何も、「禅寺」に行って「座禅」を組む、という「外形・形式」が重要なのではなかろう。「無念・無想、邪念・雑念なきこと」という心の有様が大切なのだ。
自作塗装作業台にて。
なぜ今、自分は、ここで、このような作業をしているのだろうか?。問い詰めていくと、この「行い」は禅宗でいうところの「作務」ではないか、と思い至る。ここは「工房」であるというよりも「道場」なのかも知れない。
そして、自分が何故かくもM田師匠に傾倒するのか、と考えていくと、その人に一種、求道者の姿を見るから、ということだろう。
何も考えず、ただひたすらサフの塗装面にサンドペーパを当て、平滑を出していく。鎌倉の刀鍛冶もこんな気持ちだったろうか。
この主翼は、僕を大空へ誘うもの。そして僕の命を乗せて飛ぶもの。
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