「明日のために、今、何をすべきか」2013年11月15日 16:06

ラダー/ガストロックの上段を自作、追加した。強風に備え2段構え。
材料はコメリで売ってる水道用塩ビパイプ。

水平安定板+エレベータ、最終チェック

台風27号でぶっ飛んだ「渡り廊下の天井板」をナントカせねばならない。

         「明日のために、今、何をすべきか」

人生のあらゆる局面において、スピード、リズム、タイミング、スタミナが重要。齢五十路をとっくに越え、現役のバイク乗り/グライダー乗りを標榜する以上は、動体視力の強化も必須。月-金のデスクワークで鈍りに
ナマッたオノレの肉体をナントカせねばならない。てなわけで「ボクササイズ」を始めた。

サンドバッグとパンチングボール(両吊り)

パンチングボール(片吊り)

「明日のジョー」の「トリプルクロスカウンター」は、子供心にも荒唐無稽だったが、「明日のために、今、何をすべきか」という問いかけは、今でも心に響く。
 裏を返せば(時間軸を逆に考えれば)、「今日の自分に至るまでに、過去の自分は何をやってきたか」という自問に他ならず、その自答が現在の自分の姿である。その姿こそが(運/不運を除けば)過去における自分の行いの集大成なんだから、その結果責任はテメーで負えや、ということになる。誠にキビシいご指摘であります。

 それはともかく、プロボクシングというものが、「スポーツ」の名のもとに、現代社会において受容されている、ということは奇跡だ。
 何しろ渾身の力を込めて(ということは法的に厳密に言えば「未必の殺意を持って」)相手を殴るのである。それをやらないと、渾身の力を込めた相手のパンチで、自分が死ぬかも知れない。その戦いを、群衆は、自分に全く危害が及ばない安全な観客席で傍観し、熱狂する。
 その本質において、ローマ帝国の競技場と変わらない。千年以上経って何も変わらないということが、人間という存在の業の深さを端的に示している。

 しかしながら、現代社会におけるあらゆる人間の営みにおいて、これほど「本気」の世界を、私は他に知らない(戦争と犯罪は「営み」ではないので除外)。好きとかどうだとかいうレベルを超えて、魅入られてしまう。そこから目をそむけてはいけないような気がする。

 サルバドル・サンチェスとウイルフレッド・ゴメスの激闘を、各種動画サイトで観ることができる。ここまで1分無敗32勝32KOの「絶対王者」
ゴメスが、8R、サンチェスの右ストレートでロープ際、マットに沈んでいく。
 だがサンチェスはこの闘いに勝利した1年後、交通事故で「人生の10
カウントゴング」を聴いた。神様(ないし摂理)は時に皮肉なことをする。
 自分はいつ、どんな形でテンカウント・ゴングを聴くのだろう?そんなことを考えながら、サンドバッグを叩いている。

本日は以上・・・。