34年前の自分に出会う旅 最終回2015年09月30日 11:53

函岳ダートを走り終えて、今回のツーリングの目的はほぼ達成。あとは撤収/観光モードに切替え。
 滝川滑空場を表敬訪問。別にここで飛びたい、というキモチは起きない。この11月から来年7月まで、また毎週末、25Bで飛ばねばならない。技量維持のために。

同じく。一応、グライダーパイロットであるからして、美瑛滑空場を表敬訪問したが、誰もおらんとでした。

「美瑛の丘」では、「前田真三先生風の写真」を撮りたいアマチュアカメラマンが大挙して三脚を立て、一眼レフを載せて並んでいる。しかし、自分のココロでなく他人様の心に刺さった風景を撮っても、コレという意味はないように思われるのだが・・・。

↓この風景は「ワタシのココロ」に刺さりました。

ココロの状態がカチカチに固いと、ココロに刺さるべき風景も見過ごされてしまう。そうならないよう、いつも柔らかく耕された、フカフカ状態のココロを維持していくことが、大切だと思っております。

↓これは「黒板五郎」さん愛用のトラック。

五郎さんの「石の家」。倉本聰氏がドラマの中に設定したこの架空の人物は、DIYerを標榜する小職のココロの師匠。
 自分の人生において、どうしてもやっぱり自分の家を自分で創ってみたい・・・などというアホらしい活動を、小職が実践してしまうキッカケないしモチベーションになったのがこの「石の家」。なので、どうしても現物を見てみたかった。拝観料として大枚500円を支払ってでも・・・。

「純と蛍の最初の家」も移築されて残されていた。ソロー「森の生活」を地で行くようだ。
 このところ「ミニマリスト」「スモールハウス」なる傾向ないしは行動、現象が脚光を浴びている。五郎さんの「だからおいらは小さくやるのさ。ありがとうって言葉の聞こえる範囲でな」という劇中のセリフは、昨今のミニマリスト指向を先取りしていると言える。このドラマの放映は今から35年近く昔のこと。
 倉本聰さんのように、誰に言われるまでもなく自分のセンサーで自分で気がついて、35年の時間を先取りして表現できる人が、脚本家として生きていけるのだろうなあ。それはとてつもないこと。努力ももちろんあるのでしょうが。9割は天分だと小職は思っております。
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ふーん。ビックリ。さらに調べると、
ソローの小屋があったウオールデン湖周辺の環境を保護したのは、イーグルスのドン=ヘンリーなんだって。
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富良野ダート。川沿いを10kmほど、下る。

34年前、野宿した富良野駅のベンチを訪問してみる。

苫小牧フェリー埠頭まで、あとわずか。

乗船時間まで間があったので、苫小牧駅ビル内のフリースペースにて、のんびりする。小職の大好きな写真家、ブレッソンの写真集が置いてあったのはオドロキ。夢中でページをめくりました。

大洗港行きフェリー 、乗船間近。

フェリー乗船後、デジタルガジェットで少々のお仕事など。

深夜、無事、ハンガーに帰投。

ほぼ新品だったFOXのオフロードグラブ。約2000Kmのハードランでボロボロになった。

こんなふうにして、北の大地をビッグオフで駆け巡った記憶を想い起こしつつ、往く夏の名残りを惜しんでおります。

・・・オシマイ。

34年前の自分に出会う旅ⅴ2015年09月25日 11:59

宗谷岬から、函岳へ向かう林道入り口をナビに入れてひたすら南下。道道、町道をつないで。
 オロロン街道は、次回の北海道ツーリングのために残しておく。なので今回はパス。

山道に入ると、キタキツネ君がひょいひょいと歩いていた。物怖じしない。

今回ツーリングのハイライト。舗装が途切れて、ここから「歌登/美深スーパー林道」。

延々と林道を上り、次第に高度を上げ、ようやく函岳ダート分岐到着

さらに高度を上げ、函岳トップ。遠くオホーツク海が見渡せた。

レーダー裏手のケルンに、石をひとつ積む。

草の下に側溝があるのはわかっていましたが・・・。やっちまいました。今回のツーリング中、最大のピンチ。この状況を一言で言えば「慢心」。ここで得た教訓は、「ソロで走る林道/ダートちゅうもんは、走っていて自分がキモチいい速度で走ってはダメ」ということ。それだと咄嗟の時に対処できない。まったくもって、いつだってオートバイは僕の先生だ。

装備重量160kg程度のDR650で、本当に良かった。これが220kgオーバーの某社水平対向バイクであれば、レスキュー依頼は不可避であっただろう。
 前輪後輪、片っぽづつ側溝から持ち上げて80kgずつ。普段、筋トレのジムで上げてるスクワットが80kg。大汗かきましたが、なんとかなりました。
 クランクケース下部、Fフォークダウンチューブ下部などのクラック、オイル漏れ、その他損傷なきことを確認してソロソロと出発・・・。

私の周囲には、「溝/側溝にハマる」タイプのバイク乗りが多々、存在する。実際、そういうシーンを幾度となく見てきた。中にはナナハンのフロントを側溝にハメて、バイクを逆立ちさせた奴もいる。
 今まで、自分だけはそういう連中と一線を画すのだ、と信じていたのだが・・・。そのココロの動揺を押さえつつ、函岳分岐までのダートを慎重に下ったのであった・・・。

・・・ところへ、またキタキツネ。

自然の摂理とは本当に良く出来ているものだ、と感心する。こんな小動物であるが故に、人慣れして逃げない。他方、大型のヒグマは警戒心が強くて、滅多なことでは人前に姿を現さない。
 もしこれが逆で、「妙に人なつこいヒグマ」とかがいたら、タイヘンなことになるが、自然の摂理は、多くの場合、そういうことはしない。

加須美峠を下るダート・・・。

歌登-美深スーパー林道の美深側出口。これで今回のツーリングのテーマを無事達成。ホッとしました。

こんなふうにして、さらに僕の旅は続く・・・。

34年前の自分に出会う旅Ⅳ2015年09月18日 21:24

さて、この先どうするか。シカリベツ林道、上武利林道で北上、という案もあったが、なんだか林道を走るのも疲れてきた。もっと北海道らしく、グワーと開放的に走りたい。せっかくの青空だし・・・。 
 てなことで、ナビに「風烈布林道入り口」を入れて、宗谷岬目指して走り出す。遠軽町、湧別町などを通過しつつ、一路オホーツク海へ。

この時の状況は、例えばこんな感じ。
バイク乗り同士は、お互いにピースサインする風習が未だにある。
最初は対向バイクからもらうたびに返していたが、それだとピースしてくるのかしないのか見ていなければならない。面倒臭くなり、全てのバイクにこっちからピースすることにした。

青い空と、青い海と。

海岸をただ、歩いてみる。

記念に立木のかけらを拾った。

牧場の中を走る。

浜頓別/クッチャロ湖野営場が今晩の寝床

夕日を飽かず眺めている・・・。

テントの中はゴタゴタしている。別にどうでも良い。寝るだけだから。

「ポロ沼ダート」

ポロ沼。あちこちの地名がアイヌ語起源であるところが、北の大地の旅情を誘う。アイヌ語辞書によると「ポロ」とは「大きい」という意味。

宗谷岬に向かう道。

ココロに刺さる風景。

34年ぶりに入る食堂。

ミスコースして獣道みたいなダートへ迷い込んだ。脱出が大変だった。

今回のツーリングで、一番ココロに刺さった風景。
この丘に続く道を、誰が歩いたのだろう。
今は朽ち果てたサイロで、かつて誰がどのように働いたのだろう。

こんなふうにして、さらに旅は続く・・・。

34年前の自分に出会う旅Ⅲ2015年09月09日 11:30

飽別白川林道、南側から10kmで通行止めにつき、北側から入り直す。

フレベツ白水林道分岐を右へ。阿寒湖方面へ抜ける林道。「救 26」というのは、たぶん、ここでスタックしてレスキューを呼ぶとき、「26」と位置指定しろ、ということだと思われるが、それをどうやって伝えるのだろう?。こんなところで電話が通じるはずないし・・・?

フレベツは全線こんな感じで15km。もちろん完抜け。楽しいには楽しいが、やっぱりチョット熊が不安。いつ出てもおかしくない状況。ダート出口のGSで給油した際、スタンドのお兄さん曰く「数日前、スタンドの裏に出てハンターさんが出動した」とのこと。クワバラ。

ココロに刺さる光景。しかし良く見回せば廃屋だらけなのであった。そこがやっぱり北の大地。

ミルクロード。広域農道みたいな道。対向車はおろか、前後、誰も居ない。雨雲レーダを見て、雲域を回避しつつ。

雲域を抜けると晴れてきました。国道はなるべく避けて走る。

幌加美里別林道。ホロカビリベツ川沿いの美しいダート。ここはナビが効かないのでちょっと心細い。支線もいくつかある(「北電」の看板がある)。岩松林道分岐で、ここを直進すれば「おけと湖」、というポイントらしき地点に辿り着いたが、時間が押してきたので分岐を左折してポンビリベツ林道を下り、道道88にジョインして北上。

北の大地っぽい風景を見つけると、立ち止まって撮ります。この日は温根湯温泉の「つつじ公園キャンプ場」にて野営。無料也。近くのホテルで日帰り温泉につかりました(700円)。

翌朝は快晴!。朝食を準備&食べながらテントとシュラフを干します。

「オレは若い頃、元祖『カニ族』」とおっしゃる漂泊の旅人。エクストレイルに生活道具を満載し、釣りや山菜採りで食材を確保して自炊しつつ、数か月単位で北の大地を放浪するかっこいいオジサン。
 自己完結している。人に頼らない。なんでも自分でやる。贅に浸ることがない・・・イカしているねえ。
 ん?逆か。最高の贅沢とも言える。完全なる自由、に近いから。

こんなふうにして、旅は続く・・・。

34年前の自分に出会う旅Ⅱ2015年09月07日 19:41

私大文系、大学2年の長男が朝から鼻歌でご機嫌の様子。「夏休みはいつまでかい?」と聞いたら、「9月半ばまでだよ」 

 そうだ。34年前、私大文系大学2年の僕は、梅雨明け7月の終わりに三重県は(旧)紀伊長島に向けて出発し、ツーリングクラブの合宿後、東北から北海道に渡り、野営しながらツーリングを続け、夏休みの終わり、秋風の吹く9月中旬の東京に戻ってきたのだった・・・。

あのときは、この道を南下した。なので今回の旅は、まず、この道を北上するところから始めようと。
 右は太平洋の海が砕けて道路に散る波しぶき、左は競走馬の牧場が延々と広がる「サラブレッド・ロード」。苫小牧から新冠、静内、そして襟裳。




海沿いの、なるべく細い道を。そしてできれば舗装していない道を。

一人で走っているから、選択は自由自在だ。直感で行く道を決める。

「道の駅に建てられた、いかにもオランダ風の風車小屋」みたいなものには見向きもしない。そのかわり心の琴線に触れる光景があれば、必ず立ち止まって写真を撮る。あまりにしょっちゅう止まるから、誰かと一緒にツーリングすることは到底、無理だ。

この世の人の目に映る全ての事象は、時の経過とともに存在する。だから「時間」を感じるものが、被写体。そこに想いを馳せる。

行き先は、定めない。空を見て、雲を見て、道を見て。スマホで天気図の前線位置と、雨雲レーダーも参考に。

オフロードバイクであることに、歓びを感じている。「白糠ダート」は木漏れ日の林道(新興松川林道、道東第2期林道)

この道を往くのに、徒歩では、無理だ(夏休みは10日間しかない)。
マウンテンバイクでも砂利が深すぎる。
4輪であれば、オモシロクもなんともない。
だから必然的にオフロードバイク。
飽別白川林道は崩落と倒木で通行止め。

宿には泊まらない。そもそも行く先が未定なのだから、宿の予約のしようがない。昨今は無料キャンプ場でも水も炊事場もトイレもあるわけで、「野営」の「真似事」であることは良く理解している。しかしベッドや布団で寝るのと、大地を背中に感じつつ眠ることとの間には、大きな隔たりがある。と、オレは思う。

したがって当然、夕食は自炊。34年前の、あの日の自分のように。

飲食系チェーン店舗を多数展開する某顧問会社のシャチョーさんから頂戴した「ビーフハヤシ(業務用)」を持参。某○塚シャチョー様、ごっつあんでした。

こんなふうにして、旅は続く・・・。