「評価」は誰がするのか?(深遠なる世界・・・) ― 2016年09月26日 18:52
価格コムで「定番ミシン」を検索して購入したマイミシンで・・・
高級自動車用「5層カバー」布地を使い・・・
これです・・・(ヤフオクにて1万円ナリ)
シンメトリーに布地を切り抜き・・・
ベルクロも取り付けて・・・
ピトー管カバーを製作・・・
25Bのピトー管に取り付けるとこんな感じ・・・・。
主翼カバーは片翼7mもあるが・・・
7年の時の経過で相当痛み激しく・・・(機体1式で30万円もするのでそうそう買い直しては居られない)
片翼7mの長さのままではとても修理できないので、大胆にも切り取って修理することに。修理が終わったらベルクロで貼り付けりゃー良いのだ。
この程度の穴は・・・(直せるもんはDIYで直せばいい)
パッチを作って・・・
裏側から縫い付けます。うまくできた。
雨がちですが、たまの好天に機体塗装もまあまあ進行中。
そこそこキレイに塗れてます。
クラブハウスでは古参クラブ員の皆様が率先して環境美化活動に従事中。
「評価」は誰がするのか?(深遠なる世界)
内館牧子さんの小説「終わった人」が売れているらしい。
いい学校出て、いい会社入って頑張ったけど、定年退職で自分を見失う・・・みたいなストーリー。
どうしてこうなるか?
思い当たることがある。
小学校まで、「テスト」はあったけど、「序列」はなかった。
それが中学校に入ると、入学から2ヶ月、6月中旬頃にイキナリ「中間試験」だ。で、クラス内順位、校内順位の発表。
この「小学校→中学校」間の大いなる隔たりに、違和感を感じた人も多かろう。
「他者による自分の評価」は、ここからスタートする。早い人は、小学校高学年で、同じ評価過程に突入する。中学校の「お受験」で。
以後・・・。
中学校では内申点と統一テスト結果で進学する高校が決まり、
高校では偏差値や成績で大学や就職先が決まり、
(大学では優良可の多寡で就職先が決まり)
会社に入れば人事考課により、会社への貢献度で出世が決まる。
こうやって、「他人が自分を評価する」ということがアタリマエの人生を長く過ごして、それが習い性になると、いつも「他者は自分をどう評価しているのか」ばかりを気にする人間ができあがる。
最後は、いわゆる定年退職をして、「アレ?これから先は、誰もオレを評価してくれないの、、、? サミシイ・・・」で「終わった人」になる。
定年のない自営業でも、「ずっと誰かがオレを評価してくれる世界」に留まっていたいな、などと考えたりする。
習い性は怖い。
しかし、である。
この世界は「深遠なるモノ、コト」で満ちているのでは、なかろーか?
自分との関わりで言えば、空の世界は深遠だ。自分で機体を整備、修理するとなるともっと深遠だ。どこかに辿り着く、ということがないようにすら、思う。きっと、自分でヒコーキを作って飛ぶ自作飛行機の世界は、もっと深遠なんだろう。
電子工作と、高周波回路におけるデバイスの振る舞いは深遠だ。なにをどうやっても、ワカランことだらけだ。
どうしてトニック、サブドミ、ドミナント何チャラのⅡ-Ⅴ-Ⅰのケーデンスで快感に感じるのか、どうして世界中の誰もがマイナーのコードを聴くと悲しくなり、メジャーコードを聴くと明るくなり、7thやsusのコードを聴くと不安(定)に感じるのか??音楽の世界は深遠だ。
自分にはそのセンスはないが、囲碁でも将棋でも華道でも茶道でもゴルフでも野球でも、ナンデモかんでも深遠だ。あれもこれも、きっと深遠だ。
宇宙はどうなってんだ?物質とは何だ?
あー。深遠だ深遠だ。きっと温泉巡りやアルコールやグルメの世界も深遠なんだろう。オレには皆目、ワカランが・・・。そのセンサーが欠落しているので。
そういう深遠な世界では、自分を評価するメインは自分だ。他人じゃない。
動力滑空機の整備・修理で言えば、小職の作業の真価を全うに評価できるのは、回り中を見渡しても、師匠のM田さんとか、若造の航空整備士くらいしかいない。つまりは、少なくとも小職と同レベルの「動力滑空機整備・修理」に対するパッション、スキル、ノウハウ、知識、経験を持っている人「だけ」しか、真の評価者にはなれないワケで。あとは、
「自分に対する自分の評価」
・・・をするしかない、のである。
そして、それは決して「終わらない」のである。
ナニカ、ひとつでも、「自分で自分を評価する世界」にかかわっていれば、決して「終わった人」になんか、なることはあり得ない、とワタクシは思うのでありますが・・・。
そう。「この世界は深遠なモノ/コトで満ちている」のだから・・・。
探すのは、アナタ次第。
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