薄紙1枚を重ね続ける2015年01月30日 16:44

せっかく生を得てこの世に生まれて来たのだから、可能な限りの高い風景を見てみたい。海外旅行をして絶景を見るとか、そういう意味ではなく。
 自分は自分の身体と精神で何をなし得るのか、何を遺し得るのか、という自分に対する興味、とでも言うべきか。
 もちろんそんなふうには考えない人も多いだろうし、それはそれでいっこうに構わない。人それぞれであり、自分は自分だ。

 「薄紙1枚を重ね続けるように生きる・・・」とはイチロー選手の発言であったように記憶するが、天才イチローであれば格別、我々凡人が「薄紙1枚重ね続け」たところで、大した「厚さ」にならないのは自明、それでも重ねないよりは重ねたほうがマシ・・・というのが当座の結論である。

 
 
 
 
 重ね続けるためには、時間が必要だ。なので、「『そのこと』をどれくらい継続できるのか?」・・・という自問に置換できる。

 
 さらに「継続できかるどうか?」という問いかけは、「継続できるだけのエネルギーが自分の中にあるのか」という問いかけと等値である。

 そして、そのエネルギーとは、おそらくは、自分の中の「パッション」なのだろう、と帰着する。要するに自分が生まれるとき、「摂理様」は、どのような「種」を自分に撒いたのだろうか?その大きさ如何?・・・という自己洞察。

と、いうことで、

 「どのようなことであれば、自分は続けて行くことができるだろう?」あるいは「これまでの人生を振り返ってみて、どのようなことを、自分は続けて来ることができ『た』のであろうか?」

・・・と自問してみる。

こんなふうに考えてみると、これからも継続していける(あるいは継続して行くべき)「何か」が、オボロゲながら見えてくるような、そんな気がする早春の候・・・。

本日は以上。

(写真は2010年夏、胴体の羽布修理/全塗装)
ココから・・・

ココまで、4か月。

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