし、クルマもポンコツジムニーを買って修理塗装をせにゃならんし。もー大変である。

こういうハナシを友人に語り、あのマンガにはモノスゲー影響を受けたよなあ、と言うと「何だそりゃ?オマエ、バカじゃねーか」と言われることもたびたびである。

で、調べてみた。ネットを。そしたらあるわあるわ。同じように影響を受けた人が。中には上述のとおり「人生で大切なことは全て梶原一騎に教わった」というブログもあるので、ヒマな人は検索してみてください。
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自分も還暦になって、先輩友人同期後輩が一部上場企業の社長になったり、重役になったり、銀行の役員になったり、検事正になったり、裁判所所長になったり、巨大ローファームのパートナー弁護士になったり、イソ弁10人を抱える大事務所のボス弁になってたりする。

フト考えることがある。自分は父を超えたのだろうか?と。
父は10人規模の会社の社長だった。で、あれば自分は弁護士だから、イソ弁20人の事務所のボス弁にでもなれば父を超えたと言えるのか?

いや違う。

誰にも雇われない、誰も雇わない。
完全フリーランスのこの状況において、今自分は、父を超えたのだ、という気がしきりとする。10人とは言え、喰わしていかねばナラン従業員を抱えた経営者としての父の苦労は、近くで観ていても並大抵のものではなさそうだったから。

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とまれ。
現在の自分に到るいくつもの人生の選択の中で、最大のものはやはり、司法試験への道だろう。しかしそれは本質ではない。核心は「就職はしない」というところにあったのだと感じる。

得るものは、捨てたモノに等しい。両者は必ずや均衡する。
何かを捨てねば、絶対に何かを得ることはできない。

還暦になった今、自分は自分の人生で何を捨てたのか?と自問するとき、一番大きな「捨てモノ」は、この学歴社会でゼイタク言わなければどこでも就職できる某私大法学部卒という肩書きではなかったのか、と。あのとき、自分はいったん、それを確かに捨てた。

肩書きを捨て、法学部卒業生1000人のうち20人だけが進む実力1本の苦しい遠回りの道を選べ、それでなくしてなんぞ人生ぞ、と強く背中を押したのは父星一徹(梶原一騎)であり、その道を往くことを経済的に支えてくれて、かつ、その道に耐えられるいくつもの美徳を自分に与えてくれたのは実父である。

だから私は今、二人の父に深く感謝している。
時折、未だ解けない呪縛を恨んだりもしつつ・・・。

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14年前にポンコツJA22Wをヤフオクでウッカリ、ポチしてしまい、以後苦しい人生が続く・・・業者に任せてはダメ?ダメです。苦しい道を往きなさい。自分で直しなさいBy梶原一騎。

当時はガムテ仕様。

錆びボロ部分をエアソーで切り取ってとりあえず防錆剤POR15処理。

5、6年後、ようやくフタをした。ボンデ鋼板のリベット打ち+FRP。

いろいろな道具。

ポリパテじゃダメですか?
ダメですっ!!。エポキシ+フェノール使いなさい。苦しい道を往け!By星一徹。エポキシパテは硬くて、削るのが大変なんだよう・・・。

こんなもんでいいですか?
ダメ!もっとキレイに。苦しい道を選べ・・・By一徹。

同じく。やっとポリパテ。

パテの盛り&削りでプレス鉄板の段差を表現していく手間のかかる苦しい作業。一徹:それで良し!!

研いで、パテ盛って、削って研いで。

仕上がり・・・。まあまあ。一徹さん、これで許してくれるカナ?

てなことでJA22W DIY オールペン中・・・

今でも1日数回はこの曲の冒頭、哀調を帯びたストリングスとトランペットのファンファーレが頭の中で高らかに鳴り響く。
https://www.youtube.com/watch?v=-10trdg06YI

さっそく、コード進行も調べた。
https://www.ufret.jp/song.php?data=49261
グランドピアノでガナりながら弾き語りしております。
そのうち動画アップしようかな。

タマランです。

松つあん追想2020年05月27日 11:15

今年も、もうすぐ、松つあんの命日が巡る。

「性、狷介けんかいみずかたのむところすこぶる厚く・・・」

松つあんには確かに狷介なところもあった。自分のやる仕事に対して矜恃を持ち、それを理解しない人を遠ざける傾向も。

さんちゃんが低姿勢で教えを請うのだが・・・
「あの~燃調なんですがーー」
「キャブなんてもんはね、アンポンタン」
・・・の一言で終わり、とか。

 しかし才能と資質が秀でているから喰うには困らず、仕事は引きも切らさず、好きな仕事を1日2時間くらいして、あとは終日を高周波系電子回路等々の実験と研究に没頭する自由気儘な日々を過ごしていた。自宅の「松つあんラボ」は孤塁とも言え、後年は誰にも雇われず、誰も雇わず、その点では小職と生活基盤が共通するところがあったから、理解しあえたのかも知れない。

もっとも、完全フリーランスでも余裕で稼げる、喰っていけるという境遇は、自ずから嫌なこと(特にフィジカル的に)ツラいことは一切やらない、自分の時間を楽しいこと、ラクなことで埋め尽くそうとする・・・という生活習慣バイアスが強烈にかかるのは必至であり、それが彼の寿命を縮めたという解釈も可能である。やはり、全てのモノゴトには表裏がある。

とまれ、ポンコツの機体を手に入れて自分でレストアして自分で操縦して飛ぶのだ、という夢が自分にはあって、その夢の半分をかなえてくれたのは松つあんに他ならない。その場にいた数人の整備士さん達が「ぶっとぶ」ような低廉な売買金額を小職に提示したときの、松つあんの表情を今も想い出す。

松つあんの、そして小職のSF25B JA20GM。

JA20GMの「OGM」は、ゼロゴルフマイク、ではなく「オージーエム=大利根グライダー無線」、つまり松つあんの仕事の屋号略号である。グライダーと無線、というテーマの世界。

しかして、どうも、持て余していたポンコツ機体を処分するやっかい払いのキモチもあったはず、と三田師匠は言うし、この機体を浅尾さんがレストアして飛ばすなら、労せずしていろいろな実験ができて楽しめる、という魂胆もあったようだ。

それから約10年。松つあんがJA20GMで、なにやかや実験をして、一緒に飛んでいた日々。もともとは動力滑空機の操縦教官でもあった松つあんだが、この頃になると操縦桿には一切、手を触れようともしなかった。

自作マッチングボックスをAA230アナライザで測定する松つあん。BR210はどうしたの?と聞いたら「ん。あれはね、クルマの屋根に乗っけたまま走り出して落っこちて壊れたの」だって。そそっかしい松つあん。

27MHzの漁業用DSB無線機のようだ・・・

CHTの直線性をみる実験だろうか・・・。中身は秋月のキットだそうで。

あるときなどはイキナリ、ハンガーに来て、「浅尾さんのW3のイグニションコイル、はずして貸して!」と言い出し、勝手にはずして実験を始める・・・

コイルのスパーク出力波形をオシロで測定する。

しかしたまに「おいちゃん、ポトフを作ったから一緒に食べよう」と持ってきてくれたりもするから、憎めない・・・。

「性、狷介」な松つあんとの距離が、ぐぐぐっと縮まった瞬間があった。
それは松つあんが小職保有の、「Bなし259」アナライザを見つけたとき。

「お。259だ。ちょっと貸して」
「松つあんは、何使っているの?」
「ん。おいちゃんのはね、クラニシ」
「じゃBR210あたりかな」
「そうそう」

松つあんと僕との間にあった共通項は、RF系電子回路の世界。松つあんはLC=インダクタンスとキャパシタンスの織りなすフシギ世界にココロを奪われた人だった。f=2π√LC分の1という。

松つあんが小職にココロを開いたきっかけ。そのそもそもの発端、ないし契機について、時を遡り自分の歴史に想いを馳せる。還暦の今、あらためて郷愁の昭和へ。あれは中2の頃、1974年。

国会図書館のサイトで1974年の「初ラ」の掲載記事を調べたら、あったあった。1月号だ。検索するとメルカリに出品が。さっそく購入してみた。
懐かしい6mAM TRXの製作記事。僕はこの記事の送信系統図を添付して当時の電監に局免を申請し、JG1***のコールを付与されたのだった。

僕はこの記事の・・・

受信部のIF段とVFOだけ作って、その発振周波数をスカイセンサー5800で確認するところまで辿り着いたものの、そこで資金も時間も枯渇し、大挫折をしたのだった。
 後年、松つあんはそのハナシを、大変おもしろがって聴いてくれた・・・。

 文無しであるが故にリグを自作せざるを得なかった僕が当時の花形機RJX-601を買えるはずもなく、他方、自作機は未完のまま終わり、結局、開局してコールサインを持っていながら、誰とも一度もQSOというものを経験することもなく、ここでいったん、無線界から無念の撤退を強いられたのだった(・・・というのは半分ホントだが、実はお年玉でギターを買ってしまったのだった)。

今、松つあん遺品の電子部品で、あらためてあの時代に回帰しよう、と。あの時代に果たし得なかった、中途半端に放り投げてしまった少年の日の心残りを、完遂しなければならないっ!!!

てなことで。
昨年のハムフェアにて300円で買った6mAM TRX 「BSB版ポケトラ」から始めてみた。松つあん遺品の電子パーツを使って組み立て。

松つあん遺品の秋月DE-5000で自巻きしたコイルのインダクタンスを記録しておく。

松つあん遺品の岩通アナログオシロで発振波形を確認。

松つあん遺品の秋月の銘機、P-16テスタのFカウンタ機能で発振周波数を確認。

松つあんがこよなく愛したデリカ DIPメータで受信部の動作を確認。
昔懐かしい超再生検波のクエンチングノイズ・・・。

受信部の動作テスト動画
https://www.youtube.com/watch?v=4n7G7rpMR3w

送信部の動作テスト動画
https://www.youtube.com/watch?v=PFUYYZ2tTV0

松つあん遺品の200mWリニアをつないでみる。ケースには松つあんの手書きメモが。

松つあんがこの小さなリニアをちくちくと手作りしたであろうシーンを想像すると、なんだか泣けてくる。ランド工法の生基板・・・。バイファイラ巻きのコイル、おそらくは教科書トロ活どおりの広帯域であるはず・・・

ちゃんと200mW、出てた。松つあん、さすがだねっ!!

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在りし日の松つあんに手向けるなら、この曲がふさわしい。
突き抜ける5月の青空と、吹き抜けていく風とともに・・・。

この曲が流れるシーンで主人公が「私の役目は終わった」とつぶやいて消えたように、松つあんも逝ったのだろうか・・・。この写真のように笑っていたのなら、いいな。
https://www.youtube.com/watch?v=3IeEy0KpA48


還暦記念 特別寄稿 今ハタチのキミタチへ贈る辞。2020年04月15日 18:55

JA22Wのカーステ交換。CDがなくなってモーターと駆動部がないと、こんなにも小さくて軽い(右側)。そして安い。

楽しい作業。これでスマホからBTでカーステにデータを飛ばせる。

テスターと検電テスターでFUSEの極性チェック。ポカやって1発、FUSE飛ばしましたが・・・

ハンガー環境整備。ボイラーの周囲に防草土を施工。これでこの初夏からの草刈りが少しラクになる・・・。他のことに時間を回せる・・・。

同じく水道BOX周辺にも。

通路に木製の門を作ろうと思う。

この夏導入予定の特大エアコンの室外機基礎を製作。重量トンカチで土を叩いて転圧、砂利入れてブロック乗せてレベル出し。これからモルタル施工、周囲に防草土・・・と続く。

ミニRCプレーンの製作を少しづつ進める。

エレベータとラダー。

自転車で下半身&心肺トレ。飛行場を偵察。土砂の搬出は順調のよう。

コロナ禍でクラブ活動もほぼ停止状態。今期の25B耐検はヤメにしました。ちょうど運航10年目なので良い一区切り。


サンドバッグ降ろして。

ホイストかまして。

MD30のノーズ吊って。

アンダーガードに下駄かましてホイストちょい緩めて荷重バランスとって。

こげな感じ。

然る後タイヤはずしてFフォーク2本抜いて、インナーチューブをメンテ。オイルシール問題なし。この先のバイク人生でここのシール交換することもなさそう・・・。

ブーツを交換。ヤフオク調達品。

取り外した旧ブーツ。破れ提灯のよう。

ついでにキャリパーをメンテ。

このMD30で東北随一と言われる「田代相馬林道」をソロで走ったのはもう14年も昔のこと。1週間ほど、野営しながら東北各地の林道を徘徊した。

ブッシュガードが役に立つということをこの時初めて知った・・・

長慶峠手前。

この林道も昨今は廃道化しているようだ・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=YkYXSzgLXXg
時は過ぎゆく・・・。

還暦を迎え、最近はこんなロングソロの野営林道ツーリングに行こうという根性もなくなりつつある・・・。

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しかして。
還暦といっても誕生日が60回、巡っただけのこと。
多機能デジタル体重計に乗れば体脂肪/筋肉量etcで44歳と表示されるし、精神年齢はたぶん14歳くらいである(未だ中二病罹患中)。稼ぎや仕事上の能力はおそらく普通のお勤め人の40歳くらいのレベルを越えるだろう。

なによりかにより、ハタチの頃に比べて、この40年の間に、圧倒的に多くのいろいろなことができる自分になった。今、自分にできることのほとんどは、ハタチの頃の自分には、逆立ちしてもできないことばかりだ。フィジカルにしても今の自分とハタチの自分がスパーリングすれば圧勝でKOだ。体幹とパンチ力が全然違う。

だから、今、ハタチくらいの諸君へ。還暦のワシより贈る辞。

今はできないが、それができる自分になりたい、と強く思うとき、できないことを無理矢理にでも、とにかくやってみて、失敗しつつ段々できるようになっていく・・・その繰り返しが人生なんだよ・・・。いろいろ自分で、ひとりで、できるようになると、人生は楽しいしラクだよ。

今、世の中はコロナコロナで騒がしいが、この状況を稀なチャンスと見て、虎視眈々と自分を磨き、今の自分にはできないが、それをできる自分になろう、と格闘しているヤツがこの世には確実に存在する。たぶん30人にひとりくらいの割合で。
 なぜそう思うのかというと、駅のエスカレータを見ていると、30人にひとりくらいは、「そうすると決めている」という表情で、階段を駆け上がっていくヤツがいるから、だ。

ナーーーんにも考えず、漫然と、エスカレータに乗る。それで、本当にイイの?マインドフルネスしてごらん。今、目の前にエスカレータと階段がある。キミはどっちを選ぶの?その瞬間、瞬間に、自分は何に対面しているの?そしてどっちを選ぶの?そっちを選ぶと、何がどうなるの?自分はどんなふうに変わっていけるの?

・・・てなことを、先日、オシゴトで関わっている会社の入社式で、新入社員さんに贈る辞として語ったのでした・・・。

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しかして。

上記はタテマエであって、ハタチの若い皆さんには上記のような檄を飛ばすけれども。本当のところはどんな人生だってさしたる違いはないのさ。プラスマイナスでぜーーーーんぶ、チャラ。

この点について兼好さんはこんな文章を遺しています。
https://tsurezuregusa.com/038dan/
いや~。鎌倉時代に。この達観ぶりがスサマジイ。

過日の朝日新聞にもありました。朝日はしょーもない新聞だけど、こういう部外者の記事が面白くてヤメられない・・・曰く。
https://book.asahi.com/article/13293445
「(作家の口福)振れ幅飯 海堂尊
人生において最終的な総和はゼロになるというのが私の持論ですので、どこかでマイナスを消化しないといつか手ひどいしっぺ返しを喰(く)らうことになる。」

つまり、人生とは夏休みの宿題と同じだ。
楽しく遊んで、最終日に苦しむ。
最初に宿題ガンバッて、あとは楽しく遊ぶ。
毎日、少しづつバランス良く宿題やって、遊ぶ。
総和としてはどれも一緒。順番が、違うだけ。

世の中には、同じようなことを考えている人がいるもんです。

サテ。
この先はいよいよ自分の老いと死に直面していく人生黄昏のフェーズ・・・。
コロナにやられなければ、のハナシだが。

タマランです。
でわまたーーーーー。

非コロナ的活動アレコレ2020年03月25日 18:24

非コロナ的活動・・・その1 ハンガーDIY 裏木戸製作。その構想は10年くらい前からあったが、今般ようやく実現に到る・・・。

部材調達からドア作って取付け、塗装完成まで、丸3日を要す・・・

次なるは旧裏木戸及び旧露天仮風呂の解体。これは半日仕事。

次なるは旧トイレ小屋解体・・・

これも解体から廃材処理まで丸1日を要す・・・。

13年間、愛用した旧「便付き中古便器」。「セト商会」で引き取ってくれないカナ、、、。

非コロナ的活動 その2 クルマいじり。JA22Wを夏タイヤに戻す・・・。後輩君からもらったジムニー専用アルミホイール。

とりはずしたスタッドレスの硬度を測ってみた。これも10年くらい前に後輩君からもらったタイヤ。まだギリギリ使える・・・。

シートカバーを取付け。PVCという合皮製だがナカナカ良い。

非コロナ的活動その3・・・高校生の頃からの旧友AZくんと山行。山中湖から石割山、平尾山。

のっけから400段の石段で強制的心肺トレ。心臓バクバク、息上がる。

ちなみに普段の血圧は115くらいだが、ややキツめの心肺トレをしてしばらく安静にしていると上が100をチョット切るまで下がる・・・やはり心肺トレは非コロナ的だ・・・。「ややキツめ」というところがミソで、このトシになると心肺トレで心臓が止まることも想定せにゃならん・・・。

先行するAZ君。

残雪の小径。

富士山をバックにお昼ごはん。

AZ君、それは「ローソンのプレミアムハンバーグ」なんだよっ!本来はイシイの魚肉ハンバーグにするべきところ、本日は出血サービス!

ちなみに小職の普段の非コロナ的昼メシ⇓。ここ数年、ずっと自作蕎麦1杯。高血糖/糖尿とは無縁。元「一式陸攻」乗りのギネスパイロット「淳さん」
https://www.tyojyu.or.jp/net/interview/itsumogenki-imamogeneki/takahashijun.html
・・・が「ボクはね、昼飯は蕎麦しか食べないの。腹6分」と仰るので、マネしている。刻みネギとすり下ろし生ショウガをタップリ・・・。

帰路はこりゃまたオミゴトな笠雲。

非コロナ的活動 その4 室内でひとりで電子工作。
松つあん遺品の部品を使ってCV/CC電源を自作。パネル製作、アルミヘアーライン仕上げ、Lアングルリベット打ち。

ほぼ完成。

早速、ハンガーに持ってきて実戦投入。

非コロナ的肉体労働、穴掘り。これも結構キツい。血糖値下げ、血圧下げに効果大。

単相200V回線を地中配管、延長して引き込み、ハンガーハウスに特大エアコンを入れるための溝掘り。

同回線取り込み口を製作。これだけで半日作業。

非コロナ的来訪者アレコレ。とっても器用なJMGC元整備士の飯塚君がディスカス2Tの燃料ポンプを取付け。

若干の問題が発生し、オーナーさんがFRP作業。場所と材料とアドバイスを提供。途中から手も出したが・・・。

増井プロは「ボール盤、貸して」と来訪。「ドーゾ」と。

コマーシャル、IFR、教証持ちで整備士でもある、元J隊の方ですが⇓、実は「Uコン」の達人でもある。私はこの目で、この御方の「四つ葉のクローバー」を見てぶっとんだことがある。ENYA45?搭載のフルスクラッチ飛燕の出来映えなど、見事なもんだ。RCヘリの日本選手権関東予選通過のための練習では、1日にグロー燃料を一斗缶で費消したという・・・。

深夜まで非コロナ的肉体活動が続く。

非コロナ的活動 その5 ハンガーでギターを弾く。ずっとひとりで練習してる。親コロナ的であるところのライブ(ハウス)etcには行ったことがない。

てなことで。
タマランです。

ていねいに時を紡ぐ。2019年12月10日 14:49

少しディテールを書きますので、参考にしてください。
>シュライハーASK13なんかの木製グライダーを今だに飛ばしている各大学体育会航空部機体整備係の学生諸君。

動翼は全て外します。細かいところまで、ヒンジ部の状態(曲がり、摩耗、ガタ、フリクション、腐食)、取付け木部の割れ、塗装状態(=防水状態)などをチェック。

桁に塗装剥がれがあったので60番でペーパーがけしてドープを塗る。あと10年、持ちますように・・・

同上。クレベ70%+シンナー30%くらいにして5回塗り重ね。最後にシルバードープ(アルミ粉末入りドープ)2回。

ヒンジピンは全部要チェック。ラダーの上ピン。木部との固定状態。ガタがないか。木部腐りはないか。塗装の剥がれはないか。曲がり、腐食、フリクション。

ラダーの下ピンとラダー底部。錆、ネジ山痛み、ガタ、木部との固定に異常などないか。クリーナとウエスで古いグリスを除去します。

受け側。綿棒+パーツクリーナで古いグリスを除去して掃除する。

同上。砲金ブッシュの状態チェック。摩耗してるなら旋盤で挽いて造って入れる。松つあん遺品の旋盤、練習しなくちゃ。

グリスは2種類。

全ての作業はグリーンブックとAC43に準拠

割ピンの入れ方にもルールがあります。このへん自己流バイクいじり系DIYerは要注意。プロのバイク屋の作業でも「なってねーな」と思うことがあります。

エルロン。

ピン側

塗装(パテ)クラック。マーキングします。

ペーパーがけ。FRP(グラスクロス)を1枚張ることにしました。

削りクズ、粉が入らないようエルロンロッドのホールをガムテで養生。

FRP張り作業。ホントはピンをマスキングテープで養生してからやるべきでしたが・・・

水平尾翼の塗装クラック補修。FRP1枚+ウレタンサフ。

割り箸の先を平らに削ってへら状にするとリンケージベアリングのグリスアップがラクです。砂のついたバッチイ指先のままグリス瓶に指を突っ込んで塗り込むような航空整備士にはならんといてください。

25Bお抱え航空整備士。ホイール交換に伴いダイブブレーキワイヤの交換作業中。

航空整備士は小柄で体重が軽いこと、身体の柔軟性が要求されます。

工場での仕事が終わってから、当ハンガーへの夜間出張・残業扱いで頑張ってます。あいちゃんの請求書が怖い・・・夕飯おごり付きです。

50年使ってきたホイール。M田師匠が是非欲しいネ、というので惜譲。

こんな奥まったところにグリスニップルがあるのでグリスガンは小型かつフレキシブルホースのタイプが良いです。
こんなの↓。
https://ktc.jp/catalog/index-category/category-list/g-80__500
https://ktc.jp/catalog/index-category/category-list/g-120ns__330nh

M田師匠はレストアした三田Ⅰ型中央翼の懸架台を製作中。ちょっとため息が出るような作業プロセス、仕上がり、形状・・・です・・・。小職もモノ造りの端くれではありますが、レベルが違い過ぎる・・・

キレイにビートの乗った溶接部。

ハンガーハウスの冬支度。自作天窓の周囲に穴が開いてるとストーブの暖気が全部、屋根裏に逃げてしまうので・・・

パネルを造って、タワー登って穴塞ぎ。

同じく。

ここも穴塞ぎ。

ハンガーに遊びに来た「とくさん」から、そろそろ凍結防止したほうが良いよ、と言われ。保温材巻き。ウッドデッキ風呂の配管部。

飛行場は現状、かくのごとし。年内の25Bハンガーアウト、組立て/運航開始はチョット無理っぽい。

関宿滑空場の曳航機、ロバンDR400の作業を見学。

ウチらの曳航機のテストフライト。

天気が良いときはこの椅子に座って朝飯後に日光浴してます。

最近、割と天気がいいです。

こんなふうにして丁寧に時を紡ぐようにして生きていきたいです。
タマランです。